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初夢


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鉄道模型がたくさんある部屋に居た。
その中に、誰かが「天賞堂のC58」を置いていった。私は興味を引かれて、それを分解してみた。
すると中からなぜか「32MB」(GBではない)のコンパクトフラッシュが出てきて、そうかこれにサウンドデータが記録されているのか、と感心する。
天賞堂のC58は真鍮で出来ていて、さすがにこれは質感・量感とも凄いなあと思ったりする。
そして、組み立て直そうとしたら、直せない。どうにもこうにも、元に戻せない。やればやるほどバラバラになっていく。困ったなあ……

というところで目が覚めた。これが平成31年の初夢。
この夢に、意味はあるのだろうか?

横浜出納事務所にアルバイトで着任する初夢


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2017年の初夢は、次のような内容であった。

私は神奈川県横浜出納事務所という県機関に、非常勤職員(要するにアルバイト)として着任することになった。で、早速仕事を引き継ぐ。実は私は、かつて横浜水稲事務所に正規職員として勤めていたので、出納事務所の仕事に関しては一通り理解していた。それで、非常勤職員ながら、経理の細いことに突っ込みを入れようとしたりして、「おいおい君はアルバイトなんだからそこまでしなくていいよ」みたいに、逆に注意を受けたりしていた……

……という夢だった。
ちなみに横浜出納事務所というのはかつて横浜市内に実在していた県機関で、そこに私は大卒の新採用職員として着任したのが1990年のことだった。ろくに研修もなく、新卒すぐに経理書類の審査をやれという、無茶な仕事を任されて、しかも毎晩10時まで事務所で仕事をしているという、本当に大変な職場だったのだが、「横浜出納事務所に再び着任する」という夢は、数年に1回くらい、今でも見てしまう。それだけ強烈な思い出だったということなのだろうとは思うけれど、しかし、何も初夢で見なくても……

クリスマスに見た夢


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もう今日は28日で、ヤオハンの売り場もクリスマスからお正月対応に模様替えが終わっていた。とはいえまだサンタピカチュウは現れる。こちらは29日までやっているらしい。今朝、トイレにスマホを持って入ったら、うちのトイレにサンタピカチュウが現れた。さすがに写真を撮るのは控えたが、なんだかんだ行ってサンタピカチュウは2〜30匹捕まえているのではないかと思う。

それはそうとして、今年のクリスマスに見た夢は、実は、よく覚えていない。何か、次々にいろいろな不思議な現象に遭遇する、というような夢だったと思う。ただ、夢から覚める直前に、なぜか解説者のような人が現れて、次のようなことを言った。

(1)まず、これらは夢である。
(2)この夢の意味するところは、次の通りである。
 ワグナー、またはパックナーという名前に縁がある。
 (私は)今の道をそのまま行くのがいい。

そして、なぜか解説者は賽銭箱を指差した。その賽銭箱には「純」と文字が刻まれていた。「これがあなたを示す文字です」とのことだった。

この夢の意味するところは、結局のところよくわからない。

南北北斗と南玲子


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昨夜、奇妙な夢を見た。

とにかくすごく面白い内容の小説の原案を思いついて、その登場人物の名前が「南北北斗」と「南玲子」という名前だというのだ。

そこで目が覚めて、というか、無理やりに起きて、パソコンを立ち上げ、ふらふらになりながら「南北北斗」と「南玲子」という名前を打ち込み、再び寝た。

再び寝た結果、一体何が面白い小説だったのか、さっぱりわからなくなってしまった。
南北北斗、南玲子、君たちは一体何をしたというのだ?

君の名は。に影響された夢


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昨日「君の名は。」を観てきたら、早速影響を受けた夢を見た。

まず、夢の最初の方で、RADWIMPS風の音楽が掛かっていた。
私はなぜか「君の名は。」のSS(ショートストーリー、サイドストーリー。主に同人が書く自主製作の小説)を書くということになって、その書き方というのが、

「石灰岩をくりぬいて作った細いトンネルの中を、シューっと滑っていく」というものだった。
(それがどうして小説の執筆になるのかは意味不明)

曲がりくねった細いトンネルの中を、くねくね曲がりながらシューっと滑っていくと、最後に、ちょっと穴が狭くなっていて、「こんなとこ通れるんかいな?」と思いながらも、足の方から体を滑り込ませることに成功する、と、すぽーん、と、地上に出た。
そこは横須賀市走水地区(走水=はしりみず=地区は実在の地名、ただし、夢の風景は実際とは違っていた)で、ラーメン屋があった。(これは「高山ラーメン」に影響を受けたっぽい)。少し歩いていくと「飛騨山王神社」という神社があったが、私はそこには寄らずに、ぐんぐん歩いていく。やがて漁港のようなところに出て、そこではおじさんたちが獲った魚を並べていたのだけれど、透明なエイが2匹いて、私はつんつんとエイを突っつく(注:実際のエイは透明ではないですが、猛毒があるので触ったらダメです)。そうしているうちにツルッとバランスを崩して、もう1匹のエイを踏んで仰向けにひっくり返る。(口噛み酒を飲むシーンの影響?)
そこには既に、同人誌を読みたがっている男性が数人居て、何かしらその人たちと会話を交わすのだけれど、私はなぜか「千葉県柏市から来た」と、自分のことを説明する(実際、育ちが柏市なんです)。
それで話しているうちに、どうやら時間軸がずれているっぽいなあという気配を感じる。
そして、ふらふらと歩いているうちに、着いたところは、やはり海辺なのだけれど、その間に私はどうやら、時間軸と地上の座標軸を飛び越えてしまったらしい。沖に大きな船が停まっていて、船の側面にはハングルで何か書いてあった。近くにいたおじさんたちに尋ねると、ここは韓国の、北朝鮮との国境の近くの海だという(なぜか日本語が通じた)。その人たちに「今、何年ですか?」と質問すると、2013年だという(このあたりはモロ影響受けてる)、それで、実は私、2016年の日本からやってきたんです、と答えると「その時、為替はどうなっている?」と質問を受ける。「えー、為替ですか?ウォン円レートはわからないです、ドル円レートなら1ドル102円くらいですけど」と答える(注:これを書いている2016年10月21日午前10:45時点で、103.55円)。
するとおじさんたちは「よっしゃあ!円買いや買い!」と喜ぶのであるが、私は「これ犯罪になっちゃうからこっそりやってくださいね」とお願いしている……うちに目が覚めた。

とりあえず「君の名は。」の影響を受けた夢らしいけれど、海が出てくるところとか、全然違うし、相変わらず意味不明な夢を見ている。

びるんびるん、しぽっ


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2週間くらい前に見た夢。

私は日吉駅から地下鉄に乗ろうとしていた。日吉にはミニサイズの地下鉄が来ているのだが、その地下鉄は人間が寝そべって乗るくらい小さい。建設費を抑えるために、トンネルから車輛から駅から、全てが小さく作られているのだ。その地下鉄の駅は、人間が立って歩けないくらい狭く小さく作られているため、人間はベルトコンベヤーのような装置に乗って、自動的に車両に乗せられる仕組みになっている。

改札を通ると私は、まず地下ホームへの入り口に出る訳だが、そこから先がベルトコンベヤー式になっている。丁度ボーリングのボールが出て来るところのように、トンネルの中ではベルトコンベヤーのベルトが、びるんびるんびるんびるんびるん、と、波打ちながら回転していた。そのベルトコンベヤーの穴に、足元から入ると、勢い良く吸い込まれた私は2〜3のコンベヤーを乗り継ぎながら地下のホームにたどり着く。そして、停車している車両に、寝そべった状態で「しぽっ」とセットされる。

・・・

日吉駅=東横線と横浜市営地下鉄=にミニサイズの地下鉄が来ているのは事実だが、夢ほど小さい地下鉄がある訳もない。この夢が何を意味しているのかは不明だが、多分、何の意味もないだろう。

公務員を辞める夢


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夢の中で私は、常磐線横浜駅から朝のラッシュの電車に乗ろうとしていた。

「既にこの時点でおかしい」わけです。常磐線横浜駅って何だよって。しかし、それは夢で見てしまったものは仕方ない訳です。

で、横浜駅はなぜか我孫子駅に似ていて、それで、やってきた電車はエメラルドグリーンの103系な訳です。それ20年以上昔の風景。今はE231系とかE531系とかがピカピカでやってくる訳ですから。

