これはある種の「敗戦」かもしれない


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

クライアントで、宮城県石巻市に両親が住んでいる、という人が居る。
その人から見せてもらった写真は、正直、「どれも同じ」に見えてしまうほど、原型をとどめないまでに破壊された街(の跡)だった。
阪神大震災の時でも、これほど広範囲に破壊されたケースはなかったかもしれない。
とりあえず(という長閑なことを言っている場合ではないが)、義援金を少し送ったほか、被災者支援に関連する作業(あまり具体的に書くと、特定の支援物資が一箇所に集中してしまうなどの弊害が予想されるため、このあたりは曖昧に書くことにする)をさせていただいたが、私ごとき小市民のお手伝い程度で立ち直れるレベルのダメージではないのは明らかだ。

そして、それだけではない。
今、福島が大変なことになっている。

坂本龍一がツイッターで「とにかく、どんな手段を使ってでも目の前の危機をなんとかおさめよう。その後、よりリスクの少ないエネルギー源を国民の総意で選ぼう!!」とつぶやいて(叫んで)いるのだけれど、今、「どんな手段」って、何が出来るだろう?何が残されているのだろう?(坂本龍一を責めている訳ではない。ただ、単純な疑問として。)

これはもう、戦争をやっているようなものではないかという気がしてきた。
優秀な人材の命を削って、なけなしの資源をかき集めて、そんなところが先の大戦を連想させる。
勝って得られるものなど何もない。もう引き分けというレベルも無理だろう。それもみんなが知っている。知っているけれど言えない人の方がまだ多い。
実際のところ、良くてちょい負けくらい、万一「大負け」すると、世界を巻き込んで人類存亡の危機。
こんな愚かな戦争、誰が始めたのか?それは他でもない、私たち自身だ。私たち自身が発端なのだ。それが民主主義というものだから。

第二次大戦の時には「国破れて山河あり」だった。今、山河そのものが、運が良かったとして半径数十キロ、場合によってそれ以上、永久に人の住めない国土になろうとしている。

昨日、毛虫の大群に襲われるという夢を見た。大群の中から一匹が腕に這い上がって来た。私は悲鳴を上げた。
しかしなぜか私は、「毛虫はマッチの燐のニオイが嫌い」ということを知っていた。たまたま近くに民宿のような建物があって、そこに入って行って、マッチ箱を見つける。私はマッチをばらまいて毛虫を追い払った。

その夢のように、綺麗さっぱり物事が解決してくれるとよいのだが。

夢から覚めたあと、布団の中で、右手にふわっとした感触があった。
「ケムシ!」
と思って払いのけたら、(猫の)朔ぴょんが「ぎゃあ」と怒った。