デジタルJ-Popの元祖は誰?


カテゴリー: Perfumeテキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

レールガン関係で検索していて、ちょっと気になったことがある。
Wikipediaの「fripSide」の項目で、ジャンルに「デジタルJ-Pop」という表記がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/FripSide#cite_ref-0

まだwikipediaにも解説がないので、最近の造語なのかもしれないけれど、だとすると、はて、この「デジタルJ-Popの元祖」は誰だろう?

YMO?
微妙に違うような気がする。
まず、彼らが活動を開始した1978年には、そもそも「J-Pop」というジャンル自体がなかった。
そもそも、デジタル云々以前に「J-Pop」というジャンル名を、いつ、誰が使い始めたのか検索してみると、Wikipediaによれば、1988年に、J-Waveの常務(当時)とレコード会社の担当者が、会議でひねり出した言葉らしい。
そういえば1980年代後半頃、「頭にJを付ける」タイプの造語が流行ったことがあった。
 国鉄→JR(1987年)
 日本専売公社->JT
 農協->JA
 Jリーグ
 中央競馬会->JRA

そんじゃあ日本相撲協会は「Jファイトアソシエーション」、相撲の張り手は「Jパンチ」とかに改名されるのかなとちょっと期待していたのだが、それはかなわなかった(かなわなくてよい)。

「デジタルJ-Pop」という言葉は、実は私は、2011年8月30日、つまり、今日初めて見た。検索してみたけれど、Google先生もご存知ないようだ。

ただ、1970年代に既に「ポップス」というジャンルは、一般的に認知されていたと思う。なぜなら当時、大阪の朝日放送のAMラジオの昼の番組で「ポップス対歌謡曲」という、クイズ番組と歌番組を合体した番組があった。(こういう判断基準は音楽業界的には馬鹿馬鹿しいものであろうけれど。)

で、YMOが果たしてポップスに入るのかどうか?というと、どうも微妙。
初期の「テクノポリス」あたりはポップスに入れていいような気がするけれど、あれ、多分「デジタルシンセ」を使っていないです。まだアナログシンセしかなかったんじゃないかと。やっぱり「汎用性のあるコンピュータと楽器が連動」してないと、「デジタル」の冠は似合わないような気がする。

テクノポリスより前、YMOのファーストアルバムの第一曲目は「コンピュータ・ゲーム サーカスのテーマ」。うーん。これはPopsと言えるのだろうか?その次に収録されていた曲は、マーチン・デニーのカヴァー「Fire Cracker」。これは「イージーリスニング」を「シンセサイザー風味追加&オリエンタル風味強調」にアレンジしたバージョンであって、これまた果たしてPopsなのか?
ただ、B面(CDで言う6曲目以降)の、東風〜中国女〜MAD PIERROTは、かなりPops的色合いが強くなっている・・・とは思うのだけれど、当時Popsって、じゃあ他に誰がいたのかというと、Aliceとか、さだまさしとか、中島みゆきとか、のちに「ニューミュージック」と呼ばれる人たちだったような気がする。何か違う。

あるいは、プロ普及期におけるデジタルシンセの代名詞としてYAMAHA DX7の名前が出て来て、そのあたりから「デジタルJ-Pop」が作られるようになったと考えるのが妥当なのだろうか?しかしそれが発売されたのは1983年。その頃YMOは、ポップスというより「君に、胸キュン。」など、明らかに「歌謡曲を歌っていた」。

とすると、じゃあ一体誰が元祖なのかというと、うーん、fripSideが「影響を受けた」というところから逆算しても、小室哲哉あたりになりそうな気がする。ごく初期には、確か彼はPC-9801を使っていたはず。検索したら、やはりその記憶を持っている方がいらした。
http://trischool.exblog.jp/147744/

そういえば、Perfumeって、「デジタルJ-Pop」に入るのでしょうか?