で、もの凄い混雑でドア間際まで一杯になっている電車に、後ろ向きに体をねじ込む訳です。カバンの中にはPCが入って居て、これ、押されて大丈夫かなとかちょっと心配しながら、「後ろ向きにねじ込む」といったあたりには、実体験が反映されているなあと後で思ったりしました。

でも、私は何かを間違えてしまって、上りに乗らなければいけないのに、下り電車に乗ってしまったのです。あー、次の川崎で逆向きの電車に乗らなきゃなあ、とか思ったりして、それって、もう、列車の上下から乗り降りする駅まで、何もかも無茶苦茶な訳ですが、そういう夢だったのです。

で、そんな電車に乗る直前に、「そうだ、公務員を辞めよう」と思い立ったんです。
「あと5年頑張って、それでダメそうなら辞めたらいい」と。そうだ、辞表を出すのはもう少し待とう、と。

現実は、20年前に辞表を出して仕事を辞めていた訳ですが、その時には「5年待つ」なんて発想はなかったです。

で、全然関係ないんですが、今日、小田原警察署の職員の方(私服の警察官)が事務所にいらして、何だろうなと思ったら、4月の事件の聞き込み捜査なんだそうです、で、事件の日にどこにいたかとか、あと、ちょっと力を入れて訊ねられたのが「何か事件に関する情報、噂のようなものでもいいので、情報があったら教えて下さい」ということだったのですが、うち、事件のあった時間には寝ていましたし(サイレンで目が覚めた記憶はある)、噂も何も、うちには元々あまり地元の情報って入らないので、話のネタが尽きかけたんですが、そういえば飯田商店って凄いですよねえ、と、警察の方が言うんです。
その人は、一度だけしか飯田商店に行けてないというんです。
なぜかと聞いたら、最近飯田商店の混雑が激しくて、昼休みの時間に行っても間に合わないんです、と。
それで、平日の午後2時過ぎだと空いてますよ、と教えたんですが、「それはちょっと・・・」というんです。どういうことかというと、こうして聞き込み捜査をしていると顔が知れ渡ってしまって、公園でタバコ吸ってるだけでも「あいつ仕事サボってタバコ吸ってる」とか言われかねないとかで、色々日常的な行動にも気を遣うそうなのです。それで、飯田商店も、昼休みならともかく、2時とかに行くと、「あいつは仕事をサボってラーメン食べてた」とか言われかねないんです、と。公務員に限らず、サラリーマンって、考えて見ると、昼休み以外の時間にラーメンを食べるなんてことは、許されてない訳です。「何だか辛いお仕事ですね」と同情した次第です。

東京駅改装の夢


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昼寝というか、不覚にも昼間に寝込んでしまって、それで見た夢。

私は東京湾岸に来ていた。湾岸なので海岸線は整備されており、歩道があった。その歩道を歩きながら、ふと私は、とてつもなく大きな船が泊っているのを見つけた。それは多摩川の川崎側で(このあたり意味不明)、大きなビルの横に、真っ赤な喫水線を見せて巨大な船が泊まっていた。それで私は、これは写真に撮らねばならないと思ってオリンパスPEN(今使っている、デジタルのPEN Lite)を取り出して、液晶画面一杯に船を捉えてシャッターを押してみた。

それから私は向きを変えて、東の方へ歩いて行った。するとそこは東京駅の丸の内口で、駅舎は何やら細い角柱状の素材でリニューアルしていたのだが、それが完成したところだった。駅前は広い砂場のような平地に整備されていた。
そして、駅の中央の屋根の上から、老人の小人が顔を出してVサインを見せていた。それで私はこれも写真に撮らねばと思い、レンズをズーム端に伸ばして小人を撮影する。青空をバックに小人が撮れた。しかし危ないなあ、落ちたらどうするのだろう、と私は思っていた。
すると急に空が暗くなり、深い紫色の夕闇が降りてきた。そして東京駅の駅舎はライトアップを始めた。その駅舎の南口は、太陽をインスパイアした丸い、岡本太郎チックなオブジェが支配しており、その駅舎の北口は、月をインスパイアした三日月型の、やはり岡本太郎チックなオブジェが支配していた。
そして、北口のオブジェが私のところに降りて来て、金属で出来た手で、私のお腹や手を指差して、何か命令をしているように見えた。私は不愉快に思って無視していると、やがてオブジェはどこかへ行ってしまった。しかし続いて南口の太陽のオブジェがやってきて、こいつは強力で、私を証券会社に連れて行ってベンチャーキャピタルから金を借りる手はずを勝手に進めようとしたり、巨大なオフィスの賃貸借契約を結ぼうとしたりし始めた。私は「俺はそんなことやりたくない!そんなことやりたいんじゃない!」と叫び、太陽のオブジェを振り切ろうと必死になるが、太陽のオブジェは強力で、喰い付いてなかなか離れない。
だが、街路樹のある通りを歩いているうちにふと太陽のオブジェを振り切ることに成功して、私は、ほっとした。そして次の瞬間、なぜか私は黒くて薄っぺらいベッドの上に横たわっていた。そこはオフィスのような、ホテルのロビーのような空間で、銀色の鏡で包まれた部屋だった。なんだかわからないけれど助かったようだ、と胸を撫で下ろしたのもつかの間、次の瞬間、私は、銀色の角柱が出たり引っ込んだりするオブジェに組み込まれ、「ひゅー、ひゅー、ぼぉん、ひゅー、ぼぉん」とかいう歌(?)とともに、オブジェの中でざくざくに刻まれながらオブジェとともに出たり引っ込んだりを繰り返すようになってしまって、「これは岡本太郎本人の仕業だ!」と叫ぶのだが、どうしようもない・・・・・というところで、「4時だよ、4時だよ」との声で目が覚めた。ひなが起こしてくれた。

最後の、ひなが起こしてくれたところ以外は、全部夢です。

8/25にみた、北海道の夢


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一昨日に見た夢。

そこは北海道だった。まだ青函トンネルはなく、連絡船を函館で降りた。
そこから普通列車に乗ったのだが、私は梱包されていて、荷物室のようなところに転がされていた。車端の壁の上の方に「キハ24 302」と書いてあった。それはおかしい、キハなら荷物室はないはず。第一キハ24て何だ?(注:実はキハ24という形式は少数ながら実在していたことがあって、それも北海道仕様の車両だったが、夢に出て来たのはキハ22に似た古めかしい雰囲気を醸し出していた車両だった)。

やがて通路から森山大道さん(有名人の名前を勝手に使ってすみません、でも本当に夢に出て来たんです)がやってきて、コンパクトカメラで写真を撮っていた。それで、そうだ北海道に来たんだし、こんな荷物室みたいなところに乗れたのも滅多にないことだろうから写真を撮ろう、と思って、腰のキャリングケースからcontax t2を取り出して、それでファインダーを覗いて見るのだが、画像がぼやけていて何が見えているのかよくわからない。それでもAFだしとにかく押せば写るんだ、と思ってシャッターを切ってみたが、何か今ひとつ感触がない。

キハ24 302は、よく見て見るとその壁の左下隅の方に小さく「オニフ101」と書いてあって、そうかこれは改造車なんだと納得した(注:この納得には、根拠は全くありません。そんな改造も形式もありません。ただ、夢ですから)。

それからしばらくして列車が走り出したのだが、DMH17系のざわざわというエンジン音と、DT22系のごつごつとした乗り心地に、「これは夢ではない!夢ではない!」と、私は確信した・・・といったあたりで目が覚めた。

あのDMH17系のエンジン音とDT22系の乗り心地は、とても夢には思えないリアルなものだったが、最後にキハ20系に乗ったのは、もう20年くらい前になるかなと思う。

弘前の夢


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今日の昼、どうしても眠くて仕方がなくて、昼寝をした。
そうしたら抗鬱剤の副作用かもしれないいつもの悪夢、全身が痺れる夢を見た。
痺れながら私は、青森県の弘前駅に居た。夜のまだ早い時間。あたりは暗かった。
といっても夢の中の弘前駅は、改装前の山形駅に似ていたような気がした。

