村上春樹「1Q84」が「200Q」でない理由を考えてみる。


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

村上春樹の「1Q84」が売れに売れているらしい。もう『ノーベル賞なんかどうだっていいくらいに』。いや、この人は最初からノーベル賞などどうでもいいのかもしれないけれど。
で、これを読んで思うのが、「どうしてもジョージ・オーウェルの『1984年』を思い起こさせるタイトルにすべきであったとは思えない」ということだ。別に200Qだっていいではないか。日本的には「1QQ5」なんかの方が特別な意味を持っていてわかりやすい。

なのに、なぜ「1Q84」なのか。
その理由は詰まるところ私には分からないわけだけれど、分からないなりに勝手に想像してみる。

その1
村上春樹は、物語の素材として「携帯電話」が好きじゃない。「携帯電話」が出てくると物語で「困難」となるべきところが「すんなり」済んでしまうため、困っている。1984年には携帯電話など普及していなかった。というか、携帯電話の初期型というべき巨大な、NTTの「ショルダーホン」のサービス開始が1985年。まだ神奈川県知事でさえ「携帯電話を持っていなかった」のだ。1984年には、ポケットベルもまだ女子高生レベルにまでは普及していなかった。実際私はその年に高校生だったわけだが、同級生は誰もポケットベルなど持っていなかった。

その2
物語の背景として「インターネットの普及」が扱いづらい。
「Google」や「2ちゃんねる」のない世界というのは今ひとつリアリティがないではないか。
1995年には既にインターネットがあった。2ちゃんねるの全身のようなものもあった。
ましては2009年。月が2つ現れたら、2ちゃんねるにスレッドが立つ。
 1 名無しさん なんか、月が2つ見えるんですけど
 2 名無しさん 2getずさー
 3 名無しさん オレモナー>1
・・・てな具合に。そして、このような特異なスレッドはあっという間に埋まり、「まとめサイト」にUpされ、それが「はてなブックマーク」で上位にあがって衆目にさらされることになる。
 「人力検索はてな」に100円払ってアンケートを採ってもいい。
質問:月がいくつ見えますか?
回答:
 1 ポイントゲット
 2 1つ
 3 2つ
 4 それ以上

さらには、個人がブログにいろいろ書き始めるだろうから、これをGoogle先生がインデックスしまくる。「月 2つ見える」で検索。すると、「月 2つ見える の検索結果 約 95,600,000 件中 1 – 10 件目 (0.30 秒) 」。現実に月が1つしかないこの世でさえこうだ。2つ出てきたらどうなるか。
という訳で、今では、月が2つか1つかを「大勢の人の意見を聞いてみる」ことはとても簡単で、何のためらいもなく行えことになってしまう。
月だけではない。2ちゃんねるには「ふかえり行方不明スレッド」が立ち、mixiには「ふかえり」「空気さなぎ」「ふかえり失踪」コミュが立つ。謎の断片は瞬時にして大衆に共有され、つなぎ合わされてしまう。とはいえ、それで真実に行き当たるという保証があるわけでもなく、むしろ混沌がさらに深まるだけかもしれないが、時としてその混沌の中にぼろっと事実が出てきてしまったりして、もう、こんなつかみどころのないものを、いったいどうやって物語の背景に書き込めばよいのか。
だが、1984年は、そうではなかった。古き良き時代だったのかもしれない。

村上さんは、今回の物語を成り立たせる上で、「ほどほどのポイント」ということもあって、その上かつ、ちょうどいい具合に「近未来小説としての1984年」があったため、1984年=1Q84と、設定したのかもしれない。