私は茨城県の生まれで、両親とも茨城育ちで、それゆえ、特に言葉には、茨城なまりの影響を受けているそうです。
これは、結婚してから、神奈川生まれで神奈川育ちのひなに指摘されて気がつきました。私のイントネーションは、私の母親にそっくりなのだそうです。
私は、私自身のアイデンティティを、近畿に求めていた時期もありました。でも、大学で奈良に行って、中学の同級生(兵庫育ち)達と再開して話してみてよくわかったのは、私は関西人にはなれない、ということでした。
なぜか。
まず第一に、吉本新喜劇が分からない。分からないというか、笑えない。あれを見て腹を抱えて笑えない自分は関西人失格である、と。
あと、カレーうどんが、関東風の方が好き。奈良のカレーうどんは、うどんの出汁にカレールウを溶かしてあって、片栗粉みたいなので少しとろみが付いていたりする、あれはあれで、美味しいとは思うのだけれど、関東風の、普通のかレールウをうどんに掛けてあるタイプの方が、私は好きなんです。またしても関西人失格。
まあそれだけでもないんですけど、自分のアイデンティティは関西にはないという結論に達して私は、卒業と同時に横浜西口のとある事務所に職を求めて、就職しました。で、神奈川の居心地の良さを知った訳です。神奈川っていうか、横浜ですね、横浜には「よそ者」という発想が希薄という印象を受けたんです。職場の人間関係とか見ていて。あちこちから人が集まって出来ているのが、横浜という町なんだろうなと思います。
話が逸れて来た。
話が前後しますけれど、私、7歳から14歳まで、兵庫県西宮市で育ったんです。だから西宮は心の故郷。時期的に言うと、1973年から1981年までの間、西宮に居たんです。もう物心ついた時期ですから、多少なりとも当時の記憶というのはありまして、その中で一つ、これは確信を持って言えることですが、1973年頃、つまり今から43年くらい前には、関西には既に「恵方巻き」の習慣があったけれど、私の両親はそんな習慣を知らず、「関西には面白い習慣があるもんだね」などと話していたのを覚えています。もちろんうちでは恵方巻きは食べませんでした。
それがここ20年くらい、丁度コンビニエンスストアが全国のかなり隅々にまで浸透し終えた時期と重なるんじゃないかと思うんですけど、関東というか、全国的に「恵方巻き」を食べる習慣が普及して来ているような気がするんです。だから何だと問われると、特に何もないんですけど、ただ、43年前には、関東地方には、恵方巻きを食べるという習慣は無かったと思うのです。でも今日、恵方巻きを食べました。南南東を向いて。美味しいわ。