その弘前駅の窓口で、私は駅員さんに質問する。
「今夜のあけぼの、空席ありますか?」
駅員さんは、今夜は満席です、と答えた。

それで私は仕方ないなと思いながら、駅前を歩いて宿を探すことにした。ビジネスホテルくらいはあるだろう、と。駅の目の前に民宿があった。それで、ここでもいいかなと思ったけれど、ここは駅前の一等地で高いだろうから、少し歩いてみることにした。
駅前広場から向かって右手に延びて行く道を歩くと、そこは寂れていた。それでこちらは表通りじゃないんだなということで引き返して、駅前広場から左手に伸びて行く道を歩いた。するとそこは昭和の商店街のような雰囲気で、民宿も何件かありそうだった。

その間ずっと私は全身がじわじわと痺れていた訳だが、ふと気がつくとあたりは明るくなっていて、私は再び弘前駅に居た。それでここの時空は普通じゃない、何かおかしいと思って駅の時計を見てみると、針式の時計が10時10分頃を示しているのに、デジタル時計は8:56の数字を示していた。いつの間にか私は翌日の時空に来ていたのだ。それで私は再び駅の窓口に向かい、駅員さんに尋ねてみた。「今日のあけぼのは空いてますか?」と。駅員さんは、今夜は満席です、と答えた。

私はこの時空は正常ではない、そもそも今、何月何日なんだ、と思って、それで、駅前の本屋(平屋建て)の店頭で時刻表を探した。そうしたら、時刻表だと思った本は何かの雑誌て、その最終ページが時刻表の広告になっているというものだった。その近くに小型の時刻表があったので手に取って見ると、その時刻表の奇妙さに驚いた。その時刻表は「宝塚・神戸中心の時刻表」だった。なぜ弘前でこんな時刻表を売っているのだ?と思ったが、手に取って見ると東北の列車の時刻も主な列車は載っているようだった。その時刻表は「3月号」とあった。ということは今は1月頃か?と考えた。

私は再び宿を探すことにした。駅前の民宿は、昨夜(の時空)では気づかなかったけれど、三角形をした、日比谷野音のような奇妙な建物だった。ここにしなくてよかったと思った。それから商店街を奥の方まで歩いて行くと、やたら品数の多い八百屋などがあった。さらに進むと床屋が軒を並べている一角に出た。一体ここは何なんだと思っていたら、目が覚めた。

今思うと、弘前って、新青森まで行ってそこから新幹線に乗れば、半日で帰って来れるんですね、でも夢の中の私は、まだ新幹線が盛岡までしか出来てなくて、盛岡から東京まで3時間半かかって、まあそれでも一日あれば帰って来れる訳ですけど、何だか一日では帰って来れない場所というイメージがあったみたいです。

1に異性、2に版画、34がなくて、勉強は5未満だ!という夢


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今朝見た夢。
その夢の中で私は中学生なのだが、なぜか「過去の経験則」というような知識を持っていて、同級生・・・その同級生もなぜかまた自分・・・に向かって説教をする。
曰く、

「1に女の子、2に版画だ!3、4がなくて、勉強は5未満だ!」

と力説していた。

そして、私は(夢の中で)目が覚めた。(つまり、「眠っていて目が覚める」という夢、を見た。ややこしいことに)

で、(夢の中で)目が覚めた私は高校生で、「そうだ!素晴らしい夢を見た!まず女の子だ!好きな子に告白するんだ!それから、消しゴムで版画を彫るんだ!器用なことは重要だ!勉強なんてどうでもいい!」と、深く納得するのであった。

・・・というところで、今度は本当に、眠りから目が覚めた。
そして私は「そうだ!素晴らしい夢を見た!でももう47歳じゃないか!」と憤慨していたが、女の子に関してはひなが居るのでいいじゃないかと思った。あと、版画は、昨日の夜にひなと「春の湯河原美術展に版画を出品しようと思う」という話をしていたから出て来たのかもしれないけれど、消しゴム版画ではなくて木版画です(ただし葉書サイズ。でも額装はします。)

勉強はねえ、もう、勉強してもどうせ頭に入らない歳になっているし、過去に置いてもあまり勉強をしなかったので、これもまあ、概ね正しい道を歩んでいるような気がする。

高校受験の時少しと、あと、大学受験の時、「英語1」の薄い問題集を途中くらいまでやったかなあ、あ、でも一般推薦取るため、高校3年の1学期の定期試験だけは全力を挙げた。

とか言っても、地理と現代文こそハイスコア取れたけど、英語とか散々で、世界史も60点くらいしか取れなくて、1学期の成績はクラスの中の成績順で中間くらいだった。私の頭なんてせいぜいそんなもんです。
地理は鉄道趣味の延長、現代文も鉄道雑誌の読み過ぎ(あと新聞も三面記事を中心に割と良く読んでいた、一面とか社説とかはあまり読まなかった。朝日と日経。)だからやっぱり勉強なんかより、女の子に告白することに力を入れる事に、もっと力を割くべきだったかなあと(告白しなかったことは後悔している)、しかし、47歳にもなってなんちゅう夢を見とるんじゃいとか思ったりして、あ、でもひなさんにだけは30を過ぎてから告白したから、これはOKか。

支離滅裂な夢を見ると、支離滅裂な日記になってしまう。

夢について補足しておくと、アナフラニールを完全に止めて2週間くらいになるけれど、全身が痺れて頭が「ギーン」と鳴る苦しい夢は、全然見なくなった。前はしょっちゅう見ていた、アナフラニールを1日100mgに増やしてからは特にそうだったと思うのだけれど、今は、アナフラニールを減らしてアモキサンを50mgから75mgに増やして、それは最初は寝ても起きても何だか凄く苦しかったけれど、今は「ちょっとハイになるかな」くらいになっている。あ、これ、私の個別の症状で、誰にも共通する現象かどうかは分かりませんので、そういう例もあるのかもしれない、くらいに読んで下さい。(アナフラニール 夢、とか、アナフラニール 悪夢、とかのキーワードで検索してこのページに到達された方へ)。

アナフラニール、インデラルと悪夢


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今日、クリニックの日。
最近、というより数年前から、悪夢を見ることが多いので、主治医に相談してみた。
正確に言うと、数年前というより、抗鬱剤「アナフラニール」を飲むようになってから、悪夢を見ることが多いことに、最近になって気づいた。抗鬱剤は今、アナフラニールとアモキサンを飲んでいて、最初は「アモキサンを増やすと悪夢を見る」と勘違いしていたが、最近ふと、そういえば「アナフラニールを飲む前はこんなに悪夢は見なかった」ということに気がついた。

悪夢というのは、具体的には「体がビヨーンと伸びてぐるぐる巻きになる」とか「裸で空中に浮きながら移動して(リニアモーターカー?のように)、そのうち全身が硬直して電流の中に投げ込まれたような感触に襲われる」とか、まあ、書き出して行くときりがないのだけれど、全般的に意味不明でかつ不快で苦しいものが多い。いちいち記録していないので悪夢の記録はこの辺にしておく。

で、そういえばネットがあるじゃないか、というので「アナフラニール 悪夢」で検索してみたら、何と、アナフラニールだけでなく、その副作用止め(体がふらつく上に脈が上がる)として飲んでいるβブロッカー「インデラル」までが、添付文書に副作用として「悪夢」が記されているらしい。そりゃ悪夢も見る訳です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E5%A4%A2

もっと早くに気づけば良かった。

3人で楽しく過ごす夢


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今朝は早起きした。

江ノ島に出張する案件があって、それが、「現地に行ってみないと分からない」要素を含む案件で、果たして作業がいつ終わるか、下手をすると今日中に終わらないんじゃないかと思われた仕事だった。その依頼が来た時から憂鬱だったが、憂鬱のピークの中で、仕事に行って来た。そうしたら予想外に問題は早く解決して、昼前に湯河原に戻って来ることが出来た。

今朝の東海道線は、国府津で停電があったとかで、早川あたりから徐々に遅れが出て、藤沢に30分くらい延着した。だが今朝遅れが出ていたのは東海道線だけではなかった。最近の東海道線は、車内に、他の各路線の支障状況がLEDの文字盤で表示されるが、それによると、中央・総武線で車両点検で遅れ、東海道線の遅れの影響で湘南新宿ラインも遅れ。東京メトロの丸ノ内線が、池袋ー茗荷谷間の「システム障害のため」遅れ。鉄道の「システム障害」って何だ?と思ったが、今時の首都圏の鉄道はコンピュータで管理されているから、そういった関係のトラブルがあったのかもしれない。しかしよく分からなかったのが京浜急行で、黄金町駅で「車内トラブルのため」遅れているという。車内トラブルって何だ?喧嘩でもあったか?急病人か?ともかく、今朝は首都圏のあちこちで、憂鬱な朝の通勤時間が流れていた。

