月別アーカイブ: 2017年7月

ひなに背中を掻いてもらう


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今日、どうしても背中がかゆくなって、でも、手が届かなかった。

「ひなさぁん、あの、大変申し訳ありませんが」
「なに?」
「……背中、掻いてもらえませんでしょうか?」
「?」

ひなが私の背中を観察すると、小さなにきびができかけていたという。
50にもなって背中ににきびを作るとは。アイスとかピーチョコとか、甘いものばかり食べているせいだろうか。

ひなに背中を掻いてもらったあと、にきびにはテラマイシンを塗って、絆創膏を貼って貰った。

ひながいる。

朔はいなくなってしまったが、ひながいる。

今日、にこりの駐車場の看板の貼り替えに行った。ひなに手伝って貰った。手伝って貰ったというより、ひなの方が大変だった。古い看板をはがす作業を頼んだのだけれど、何度もひっくり返りながらひなは必死に看板を外してくれた。私はそのあとから、シーリング材を使って新しい看板を貼っていった。全部で10枚貼った。30分かかった。家に帰ってくると、朔ぴょんはいなかった。それは知っていたけれど、いつも帰ってくると、むすくれてお留守番をしていた朔ぴょんがいない。でも、ひながいる。私は恵まれていると思う。

あと、今日、メルカリでTシャツが1枚売れた。赤字ではあるけれど在庫はさばけた。そのTシャツもひながデザインしたものだ。

朔はいなくなってしまったけれど、私たちは新しい日々を生きていかなくてはいけない。

朔にも幸せな時間はあった


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朔のふすま

朔のふすま

朔を失ってもう1週間になる。あっという間であったようにも、長かったようにも思う。
朔の死に際の数時間、苦しそうな浅い呼吸や痙攣を思い出すと、本当に辛い思いをさせてしまったと思う。そのことばかりが頭について、朔はずっと苦しみながら生きていたような気がしてしまうこともあったけれど、うちのふすまを見て、そうではなかったと思い直した。
うちのふすまの1面に、朔の写真を貼っている。もう5年くらい前からそうしている。写真展から回収してきた大きなものから、L版まで、さまざま。一番大きな写真は、まだ朔が8歳くらいの写真。その他にも、夏の暑い日にお腹を上にむけてひっくり返っている写真とか、煮干しをもらう直前の目を輝かせている写真とか、お気に入りのマフラーにくるまって気持ちよさそうに眠っている写真とか、そういえば朔にも確かに、そんな幸せな時間もあったのだと思う。

朔、そちらの世界はどうだい?本当に痛みも苦痛もないのかい?それならいいのだけど。

朔ちゃん、お帰り


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今日の夕方、吉浜の吉祥院に、朔の遺骨を受け取りに行った。
タクシーでお寺に行ってみると、驚くほど小さくなって朔は待っていた。
帰宅してから壺を開けてみると(セロテープで蓋が止められていた)、後頭部らしい骨があった。なぜ後頭部とわかったかというと、ぴょこっと飛び出している突起の感触に、朔の頭を撫でた時の記憶が蘇ったからだ。

一日に一度か二度くらい、どうしようもないこととわかっていても、無性に朔に会いたくなる。交差点で信号を待っている時、時間が空いて家の部屋でごろりとしている時。「なーでーこー」と声に出してみたりする。撫で子か。言うほどしなかったかもな。もっといっぱい撫で子したかった。ふわふわの毛皮の感触。死ぬ間際の、ごつごつに痩せた背中の感触。

朔ちゃん、ここはおうちだよ。もう病院に行かなくていいんだよ。
ここはおうちだよ、朔ちゃんのおうちだよ。

時間ということ


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昨日、朔を失ってから、時間ということについて漠然と思いを馳せていることがある。
昨夜、私は3時間半、朔の亡骸を眺めていた。4年前に作ったフォトブックの朔と見比べて見たりもした。4年前より痩せていた。食べることができず、かといって点滴でも一日の所要カロリーの半分までしか摂取できなかったので、当然ではある。4年前には、こんなことになるなんて思っていなかった。朔は、漠然と、20歳くらいまでのんびりと長生きしてくれるような気がしていた。だがその甘い期待は叶わなかった。

