昭和40年代なら託児所が作れたかもとか、竹の子剥きとか


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

あるクライアント。そこは一応会社組織で、スタッフが8人居るのだけれど、一番上の人でも私より若いんです。で、その中の1人が、こんど出産されるとのことでした。

そういえばそんな話、滅多に聞かないな、と思った。
とか言ってるうちだって子供いないし、これからも出来ないし。

ただ、もし今が昭和40年代頃だったら、あのクライアントの従業員の子供だけで「託児所」が作れたんじゃないかと思ったんです。1人2〜3人の子供が居るの、普通だったし。3×8で24人も居れば、経営的にやってけそうじゃないですか。

で、うちに帰ると今度は、90歳の義祖母が一人で、山のような竹の子を前にして(親戚が今朝掘って持って来たという)うんうん言いながら皮を剥いてるんですよ、こんなのも昔なら若い人が何人か手伝って、あっという間に済ませちゃったんだろうけど。95歳の義祖父は、かなり要領の良い輩で、竹の子の山を見てみぬ振りをして、自室に籠っていた。引きこもるな!っていっても、95歳ですからね、しょうがないといえばしょうがないという気もしますけど。ってんで、ひなさんと私が竹の子の皮むきを手伝ったりしたんですが、これも昭和40年代くらいの湯河原だったらまだ大家族とかあって、1人1本向けば終わってたんじゃないかと。子供だけじゃなくて中年くらいの人ももう減ってる訳ですよ。

しかしまあ、結局のところ少子化とか高齢化とか言っても、竹の子剥きくらいで問題が済んでいるうちは、まあいいじゃん、とか思ってみたり。