そういう訳で、今朝は、元々予定されていた自分の仕事と、東海道線の遅れと、二重の意味で憂鬱だったのだけれど、今朝起きた時、ひなが私に話したことが心に残っていて、それについてぼんやりと考えながら電車の中での時間を過ごしていた。それは、「豆(私)と朔ちゃんと私と、3人で楽しく過ごす夢を見た」ということだった。

最近、私は機嫌が悪い。私もいよいよこの歳になって、もう夢がなくなってきたなあ、と思うようになってきた。小説は去年から湯河原文学賞、電撃大賞、北日本文学賞と連続でスカした上に、今回またもやGA文庫大賞でスカしたばかりか「評価D」を貰って思い切り凹んだ。写真家として有名になる線も、もうないだろう。アサヒカメラ.netに2回入選したことがあった程度で、それも、選者の方が替わられてからは私のようなストレート過ぎる写真はあまり受けないのか(それを責めている訳ではありません)、コンテスト荒らしにさえなれない有様だ。ベンチャーで一山当てる可能性はゼロに等しい。大金を掴む大商いは、私には無関係だろう。宝くじとかギャンブルとかそういうのは、当たらないに決まっているということを20代の頃に痛感しているので、もうやらない。もう何と言うか、私には夢もへったくれもなく、しょぼくれて歳を取って行くことだけしか出来ないんじゃないか、と。

しかし、それは違うんじゃないかと。ひなの今朝の夢の話で、そう思い始めた。

私にとっても、「ひな、朔ちゃん、私と、3人で楽しく過ごす」ことが出来れば、それが一番楽しいじゃないか、それが一番幸せじゃないか、と。下手に有名人になどになったら、むしろそれから遠のいてしまうかもしれないじゃないか、と。なら、今のままでいいじゃないか。いや、今のままどころか、もう商売など廃業してしまって、生活保護を受けて暮らしてもいいくらいだ、と。(私の個人芸で受けている仕事があったりするので、実際には廃業はそう簡単には出来ないのだけれど。)無理して大きな仕事をしたりせず、ひなと朔と私と、3人で珈琲を飲む時間などをなるべく作るとか、そういう過ごし方の方が重要なんじゃないかと。

例年、朔は春になると私の布団に入ってこなくなる。蒸し暑くなるのだろう。4月になると、布団の上に乗っかって寝る。でも今年は、割と暖かくなってからも布団に入ってくる。朔も歳を取って甘えっ子さん度が高まっているのかもしれない。

今日も朔が布団に入って来るといいなと思う。

三階でお相撲さんと押し合いをする夢


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数日前に見た夢。

私は高校の修学旅行に来ているのだが、同級生の中に一人、きゃりーぱみゅぱみゅの「ふりそでーしょん」のPVの、最初の一瞬と、途中から最後の方に出て来る、タバコを吸うばっちいライオンオヤジみたいな怪物が居て、そいつはなぜか海辺に突き出した堤防で釣り糸を垂れながらタバコを吸っていた。

(参考↓ふりそでーしょん)

もともとキモイ奴でそいつが嫌いだった私は、先生を呼ぼうとする。「先生!あいつタバコ吸ってます!停学ぶちかましてやってください!」しかし先生がいない。そしてなぜかイチローによく似た同級生がそいつに注意をするのだが、何か酷く侮辱されたらしくて「俺は37歳にして初めてこれほどの屈辱を受けた」と怒りながら帰って来た。(おいおい高校の修学旅行にどうして37歳の同級生がいるんだ?って話はおいといて)
で、とにかくそのキモイ奴からは、粉末のようなフケのようなホコリのようなものがぶわぶわ発散されていて、そいつがいよいよ私に近づいてきそうになったので、もう逃げるしかないと思った私はエレベーターのボタンを押す(そこはいつの間にかホテルのようなところになっていた。)
エレベーターはすぐに扉が開いたが、凄く狭いエレベーターで1人しか乗れない。後ろに「あたしたちの方が先に待っていた」と主張するおばさん2名が居たが無視してエレベーターの「閉」ボタンを押して、最上階・・・といってもそこはたったの3階建てなので、3階のボタンを押した。やがてエレベーターが発進して3階に到着するが、そこは螺旋形の滑り台の頂上になっていた。これは一体何のためのエレベーターなのだ?と私は疑問に思うが、それより何より、その滑り台の上にはお相撲さんが3人もいて、ぎゅうぎゅうになって押し合いへしあいをして、私はあっという間に押し出されて滑り台を滑って1階に戻ってしまう。お相撲さんのうち1人は確かに横綱白鵬だったが、私自身白鵬に恨みはない。
それでそれで、1階にもどってしまったら「またあのキモイ怪物がやって来るではないか!」ということで、私は慌てて1階の食堂のようなところに飛び込んで、そこから従業員用の通路を通って・・・

なんかそのあとよく分からない路地のようなところを逃げ回っていたような気がするのだけれど、何しろ数日前の夢なので、続きを忘れてしまった。

最近に始まったことではないが、訳の分からない夢をよく見る。

京都でバチが当たる夢


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夢の中で、そこは京都だった。

京都の込み入った路地を曲がって行くと、裏手からその不動産屋に入った。そこは不動産屋なのだが、和風建築の3階建てで、1階には2つのカフェが入居していた。
不動産屋は「神田」という名前の不動産屋で、その中にカフェがあるなんて「凄いじゃん、神田珈琲園みたいじゃん」と驚いた。
カフェのうち、通りに面した1件はオープンスタイルで、明るい感じだった。
その隣にあるのは、細長いカウンターだけのカフェで、いかにも美味しそうな珈琲を出しそうな雰囲気のある、白熱電球に照らし出されたカフェだった。
(私は時々、「とても美味しい珈琲を出すカフェ」の夢を見る。)

不動産屋には三階があり、そこは何か不思議な宗教施設になっているとのことだった。そこで、一緒にいたひなと、ひなの友人のりえさんが、突然階段を駆け上って3階に向かって行った。私も後を追いかけて行った。
ひなとりえさんは、3階の屋根裏にある太い鴨居からぶら下がっている数本の紐を見つけて、それにぶら下がって、ぶらんぶらんと、ぶらんこのように遊び始めた。すると、バーンという大音響がしてブランコが樽のようなものにぶつかり、3階から樽が落ちて行った。
そうしたら頭つるつるで袈裟を着たお坊さんがやってきて大いに怒っていた。そういうことをすると大変なバチがあたるということだった。
やがて巫女さん(ここはお寺?神社?よくわからない)がやってきて私たちを1階に案内し、すると1階にはいつの間にかおみくじ売り場のようになっていて、おみくじの箱に「七十日間ステーキを食べてはならない」「七十万日間さいころステーキを食べてはならない」「七ヶ月間焼き肉を食べてはならない」と書いてあった。どうやらそれが「バチ」らしかった。
だが、それだけでは済まなくて、その宗教施設が運営している、病気の人を助ける施設のようなところで、ひなとりえさんは働かなくてはならないという。
そんな無茶苦茶な、と、私はひなを助け出そうとするが、人並みがわらわらと涌き出して来て、私は不動産屋(宗教施設?)の外に押し出されてしまう。
するとそこでは京都の祇園祭をやっていて、足の踏み場もないほど通りが混んでいて(そういえば祇園祭の山鉾はなかったが、なぜかそれは祇園祭ということになっていたのだ)、私はその上をクロールで泳ぐように空を飛びながら浮かんでいるのだが、どんどん不動産屋から遠くに押し流されてしまう。
やがて気がつくと私は阪急嵐山駅の近くまで来てしまっていて(そもそも祇園祭は嵐山ではやらない)、そういえば阪急嵐山線には710系が走っているななどと思いながら(今は6300系でしょう!いつの話だ!)、何とかしてひなを助けに戻ろうとするのだが、こんどは人並みに加えて近所の川が氾濫しはじめて、ますます私は押し流されてしまう。私は通りの家々の軒を掴みながら、空中を泳ぎつつ、なんとかして不動産屋を目指そうとする。すると右の横腹に激痛が走り、よく見るとブリキ板をネジ止めした横腹がはがれそうになっていて、これは母屋で飼っている猫の「くま」が悪いことをしているのだと、私は察知する・・・

