懲りずに「けいおん!!」を見ている。昨夜HDDで撮った第8話「進路」を、今朝見た。朝から何をやっているのだろうという気もしなくはない。
それはそうとして、私が高校生の頃、その高校では、1年生の時に既に「進路調査」があった。自分の進路についてプリント用紙に書かせるというものであった。私はそれを見ると陰鬱な気持ちになったものだ。高校受験が終わったらまた受験の話かよ、と。一応進学校だったので、進路=進学という生徒が多かったし、私も漠然とそう考えていた。
で、1年生の頃には「設計技師になりない」ので「千葉工業大学に行きたい」と書いた。
・・・などと書くと唯よりしっかりしているじゃないか、と思われるかもしれないが、そうではない。
まず、なぜ設計技師かというと、漠然と、鉄道分野にかかわる仕事がしたかったからだ。千葉工業大学というのは、それしか知っている工業系の大学がなかっただけのことだ。
子供の頃は貨物列車の機関士がいいなと思ったこともあるけれど、一番列車運転の時など「早起き」しなければいけなさそうなので、それはやめることにした。(早起きは今でも苦手だ。)
では設計技師なら可能性があったかというと、全然ないことが後に分かる。
なぜかというと、その進路調査の後に本格的に始まった高校の授業で、私には数学と物理のセンスが全くないことを、身に染みて痛感したからだ。こりゃ、理系はナイな、と。
進路調査は毎年あった。調査用紙には毎年、それっぽく真面目に考えているようなことを書いておいた。
先生に叱られるのが怖かったからだ。(怖いだけでなく、面倒くさくもある。)
しかし、本当はは唯と同じ、「なんだか遠くのことで、よくわかんない」だった。
結局3年生になって、地理の先生から「大学には地理学科というのがあってね、旅行をするのが研究なんだよ」という魔のささやきをうけて、「地理学科」というところを選んだ。
ちなみに、地理学科の「旅行をするのが研究」なのは本当だ。ただ、「ものすごくしんどい旅行」、それが調査旅行というか、現地調査というものであったということは、後で卒論を書くときに分かった。
で、結局卒業したらバブル絶頂期であったものの三流大学なので一流企業などは面接さえ受けられないという有様の中、人手不足でゆるゆるになっていた公務員試験にすべりこみ、学校(関係)の事務職員を7年やった。これも「公務員なら定時に帰って気楽に暮らせる」という大変な誤解で、公務員に過労死や過労自殺が毎年あるなんてことは想像もしていなかったからそういう道を選んだのだった。結局「やっぱ、こりゃ私には続けられんわ」との結論に達して、もう人生どうでもよくなってやけくそで写真学校に入って、
ここから何がどう間違うとこうなるのか分からないが、
結局、湯河原で自営のデザイナーになって現在に至る。
もの凄く長い遠回りをしたのだけれど、結局、これがやりたかったんだろうな、というところに落ち着いたことは確かである。
唯は、うーん、最初はチェーン店のパン屋さんかケーキ屋さんに就職して経験を積んで、中年くらいまでにお金をためて、国産小麦と天然酵母の自家製パン屋さんとか、こだわりの手作りケーキのケーキ屋さんなんかを目指すのがいいんじゃないかな、と思うのだけれど、皆さん、どう思います?