朔を見つめていた3時間半という時間は、その時にはとても長いものに思えた。
でも、今となっては「過去の一瞬」でしかない。
時間って、いったい何なんだろう?
哲学的なことは私は苦手だ。
かといって科学的に分析ができるわけでもない。

顎や背中をなでこした。生きているうちにもっと、なでこやポン子、一緒に遊んだり、もっとやるべきことはあっただろうと思った。朔が生きている間、私は随分時間を無駄にしたと思う。朔が隣にいながら、くだらないゲームに熱中していたこともあった。私の30代の大半と40代の全ては朔とともにあった。もっと一緒に遊んでおきたかったと、今は思う。でも、儲からない過酷な仕事に身を投じて、朔が仕事場に心配してやってきたこともあった。豆、もう帰ろうよ、と言っているように思える鳴き方をした。

朔は時間が有限で、取り返しのつかない性質のものであるということを、知っていたのだろうか。賢い猫だ。言語という媒体を使うことなしに、それを知っていたのかもしれない。

さようなら、朔ちゃん


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朔

朔が、今日7月9日の午前0:13に、息絶えた。
推定、17歳と1ヶ月。今、飼い猫の平均寿命は15歳という。猫の1歳は人間の4歳に相当する。平均寿命を8歳も上回る大往生だった。

死因は、これも推定であるけれど脳腫瘍。本当はこれはMRIを撮影しないと断言はできない。だが猫のMRIには全身麻酔が必須で、朔は慢性腎不全のため麻酔がかけられない状態だった。緑膿菌感染症による膀胱炎も併発していた。ただ、ふらつく、何もないところに向かって鳴く、失禁するなどの症状から察するに、脳腫瘍を発症していた可能性が高いと、獣医さんからお伺いしていた。思えば数年前から、眠っている時にぴくぴくと震えていることがあった。あれはレム睡眠なのだと思っていたけれど、今思うとそうではなかったのかもしれない。

朔は、死ぬ4時間くらい前から、ぴくぴくと痙攣を起こしていた。その痙攣がだんだんひどくなり、最期は、おそらく脳腫瘍の症状であろうてんかん発作を起こし、薬石の功も虚しく世を去っていった。

最期に私たちは、朔の大好きだったチャオとろみの缶詰を枕元に供えた。夏場には特に大好きだった氷水も供えた。線香がなかったので、代わりに氷水の氷を切らさないようにして、朝を迎えた。本当の通夜式というのはこういうものではなかろうかという気持ちもあった。朝になって、ひなが編んだ、朔お気に入りのマフラーを掛けた。このマフラーが大好きで、よく朔はこの上に乗って、夜も昼も眠っていた。目を閉じた朔は笑っているようにも見えた。猫だから笑うことはなかったけれど、喜怒哀楽というか、感情表現は豊かな猫だったと思う。

朔

ひなと朔

ひなと朔

さようなら、朔ちゃん。あの世に行ったら必ず会いに行くからね。
あの世、というものが、あったなら、の話だけれど。

セブンイレブンで売っている「いちご練乳氷」138円(2017年)


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7月になりました、という訳で、今年もこの季節。セブンイレブンのいちご練乳氷。今年は6月から出ていたようですが……。今年も138円。160ml。前年と同じ。果肉が9%から11%に増えて、あと、パッケージが少し簡略化されたようだ。
おいしいわ。
(参考)
2016年 138円 http://hmk.iijiman.com/mmnk/?p=6447
2015年 138円 http://hmk.iijiman.com/mmnk/?p=5834
2014年 138円 http://hmk.iijiman.com/mmnk/?p=4781
2013年 138円 http://hmk.iijiman.com/mmnk/?p=4100
2012年 137円 http://hmk.iijiman.com/mmnk/?p=3128
2011年 158円 http://hmk.iijiman.com/mmnk/?p=2629
2010年 198円 http://hmk.iijiman.com/mmnk/?p=1895

いちご練乳氷(2017)

いちご練乳氷(2017)

いちご練乳氷(2017)中身

いちご練乳氷(2017)中身