・・・というところで目が覚めた。
薬を変えたせいか、支離滅裂な夢をみることが多い。

「五條みいみい」から「みいみい北」まで2キロの渋滞


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最近体調が悪い。
薬を変えたのだが、もしかしたら強すぎるのかもしれない。
変な夢を見る。
金縛りのような、しびれのような夢。
あと、昨日は「ラジオの交通情報の夢」というのを見た。
それによれば、「みいみいインターナショナルリゾート」というところが凄く人気で、

下り線は「五條みいみい」から「みいみい北インター」まで2キロの渋滞
上り線は「みいみい南インター」から「中央みいみい」まで4キロの渋滞

何だ、上下線とも混んでんじゃん、という夢だった。
ラジオの交通情報だから、映像はない。映像のない夢というのがあるのかと問われそうだが、実際、そうだったのだ。

このところ思うことは、もうこの歳になって有名人になってブレイクすることもないだろうし、ただの大金持ちになることもないだろうということだ。
それでもひな朔が居ることで充分幸せに思うし、これでいいのだろう。

最近、体調が悪い。

朝ラッシュの電車が満員で乗れない夢


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今朝、また訳のわからない夢を見た。

私はサラリーマンで、通勤に電車を使っていた(注:実際、20年前はサラリーマンで、ラッシュの都心を通過していました)。上野駅で常磐線を降りて、地上ホームから日比谷線に乗り換えようとしたら(注:日比谷線は上野駅の地上ホームには乗り入れていない。地下。)、日比谷線のホームが異常に空いている。それでおかしいなあと思っていたら、そのホームは「到着する電車が入るところ」だった。つまり、そこからは乗れないのだ。で、乗車用ホームに行ってみたらもの凄い混雑で、階段からは切れ目なくスーツ姿のサラリーマンが出て来て、大混雑をしているのだ。発車を待つ電車は全て、隙間がないくらい満杯で、もはや体を入れることが出来ない。次の電車も、その次の電車も満杯で乗れない。そうだこういう時には迂回すればいいんだ、と思って、銀座線の地上ホーム(注:銀座線も上野駅乗り入れているが、実際には地下である)、に行って見ると、ここも満杯で、これはダメだと思った。そうだ、半蔵門線に乗ろう、半蔵門線なら空いているはずだ!とひらめいた私は(注:実際の上野駅に半蔵門線は乗り入れていない)、常磐線と立体交差している半蔵門線ホームに向かうが(注:実際にはそんな箇所は存在しない)、半蔵門線がこれまた日比谷線を超える満員ぶりで、スーツが破けて血だらけになっているサラリーマンがふらふらしていた。この人達これから会社に行けるのだろうか?と思いつつも、私はついにここで乗り換えを断念して、常磐線のホームに戻ってみる、すると何と、常磐線ホームも満員になっていて、折り返しで空いていると思っていた電車までが満杯になっているではないか!車両はなぜか「千代田線カラーの」103系1000番台で(注:千代田線カラーの103系1000番台が上野駅に乗り入れた期間は、なくはないがごく短く、私は乗ったことがない)、窓にサラリーマンが押し付けられて顔がゆがむほどの混雑だった。それでも私は無理に乗り込もうとすると、私は大けがをしてボロボロになって駅員さんに担架で運ばれて行く・・・

この夢にどういう意味があるのかについては、全く分からない。

デンキニンゲン


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 体調が悪くて午前中起きられなかった。
 そして、訳の分からないな夢を見た。
 以下、あくまで「夢を見た」話であって、実在のそれらとは全く関係ありません。

 私は抗鬱剤アナフラニールの副作用でビリビリ痺れて(注:アナフラニールは実在の薬ですが、ビリビリ痺れるという副作用はありません)、この状態をなんとかしたいと思って、主治医のところに行って見たが、主治医も原因がわからず、解決しない。それで、別の「コンサルタント」の所に行くと、母が私を生んだ産婦人科の病院に行ってみる必要があるという。
 それは茨城県牛久市にある。
 ところが、そこに行くと、なぜか余計に全身がビリビリと痺れて、何者かが妨害活動をしていることに気がつく。
 そして、その何者かというのは、実は富山県に本拠を置く「ビックグループ」らしいということが判明する(注:実在の「ビックカメラ」とは関係ありません。全然ありません)。それで、私は「デンキニンゲン」という存在に変身して、中学時代の同級生A、W、O、Tとともに5人組を結成して(注:ここに登場する私以外の4人はいずれも頭がいい。それだけは事実)、富山の「ビックグループ」の本拠に飛んで行く(みんなデンキニンゲンなので空を飛べる)。すると富山には、なぜか病院が異常に多いということに気がつく(注:現実の富山県はそんなことはありません)。それは「ビックグループ」の親玉が富山医療界を牛耳っていて、「ビックグループ」にお金を払うと簡単に病院が作れるからだということが、なぜか分かってしまう。富山の中心街に飛んで行くと、そこには「ビックグループ」の経営する日帰り温泉とか家電量販店「ビックカメラ」(注:現実のビックカメラにはそのような親玉団体などはありませんし、富山が本拠でもありません)も沢山あって、私たちは「なんちゅう街なんだ」と呆れてしまう。この街では「ビックグループ」が全てで、「ビックグループ」に逆らっては生きて行けないのだ。(注:この時点で「アナフラニール」の話はどこかに飛んで行ってしまっている)ビックグループはとにかく悪い奴らなので、私たちは「ビックグループの総帥を退治しなければならない」という意見で一致する。しかし、ビックグループの総帥はもう高齢で、ほっといってもそのうち死ぬだろう、問題はその後だ、ということに気づく。総帥が死んだ後、総帥直属の部下が100人居て、その100人全員がまた「悪の親玉」になるだろう、ということだった。「そんな、100人も退治するなんて無理や」と関西弁で同意した私たちは、なぜか青森に行くことにする。
それで、日本海沿岸の鉄道線沿いにビビビビビっと空を飛んで行こうとするのだが、後ろから「急に列車が近づく警報」が聞こえて来た。最初は気にしなかったが、私が「これはおかしい!」と叫ぶ。ここは列車が少ないはず。そんな急に列車が来るなんておかしい!それで私たちは、線路横の溝のようなところに降りて体を隠す。やがて謎の列車がやってきて、すると、ビリビリビリ!ともの凄い高電圧が流れて私たちは苦しむ。もがいたり仰向けになったりして苦しむ。列車は「ビックグループ」が送り込んで来た、私たちを殺すための特別列車で、50両編成だった(なぜ50両と分かったのかは謎)。やがて列車が去って、私たちは溝から出て来て、再び鉄道線沿いに北上を続ける。私たちは時速300キロで北上するので、やがてさきほどの特別列車の尻尾が見えて来る。やっぱりあの列車はおかしかった。タンク車のような貨車を繋いだ編成なのだが、一番後ろから太い電線が下がっていて、ビリビリと高圧電流を地中に流していたのだった。
私たちはもうすぐ青森に着くところまで来ていたが、これは青森もヤバそうだということで、東京に帰ることにする。空を飛んでいるのだから直線コースで帰れば早そうなものだが、実は、私たちはあまり高く飛ぶことが出来ず、また鉄道線沿いに飛ぶことにするのだが、最初、田沢湖線(秋田新幹線)沿いに飛ぼうとするが、田沢湖は有名だからまた「ビックグループ」が待ち受けているかもしれない(注:意味不明)、という訳で、北上線沿いに飛ぶことにする。しかし、後ろから再び「ビックグループ」が追いかけて来る。今度は彼らも空を飛んでいるらしく、私たちが北上山地の森の中に逃げ込むと、森ごと高圧電流で焼き討ちにしようとする。私たちはしかし、空を飛ぶだけでなく、地下をも時速300kmで突き抜ける能力を持っていたので、地上に突っ込み、そのまま北上山地の地下を突っ走って行く(注:最初からそうしろよ)。相変わらず「ビックグループ」からの攻撃は執拗に続いており、後ろから高圧電流を流されてビリビリするのだが、地中で地下水の水脈に突き当たり、私たちは全身を冷して助かる。
そのまま私たちは地中を時速300kmで東京を目指し、ずぼっと出て来たところが東京の池袋で、池袋で「ビックグループ」が経営する日帰り温泉の浴槽の中に私たちは現れたのだった。(注:だからといって「しずかちゃんの入浴シーン」などは出てこない)。はははビックグループざまあみろなどと毒づきながら私たちは池袋の街に出る。(注:ところが、この「池袋」の風景がなぜか「秋葉原」にそっくりだった)。
私たちはとりあえずどこかで、今後の方針について話し合おうということになり、池袋の大きな川で体を冷しながら相談することにする、が、ふと見上げるとそこには「ビックカメラ」があった。そうだ!池袋といえばビックカメラの本拠地ではないか!(注:これだけは事実だが、じゃあ富山の話はどうなったんだ?)で、私たちは慌てて、ビックカメラの裏手から、石丸電気の裏手に移動しようとするが、石丸電気の裏手の川は、なぜか、バレーボールをプレイする男達で混雑していた。そして、うろたえているうちにまた後ろからビリビリと高電圧攻撃。しまった!これはまた「ビックグループ」の罠だった!
私たちは急きょ、また地下を突き抜けて「千葉のマザー牧場」(注:マザー牧場自体は実在する施設)に行くことにする。そして地下にもぐるが、「ビックグループ」の執拗な追撃は、時速300kmでも振り切れない。しかし私たちには秘密の技があった。それは「IEEE1394モード」(注:IEEE1394という規格は実在するが、「デンキニンゲン」が「地中を移動する」ための規格な訳ない)に変身し、5人が連結したような状態になって地下をもの凄い速度で進みはじめる。そして「ずぼっ」と出て来たところは、何と、神戸の六甲山牧場だった(注:六甲山牧場自体は実在する施設)。私たちは「さすがIEEE1394モードは速いなあ」と関心しつつも、その進路の出鱈目さ加減に困惑してしまう。そして、なぜかその近くにある「有馬温泉」に行って見ると、何と、ここも「ビックグループ」が経営する温泉旅館が林立しているではないか!(注:意味不明)。
それで私たちは「再びIEEE1394モードでどこかに移動しよう」ということになり、私が「そうだ高知にしよう、土佐湾に逃げよう」と提案する。私たちは再び連結してIEEE1394モードで地下を突っ走り、ずぼっと土佐湾上空に飛び出すと、なぜか真鶴半島が見えた。

