本当の電気料金・原発事故で怖いものがなくなった


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東電の賠償、電気料値上げで…政府・民主容認へ
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110503-OYT1T00817.htm

利益から賠償ということは、結局電気料金から賠償費用をまかなう訳だが、結局のところ、電気代から捻出するにせよ税金から捻出するにせよ、国民が負担することになるという本質には、あまり違いがないような気がする。

今まで国的、あるいは電力会社的には、原発の「これほどの」重大事故は「あり得ない」ということが、暗黙の(あるいは時に明示的な)了解事項になっていた。だから、「これほどの」重大事故に備えるための費用は、電気代に加算されていなかった。

しかしながら、実際の原発というのは、潜在的に「破滅的なコスト負担が生じうるリスク」を常に内在していた。
今まではそんなことを言っても一笑に付されるだけであったが、今は違う。明らかに莫大な処理費用が発生した。2兆とも4兆とも。

この、事故処理費用込みのコストこそが、2011年の今現在において明言できる、(原子力も含めた)発電のコストというものではないだろうか。

じゃあ、もし原発を建てなかったら電気代の値上げを回避出来たかというと、石油高騰の影響をモロに受けたり、CO2排出権を買わなきゃいけなくなるかもしれないなど、結局のところ安くはならなかったであろうけれど。第一、今さら「もし事故がなかったら」とか「もし原発そのものがなかったら」と言ってみたところで、歴史にifを付けるだけの話で、あまり意味はない。

ただ、「これから現実となる、安くない電気代」(あるいは電気代ではなく税金という形で払うのかもしれないが)を、私たちは、否が応でも受け入れざるを得ないように思う。

ところで、今回の原発震災で、1つ、私自身の心のありようが変わった。

それは、「一番怖いものがなくなった」ということだ。

私は、あまりはっきりと意識はしていなかったけれど、原発が、とても怖かったようだ。それが、今回の事故で、やっぱり私はこれが怖かったんだと認識するに至った。ところが、その先が、ちょっと意外。もしかして、これ、私にとって「一番怖いこと」が現実になっちゃったというか、もう「心配しても無駄」な状態になったってことなんです。

という訳で、非常に屈折した理由に由来するとはいえ、「一番怖いものがなくなってしまった」。

もちろん全面核戦争は怖い。でも、そんなの起きたら、苦しむ間もなく蒸発しちゃうんじゃないかと。もう人類を何度も滅亡させられるくらいの核ミサイルがある訳です。それ、半分くらい打ち尽くしたところで、もう、続きをの発射ボタンを押す人もいなくなるんじゃないか?あるいは地下に潜伏していて、もう到達先に誰もいないのにミサイル打ち続けるとか?どっちにしても地上で暮らしている私なんかが生き延びている訳がない。そういう意味では、あまり苦しまなそうなので、怖くない部類に入る。

宇宙から小惑星が飛んでくるなんてのも怖いけれど、それは確率論的にあまりにも心配し過ぎというものだろうし、それこそ「想定外」でいいんじゃないかと。

ゴキブリ怖い。ケムシ怖い。芋虫怖い。これは仕方ない。だが、相手が小さいので、逃げやすいということもある。怖いし悲鳴を上げるのは事実だが、まあ、逃げれば済む。少なくとも、毛虫が放射能出して200km先まで攻撃してくるなんてことは有り得ない。

自分の健康とか、がんになるんじゃないかとか、いつまで生きられるのだろうかとか、そういう不安は、決してゼロにはなってはいない。
でも、そういう不安は、フクシマ以前からあった。
でも、フクシマのあれ、見せられちゃねー、もう、何をどう努力しても、無駄って感じがしたんです。結局みんな、10年20年たって、がんで苦しみながら病院で死ぬんじゃないかと。痛いだろうな、苦しいだろうな、嫌だろうな、そういう人生の質というか生活の質といったものを下げる事態は何としても回避したいから原発は怖い、とも思っていた訳ですけれど、もう、そういう事態は、ほぼ確定しちゃって、今さら何をあがいたところで逃げられる訳でもなさそうな訳です。怖がっても無駄なんです。逆に、運が良かったら(放射能の流れなどが実際にはたまたま自分の方にあまり来ていなくて)、案外生き延びることが出来るのかもしれない。そうなればそれはそれで儲け物だし。(これ、「儲け物」ではなくて、それがまがりなりにも保証し合っているのが、まともな社会というものじゃないんですかね?)

それに、よく考えてみたらもう40年以上生きて来て、自分なりにやりたいことは一通りやってきたという気もするし、欲しいものも特にあるわけじゃないし、ああ、それなら、もういいかと。

こんな開き直りが出来たのは、生まれて初めてかもしれない。おかげで普段飲んでいる抗鬱剤アナフラニールの量が半分に減らせて、手の震え(の副作用)が若干改善したくらいだ。

フクシマの事故が良かったとは言わない。間違っても言わない。でも、ここまで来ちゃったらもう、覚悟を決めるしかない、というか、自動的に覚悟を決めさせられてしまった。良かったどころの話ではない。私はマジ切れレベルで怒っている。だが怒ってみても何も解決しないし、怒ってエネルギーを消費するのが馬鹿らしくなってきた。

ああ、それで、東電の役員報酬ね。筋から言えば全額カットでも文句言えないでしょう?でも、もういいよ、好きなようにしなさい。役員報酬なんか全額カットして、貯金も使い果たして家も売って、生活保護受けながら働いてください、とか、筋から言えばそういうことを言ってやりたくもなるけれど、もう、筋も何も、どーでもいーよ、カットした報酬が私に貰える訳でもないし、貰って寿命が延びるとも思えない。
お金を持っていようがいまいが、放射能は公平にやってくる。風から、海から、野菜から、魚から、その他あらゆる産物から。お金があっても、む・だ・な・の。お金飲み込んだら寿命が延びるとかいうなら話は別だけど、んなーわけない。

もう、大きな恐怖は何もない。好きにしてくれ。