結局、自分は何がしたいのかと。


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

東日本大震災&福島原発事故以来、ネットを見る時間が増えた。
twitterとかmixiとか、Google Newsとか。
何か、こう、新しい情報はないか、朗報はないかと渇望していて、そして結局何も満たされないまま時間だけが過ぎて行く、みたいな。

で、それが何かの役に立ったかというと、何の役にも立っていない訳です。
他人のためになっていないのは当然として、自分の収入にさえなっていない。

結局自分は何がしたいんだろうかという気がして来た。何をしたいかという以前に、何にも出来ないなあという絶望感も強い訳ですが。

石巻で被災した人が、こう言っているそうです。
非日常と日常が入れ替わってしまった、と。
目の前に、津波でぐしゃぐしゃになった(元の)町並みがあって、もう、それが、とても現実には思えない。今、夢を見ていて、ふと目が覚めたら朝になっていて、いつもの毎日が始まるんじゃないかと。でも、逆なんです。避難所で目が覚めると、家も持ち物も何もかも(津波で)流されてしまって、何も無い現実がある。目が覚めると、夢にも考えたことの無い非現実的な現実に直面してしまう。

でも、石巻だけじゃない訳です。
ノルウェーの研究機関が公開している放射能の拡散予測データとか見てると、もう、日本のどこにも「元の静穏な日常」なんてないのです。
下手をすると、世界のどこにも、になるかもしれない。
ほとんど綱渡りでここまで来て、結局、ちゅどーん、となるかもしれない。
自分たちでコントロールすることの出来ないテクノロジー、オーバーテクノロジーによって人類滅亡って話が、馬鹿馬鹿しい非現実的な話とも言い切れなくなって来ている。

何かもう、本当に、真面目に暮らしているのが馬鹿馬鹿しくなってきてしまう訳です。
じゃあ、結局自分は何をしたいのだろう?と。
1日2本もアイス食べたりしてるんです。
そんなことしか出来ないんです。

もう遅いから寝る。