すみません、ここで目が覚めました。この夢の意味は、私にも全く分かりません。
あと、繰り返しますが、この話は富山県にもビックカメラにも関係ありません。あくまで「そういう夢を見た」という戯言です。

54000円の回数券を買う夢


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嫌な夢を見た。

その時私は(夢の中で)全身がしびれていて、何か厚い雲のようなものにつつまれている感じだった。そこは神奈川県横浜出納事務所だった。(注:神奈川県横浜出納事務所というのは1990年頃に実在していた県庁の出先機関であり、私が最初に正社員として働いた場所であるが、現在は組織統廃合により存在しないし、私自身今は県職員ではない。)
で、仕事が終わって帰ろうということになって、そうしたら、なぜかエレベーターが節電のため「10階から1階までノンストップ」という設定になっていた。しかし私は厚い雲に覆われている上に全身がしびれているので、どうにもこうにも苦しかった。そして私はなぜか財布に現金7万円が入っているのを知っていた。(注:現実の私は財布に7万円も入れていることはまずない。高い買い物はクレジットカードを使うから。)7万円も持ち歩くのは危ないと思いつつ、この体の状態ではますます危険じゃないかと考えた私は、横浜銀行のATMにこの7万円を預けることを決心する。そして、横浜駅西口の壁面に設置されていた奇妙なATMに7万円を入れるのだが、全身がしびれていてしかも厚い雲に覆われているので、果たしてこれが本当にATMなのか、操作を間違ったりしていないかと心配になる。7万円を入れてよくわからない丸いボタンをあちこち押しているうちに「ご利用明細書」が出て来たのでそれを受け取った。ボタンをさらに連打すると何枚か紙が出て来た。
これでよしと思って、そのまま横浜駅の雑踏(まだ東横線が地上を走っていた頃のイメージで、人の流れがメチャクチャで歩きにくかった頃の感覚)を歩きながら明細書をよく見ると、それはATMの利用明細書ではなく、横浜市バスの回数券の領収書で「54000円」と書いてあった。あとから出て来た紙は「1700円」の回数券の領収書だった。ところが私は回数券本体を持っていない。これでは払い戻しも出来ないではないか!これはヤバいということで自動販売機のところに戻ろうとするのだが、体が厚い雲に覆われていて自由に動けない・・・というところで目が覚めた。

全身が痺れて厚い雲に覆われる夢は、時々見るのだけれど、すごく嫌だ。

日本海を観に行ってピーナツチョコを食べる夢


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昨夜、夢を見た。

写真学校のF君とK君の車に分乗して、日本海を観に行こうということになった。
なぜか高校の同級生のスズキヒデアキ君も居た。彼もそういえば写真を撮っていた。
ひなも居た。写真学校の同級生なので、まあ当然居る、という感じだった。

※注
ここでいう「日本海」というのは、兵庫県北部から山陰にかけての一帯を指すということが、夢の中では暗黙の了解とされていた。
しかし、実際の写真学校は横浜の日吉にあって、そこから日本海に行くには、最短でも新潟県であろう。実は夢の中では、写真学校は兵庫県西宮市付近にあるということになっていた。このあたりの訳の分からない設定は、私の育ってきた経緯によるものなので致し方ない。

で、車に乗って、ぐんぐん走って走って、「もうふらふら、これ以上進めない」というところまで着て、海が見えた。漁港のようなところに着いて、漁船が見えた。その近くに大きなユースホステルのような宿があったので、料金も調べずにとりあえずそこに泊ることにした。

男女同室の洋間なのだが(ユースホステルは男女別室)、とにかくみんな疲れてぐうぐう寝てしまう。

ところが、私だけが目が覚める。それがどうも妙な感覚で、起きようとするのだけれど起きられない。ベッドが背中に張り付いているような感覚で、とにかく「上下左右」「天地」「天井と床」の区別がつかない。3次元の感覚が全て狂てしまったようだ。私は起きようとしても起きられず、ぐるんぐるん回転していた。ひなはとなりのベッドでぐっすりと眠っていた。
そのうちふと、ベッドの上に婦人物の時計が置いてあることに気づいた。金属製の、装飾的な細い時計で、誰かから預かったのだろうか?そういえば自分の時計はどこにやったかなと思うと、ズボンの右のポケットに入っていた。
私は無性に「ピーナツチョコが食べたい」と思っていた。そして、突然宿から脱出することが出来て、ちょっと離れたところにあったファミリーマートに入ってピーナツチョコを買った。

※ここで、目が覚めた(これは夢ではなくて事実)

これは夢ではなくて事実だが、時刻は夜の3時頃で、当然のことながら手元にはピーナツチョコがなかった。それで、着替えてセブンイレブンまで自転車を走らせてピーナツチョコを3袋買って帰り、1袋食べた。瞬時だった。美味い。美味過ぎる。もう1袋食べた。それから寝た。

※以下、夢
場面は再びユースホステルのような宿に戻っていたのだが、なぜか新興宗教の儀式のような、大勢の人の声が聞こえて来た。何かお祈りをしているようだ。それも、私たちの部屋とカーテン1枚で仕切られただけのところでやっている。みんなぐぅぐぅ眠っていて、私と、なぜかアヴェちゃんだけがこれに気づいて、「何かやってるよぉ」と話し合う。

・・・

それからまだ少し夢の続きがあったような気もするが、詳しくは忘れた。
で、目が覚めた。
そうしたら、もの凄く気持ち悪かった。
朝の7時だった。新三共胃腸薬を飲んでみたがあまり効かなかった。
私はひなを起こした。「ひなさぁん、すごい気持ち悪い」。
ひなは事情を聞いて、小田原の秘薬「ういろう」を出してくれた。
ああ、こんな愚かなどか食いのために、貴重な「ういろう」を使って良いものかと逡巡したが、これ以外に特効薬はなさそうなので、飲んだ。

