5/27から30まで、小田原市立病院に入院していた。
5/22頃から具合は悪かったのだが、市販薬などを飲んで無理していたのが良くなかった。5/27夜 、体験したことの無いような、よじれるような腹の痛みを感じた。これはヤヴァいと思って、ひなに、湯河原胃腸病院の夜間救急に電話してもらったが、今、担当医が1人しかいなくて対応出来ないという。ひなに救急車を呼んでもらう。湯河原厚生年金病院にも担当医の余裕がなく、小田原の、小田原市立病院に搬送された。本来湯河原から1時間はかかる場所なのだが、そこは緊急車両、救急救命士の「22〜3分で着きます」と言葉通り、30分とかからずに到着したが、その間、私は酸素吸入を受けていた。血圧や体温や心拍数を測っていた救急救命士が「ショック?プレショック?」「ショックです」と話していた。ああ、これがショック状態なのかと思う。これヤヴァいんじゃないでしょうか?とか思っているうちに病院に到着した。到着してからも酸素吸入を続けていたら、少しずつ楽になったが、やはり腹は痛かった。今まで、胃の痛みというのはよく経験していたが、そこより少し下、小腸のあたりが痛かった。
その夜のうちに、レントゲン撮影、エコー検査、それと、ヘリカルスキャンCTによる造影剤CT撮影。今はCTも、ただ断面を撮影していくのではなく、螺旋状に体の中を撮影していくので、撮影した画像をお腹の上から下まで、ぐるぐる回しながら閲覧することが出来る(このあたり、わかる人にしか分からない表現かもしれない。)なぜCTを撮ったかというと、保険点数を稼ぐとかいう意図ではなく、「腸に穴があいている」可能性を疑ったためだという。
で、結局CTの診断結果からも、特にこれといった問題は見つからなかったが、血液検査から激しい炎症を起こしている(おそらく腸)が判明したため、そのまま入院し、点滴を受けることになった。点滴には抗生物質が調合された。
抗生物質が効いたのか、29日には大分痛みも引き、30日には起き上がってもお腹が痛くない状態になった。それで、30日の朝に主治医に相談したところ、朝の血液検査の結果が良ければ退院してもいいということだった。最初は入院1週間と言われていたので、少し有り難く思った。
現代だから何とか助かったけれど、小田原まで半日近くかかっていた明治時代なら、というか、抗生物質や酸素吸入という医療技術がなかったら、私は助かっていなかったかもしれない。
軽々しく言えることではないが、生きている一日一日は、大切に生きなければならないと思った。