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朔の四十九日


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今日は朔の四十九日で、吉浜吉祥院に納骨に行ってきた。
説明を聞くと、動物共同の供養塔があり、その中に土が収納されていて、その土に骨を還すという。
一瞬、もう土に還しちゃうんですか?と思ったけれど、墓地を継ぐ人がいない場合、100年だか200年だか1000年だかすれば、どのみち誰かがそうするのだろう。時間が止まっている死せる者にとっての1000年というのは、49日と、大差ない話であるような気がした。ならばそれでもいいか、と。

朔ちゃん、あの世に無事たどり着いたかい?私たちが来ないと、うめーんとか言って怒っていないかい?それより何より、あの世というのは、結局、あったのかい?なかったのかい?

吉祥院からの眺め

吉祥院からの眺め

あの世はあるのか


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「あの世は存在する」をgoogleで検索すると51200件。
「あの世は存在しない」をgoogleで検索すると、33700件。
件数で何が決まるわけでもないが、googleの現状はそうなっている。

私が思うのは「朔に会いたい」ということ。あの世というものがあって、あの世で会えるというなら、それでもいい。しかし、あの世というものがないのであって、もう二度と会えないというなら、それを受け入れるしかない。どちらかわからないというのは、ちょっと困る。で、困っている。

私たちは毎日、朔にお線香をあげる。まだ四十九日を過ぎていないので、1本ずつあげる。

「この世からあの世」までの「間」が存在するかという問題も、これまたわからないというか、仏教では四十九日、キリスト教はキリストの復活までに50日かかった。イスラム教でも死後の世界とこの世との間というのがあるらしい。神道には五十日祭がある。
村上春樹の「海辺のカフカ」には、「リンボ」という名前で、生きているものがあの世へ行くまでの場所のようなものがあることが記されている。「海辺のカフカ」は宗教ではないけれど。

では宗教を離れて科学とか物理学の世界ではどうなのかというと、一見すると死後の世界というものは否定されていて、脳の活動が止まれば意識というものがなくなるので、死んだら何もなくなってしまう、ということで意見が一致しているのかというと、必ずしもそうでもないらしい。量子物理学とかの世界に行くと、なんだかよくわからないことが多いらしい(私、現代文の文系なので物理は苦手)。

朔が他界したということを何人かの(猫好きの方への)暑中見舞いに書いた。ある人は、忘れないでいれば虹の橋のところでもう一度会えるよ、と記してくれた。

朔に会えたら、また顔をくっつけて眠りたい。抱っこして眠りたい。
それだけなのだけれど、この件は、実現するのか否か、結局のところ全く分からない。

鴨宮のコメダ


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久しぶりに、鴨宮のコメダに行く。
朔を失ってから、コメダに行くのは初めてではないが、それは平塚に用事があったついでに寄ったのであって、鴨宮に、コメダのためにコメダに行くは初めて。

鴨宮

鴨宮

魚屋に寄る。コメダに行っている間に、刺身と酢じめ用に調理してもらう。

魚

久しぶりに来た。

コメダ珈琲店南鴨宮店

コメダ珈琲店南鴨宮店

季節商品の「抹茶&小倉・練乳・ソフト氷」を頼む。

抹茶&小倉・練乳・ソフト氷

抹茶&小倉・練乳・ソフト氷

美味しくて、ドゥショコラも頼んでしまう。

ドゥショコラ

ドゥショコラ

帰りに、アブラゼミが4匹も止まっている木があった。私が子どもの頃、アブラゼミってこんなに密集していなかったような気がするのだが。

アブラゼミ

アブラゼミ