今、午前8時45分だが、ういろうの効き目は優れていて、大分楽になった。
夜中にピーナツチョコを大食いするのは止めようと反省した。

これはある種の「敗戦」かもしれない


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クライアントで、宮城県石巻市に両親が住んでいる、という人が居る。
その人から見せてもらった写真は、正直、「どれも同じ」に見えてしまうほど、原型をとどめないまでに破壊された街(の跡)だった。
阪神大震災の時でも、これほど広範囲に破壊されたケースはなかったかもしれない。
とりあえず(という長閑なことを言っている場合ではないが)、義援金を少し送ったほか、被災者支援に関連する作業(あまり具体的に書くと、特定の支援物資が一箇所に集中してしまうなどの弊害が予想されるため、このあたりは曖昧に書くことにする)をさせていただいたが、私ごとき小市民のお手伝い程度で立ち直れるレベルのダメージではないのは明らかだ。

そして、それだけではない。
今、福島が大変なことになっている。

坂本龍一がツイッターで「とにかく、どんな手段を使ってでも目の前の危機をなんとかおさめよう。その後、よりリスクの少ないエネルギー源を国民の総意で選ぼう!!」とつぶやいて(叫んで)いるのだけれど、今、「どんな手段」って、何が出来るだろう?何が残されているのだろう?(坂本龍一を責めている訳ではない。ただ、単純な疑問として。)

これはもう、戦争をやっているようなものではないかという気がしてきた。
優秀な人材の命を削って、なけなしの資源をかき集めて、そんなところが先の大戦を連想させる。
勝って得られるものなど何もない。もう引き分けというレベルも無理だろう。それもみんなが知っている。知っているけれど言えない人の方がまだ多い。
実際のところ、良くてちょい負けくらい、万一「大負け」すると、世界を巻き込んで人類存亡の危機。
こんな愚かな戦争、誰が始めたのか?それは他でもない、私たち自身だ。私たち自身が発端なのだ。それが民主主義というものだから。

第二次大戦の時には「国破れて山河あり」だった。今、山河そのものが、運が良かったとして半径数十キロ、場合によってそれ以上、永久に人の住めない国土になろうとしている。

昨日、毛虫の大群に襲われるという夢を見た。大群の中から一匹が腕に這い上がって来た。私は悲鳴を上げた。
しかしなぜか私は、「毛虫はマッチの燐のニオイが嫌い」ということを知っていた。たまたま近くに民宿のような建物があって、そこに入って行って、マッチ箱を見つける。私はマッチをばらまいて毛虫を追い払った。

その夢のように、綺麗さっぱり物事が解決してくれるとよいのだが。

夢から覚めたあと、布団の中で、右手にふわっとした感触があった。
「ケムシ!」
と思って払いのけたら、(猫の)朔ぴょんが「ぎゃあ」と怒った。

木村長治郎・工藤静香の弟、の夢


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1.
私はひなと一緒に東北会津の温泉旅館に来ていた。
朝起きて、
「そういえば大浴場には行かなかったね」
「まあ、横浜で大浴場に入って来たからいいよ」
という会話を交わしたあと、そういえば、この旅館でやっている「爪の観察1分間」というサービスって、何だろう?という話になる。
それで、ひなと2人で、そのサービスをやっている人のところに行ってみたところ、風呂場の更衣室付近にその人の気配があった。その人は女の人なのだが姿は見えなかった。
「あのー、爪の観察1分間って、これだけで(生活)成り立ってるんですか?」
と私が質問すると、
「ニューヨークで縫いぐるみを作ってるんです」
と答えが返って来た。
「ああなるほど、それで成り立ってるんですね」
「実は、宇多田ヒカルの『ぼくはくま』の(熊の)縫いぐるみなんかも作ったんですよ」
「え!そうなんですか!あなたの名前はもしかして、木村、キムラ・・・」
キムラの先が思い出せない。
その時、突然私の足元から男の声がした。
『チョウジロウ』
「あなたは『木村長治郎』!」
「そう。(縫いぐるみも)今、ここにありますよ」
だが、その人は私の右斜め後ろの下駄箱の陰に隠れていて、よく見えない。
視界の右の方に、かすかに丸く、熊の顔の縫いぐるみのようなものが見えていた。見たい、見たいけれど首が固まって廻らない・・・そこで「ふんっ!」と思い切って首に力を入れてまわしてみた・・・そこで目が覚めた、が、一瞬、丸い形をした熊のぬいぐるみが見えた・・・と思ったら、それは、押し入れのふすまに貼ってあった、(猫の)朔が大きなザルに仰向けにひっくりかえっている、A1の写真だった。

(木村長治郎って、誰?)

ここで一旦目が覚めた訳だが、再び眠ってしまう。

2.
私はひなと2人で、伊東のホテルハトヤから出て来たところだった。そこは学校のグラウンドのようなところで、なぜか向こうから、男の子と女の子を連れた若い母親がやってきて、私に質問をした。
「あのー、この近くにある『ワイルドブルー横浜』って、どこですか?」
(注:夢の中では、いつの間にかそこは、横浜市鶴見区ということになっていたらしい)
そこで私は、そのグラウンドから線路を挟んで向こうに立つ巨大なホールのような建物を指差して、
「ワイルドブルー横浜はあそこだったんですが、今はもう潰れちゃったんですよ」
と答える。
母親はがっかりした様子で、「ああそうですか」という。
そして私は車になっていて(車に乗っているのではなく、私自身が自動車になっている)、真鶴道路を走り始める。7時にひなとデートの約束があるので急がなくてはならないのだ。真鶴道路を小田原方向に向かって走る。急カーブがあって怖いが、きゅきゅきゅっと曲がりきってしまう。長い坂道を上り、さらに2回曲がって行くと海に突き出たカーブに出て来たので、速度を落として慎重に曲がる。するとそこから先は直線で、直線の先には森があった。森の中に入って行くと次第に暗くなってきて、対向車のヘッドライトが見えるだけになってきたが、対向車もいつのまにか来なくなり、やがて真っ暗な闇の先から、どろりとした光の筋が飛んで来た。
「ヤバい!溶岩だ!」
そこで私は慌ててスピンターンを決め、今来た道を戻って行くのだけれど、いくら走っても森から抜け出す気配がない。そのうち後ろから溶岩の筋が両側から私を追い抜き始めてきて、「ヤバい!焦げる!黒くなる!」と叫ぶが溶岩はどんどん増えて行く。
そのとき、はっと私は悟る。
「そうか、私は黒くなったまま生きて行けばいいんだ!」
するとあたりが急に白く明るくなり、私は気がつくと真鶴のサボテンランドの入り口に立っていた。
そこには小さな紅色のサボテンがたくさん咲いていて、なぜか中学の同級生だったホソダさんが居た。ホソダさんの周りに小さいハエがぶんぶんと飛んでいた。ホソダさんは「ここで私にあったことを誰にも喋っちゃダメよ」という。
それから私はひなの住む下宿に向かおうとするが、夢が覚めないので困っている。
そして気がつくと私はひなの下宿の階段にうつぶせに倒れていた。そこは女子専用の下宿なので勝手に男子が入ることは許されないのだ。
やがて階段の上から、写真学校のAクラスのN君(男)がやってきて、
「あんたなによ。どこから入って来たのよ。誰かの後に付いて来たの?」
とオネエ言葉で私を問いつめる。
「ええと、私は、そう、2−5−102号室の、いや205号室、ええとここは『すみれ荘』?『青野寮』?」
などと私は訳の分からないことをいい始め、そうこうしているうちにひながやって来て冷たい視線を投げ掛けていたが、なぜかそこに居たのはひなではなく、H養護学校高等部3年の生徒だったKちゃんだった。Kちゃんは濃い化粧をしていた。
私は「わーごめんなさい」と叫んで、玄関横の大きなガラス窓に体当たりをしてそこから脱出しようとするが、「ばうんっ」とはじき返されてしまう。
「それ、アクリル」。とKちゃんが冷たく言い放つ。それから私は玄関を出ていくと、なぜか私は体育館の中に居た。

