おおかみこどもの引っかき傷


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

昨日、というより製作には一昨日の夜になるが、賛否両論あるであろう「おおかみこどもの雨と雪」を見ました。あの映画が公開された時、私は「やめてくれぇ〜」と思ったんですね、なぜかというと「ねこにんげん」をテーマに応募作を書いていたので「変なところでカブるじゃないか!」と。応募作も無事一次審査落ちとなった今ではどうでもいいことなんですが。

それで、実は一昨日、「おおかみこどもの雨と雪」を見る直前に、なぜかNHKの教育テレビで、細野晴臣の出る番組を見てしまった訳です。細野さんの音楽を振り返る、みたいな、淡々とした番組で、YMOなんかもちょっと出て来たんですけど、なぜMAD PIERROTを紹介しない、とか、Fire Crackerはマーチンデニーだろうとか、細かい突っ込みはおいといて、細野さん、今、66歳なんですね。私と丁度20歳差。細野さん46歳の時には、それは1993年頃ということになるけれど、その時彼はYMOの「再生」とかやっていて、もう、充分大物すぎるくらい大物になっていた訳です。振り返って私は何をやっているのかと。湯河原の片隅でちんまり暮らしている。でもそれでいいかも、と。20年後も多分今とあまり変わらないんじゃないかというか、健康状態とかあまり変わらないで欲しいなあと思う訳です。

で、その後「おおかみこどもの雨と雪」を見て、ああ、もう某大手アニメスタジオの時代は終わってるんだなあとか思って、アニメ関係者ではない私にとってはそんなことどうでもいいのですが、何か心の中に引っ掻き傷のようなものが出来て、それが今日になっても少し痛い。
話自体は、見方によってはとんでもない話とも言える。もぐりの学生やってるフリーター狼男を連れ込んで子供までこさえて、そしたらフリーター死んじゃて1人で田舎で子育てするっていう、ちょっと待ちいや、いくらなんでもそんなん無理やん、みたいな。いや「おおかみこども」だから本当にそうするしかなかったというか、そうしてよかった訳ですけれど。狼にも狼の事情があって、どうしても末裔を残したい、とか、この人なら信用出来る、とか、色々事情とか気持ちとかあったのかもしれない。
絵が綺麗でした。あと、ビデオカメラを低く構えて走ったみたいな映像とか、実写取り込みみたいな背景とか。キャラクタの表情とかはむしろシンプルな感じで、独特。
でもそういうディティールだけでない、何か引っかかるものがあった。何だろう。単純に一言で言えば成長の物語(母親も含めて)なのかもしれない、けれど、その成長にからみつく「痛み」のようなものが描かれているなあという気がした。気がしただけかもしれないですけれどね。
で、今、検索して調べたのだけれど、「おおかみこども雨と雪」の細田監督って、私と同い年なんですよ。ああ、ここでもまた、世に出ている人がいるなあ、と。

私は今年も地味に暮らして来て、贅沢をしているといえば月に3500円の神田珈琲園のマイルドブレンドくらいだれど、来年もまたちまちまと地味にくらして行こうと思う。
表舞台で大輪の花を咲かせる人になろうなんて、無理して思わなくていいやって話です。