そこには、プロレスの覆面のようなものをかぶった男が緑色の異常に長い鉄製の架線柱(←鉄道用語。詳しくはぐぐってください)を持った男が居て、私は「これは夢だ」気がついて腹を立てる。すると男は「夢ではない」と主張する」
「嘘だ、これは夢だ!」
「夢ではない」
「だったら工藤静香の弟の名前を言ってみろ!」と私は詰問する。
すると男は、架線柱を持ったまましばし考え込み、大声で答えた。
「はんにゃ!」
私は怒って「そんな訳あるか!やっぱり夢だ!」と叫び、夢から覚めたいと思って、頭を体育館の壁にごんごんぶつけたりしてみるのだが、いっこうに夢が覚めない。
そこで突然天気予報が始まる。
「関東地方は氷が溶けるので寒くなるでしょう」
私は「それは何かおかしい、氷が、氷が・・・」と思いながらうつぶせに倒れていって、そして、うつぶせになって・・・
そこで目が覚めた。私は枕にうつぶせになっていた。

起きたら9時を過ぎていた。

志賀直哉が家に来る夢


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今朝見た夢。

私は大きな文化ホールのようなところで志賀直哉と待ち合わせをしていた。
やがて志賀直哉がやってきて、そこから歩いてうちまで案内する。
うちにやってくると、なぜか、うちに上がる階段が2本あって、左側の階段はドアが開いていて、志賀直哉はそこに登ってしまう。
「違うんです、そっちじゃないんです、こっちなんです」と、私は右側のドアを開けて、そこから続く階段を案内する。
やがて、ひなと私と志賀直哉で、和菓子の箱を開けて食べようとする・・・ところで目が覚めた。

夢に出てきたのは、志賀直哉です。スガシカオではありません。

イポクロリン


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昼寝をしていたら、こんな夢を見た。

朔ぴょんのアポクリン腺のことを、ひなが「イポクロリン」と言っている。それがあまりに面白かったので大笑いをしている・・・

・・・という夢を見た。現実世界では、ひなは「イポクロリン」などと言ったりはしない。
ただ、この夢から覚めた後、「イポクロリン」が心にヒットしてしまって、私はしばらく寝たまま大笑いしながら「イポクロリン!イポクロリン!」と叫んでいたらしい。
そしてまた眠くなって私は寝てしまった。

そうしたら、次に、こんな夢を見た。

私の両足の親指の外側から「イポクロリン」が生えてくるらしい。それはもう1本の指のようなものらしい・・・

・・・という夢を見た。再び私は笑いながら、「イポクロリンが生えてくる!」と喜んでいたらしい。そうこうしているうちにまた眠くなって、私は昼寝に戻った。

ひなはこの時、やっぱり数日前に自転車で転んで頭を打ったのがいけなかったかと思ったという。

googleで検索しても「イポクロリン」という単語はヒットしない。
イポクロリンって、何?

放射能モード


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一昨日、不思議な夢を見た。

私は、足を伸ばして座った格好で両手を下に向けてひらひらさせると、空を飛ぶことが出来た。かなり高いところまで飛べる感じだった。多分、高層ビルくらい。

牛久の、私が子供のころ住んでいた家は既に取り壊されて、更地になっていたのだが、その近所には学校があって(注:子供の頃牛久に住んでいたのは事実だが、近所に学校はなかった)、その学校を空から眺めたりしていると、いかにも田舎の子供という感じの男子高校生がラグビーの部活をやっていたり、巨大な女子高生がプールで水泳をしたりしていた。
それから私は、牛久市の市街上空を飛んで行った。ふと、常磐線牛久駅に戻ろうと思い、市街から牛久沼の方向に向かって戻ることになった。
牛久の市街はとても長く、ビックカメラみたいなお店とか、巨大なパチンコ屋とかが出来ていた(注:茨城県牛久市は実在の地名だが、ビックカメラはない。そんなの大きな市街地がある訳でもない。)

ふと気がつくと常磐線牛久駅を通過して、牛久沼の上空に来ていた。慌てて戻ろうとすると、そこはまた学校のような所で、高い防球フェンスのが前方にそびえていた。そして、校庭で遊んでいた小学生に「そのフェンスは危ないから近寄ってはダメだ」と言われる。それでも私は常磐線牛久駅に戻りたかったので、フェンス上空を飛び越えようと、両手をぱたぱたさせて高度を上げて行った。すると、フェンスはぐんぐんと伸びて来て、私よりさらに高いところを、上から覆いかぶさるようになってきた。私はフェンスを突き破ることにした。そして私は「放射能モード!」と叫んでフェンスに向かって飛んで行った。フェンスに当たった私は全身から光を発しながらフェンスを突き破ろうとするが、フェンスも光のようなものを発して抵抗し、なかなか突き破ることが出来なかった。しかし、「放射能モード!放射能モード!」と叫びながらフェンスを押しているうちに、ついにフェンスは破れ、私はフェンスを突破することに成功した。ところが私はいつのまにか、茨城県を過ぎて千葉県の銚子上空にまて来ており、そこにはなぜか瀬戸内海のような多島海が広がっていた(注:千葉県銚子市は実在の地名だが、太平洋に突き出していて、多島海ではない)。時刻は夜明け頃で、東の空から太陽が昇り始めていた・・・
というところで、目が覚めた。

この夢が何を意味しているのか、私にもさっぱり分からない。
だいたい、放射能モードって、何?
この夢をひなに話したら、笑っていた。

醤油味のチョコボールと、教科書を持っていない夢


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明け方、夢を見た。

ひながチョコボールを5種類くらい、板に乗せて持って来た。
左から2番目に、緑色の箱のチョコボールがあって、それには「醤油味」と書いてあった。
「醤油味のチョコボール」はジャカルタのお土産としてもらった、という。
一口食べてみると・・・ゲロまずだった・・・というところで目が覚めた。

さらに、もう一つ夢を見た。

私は高校3年生になったばかり、季節は春、4月。
今日から授業が始まるのだが、昨日、時間割を書き写してくるのを忘れて、何の授業があるのかわからない。
それ以前に困ったことに、私はまだ、1冊も教科書を買っていなかった。
しょうがないなあ、教科書、誰かに見せてもらうしかないなあ、とか思っている・・・というところで目が覚めた。

高校で学校に行こうとして、何らかの支障があって困る夢、というのは、よく見る。
多分、病気で1年留年して、その間、「学校に行こうとするのだが行けない」ということが実際にあったので、何かその名残のようなものが記憶に残っているのだと思う。

チョコレートを受け取ってもらえない夢


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私はリフトのようなものにぶら下がっていた。
そのリフトの途中でPerfumeの誰かに似ている女の子に、チョコレートを渡したいのだ。
だが、リフトはシューっと通過して、私はチョコレートを渡せない。
・・・という夢を見た。
多分、昨日「チョコレイト・ディスコ」を聞きすぎたせいだと思う。

大学受験前の夢


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明け方、夢を見た。
私は(夢の中で)ふとんに入ってうつらうつらしていて、「明日から修学旅行じゃないか!」ということに気が付いた。
そして、スポーツバックに荷物を詰め込んで、なぜか中判カメラのマミヤ6を取り出していたが、マミヤ6はしばらく使っていなかったせいか、ボロっとネジが外れ(注:そんなネジはマミヤ6にはなかった)、背面のフィルム装填のフタがあいてしまい、おまけに金色をしたネジはころころと部屋の中に転がっていってしまって、困ったものだった。結局ネジは見つかったが「そういえばデジカメがあるんだ、マミヤ6まで持っていくことはないか」と思い直した。
気が付くと私は、修学旅行の集合場所まで1人で電車に乗っていて、その電車を途中の駅で乗り換えるところだった。乗り換えの後の電車は東急の旧7000系で、運転台のすぐ後ろのビニール張りのシートに座った(注:東急旧7000系にそんなシートはない。外観こそ旧7000系だったが車内はかなり違っていたようだ)。
そして、ふと、乗り換え前の電車にスポーツバッグを忘れたことに気付き、慌てて前の電車に取りに戻ろうとすると、運転士さんが「乗客が忘れ物が」と、乗り換え前の電車に無線で連絡を取ってくれた。駅の地下道のようなところで前の駅員さんがスポーツバックを持ってきてくれたのに出会って、有り難くそれを受け取ると、ピンク色のアディダスのスポーツバックだったが、それは多分私の荷物だった。
そこでふと目が覚めて(という夢を見た)、「ああ、何を言ってるんだ、私はもう3年生で、もうすぐ大学受験じゃないか。でも予備校とか行くの嫌だから自力で勉強しなきゃなあ」と、布団の中で考えていた・・・・

・・・というところで(本当に)目が覚めた。
高校生なんていったい何年前のことだよ、と思った。
最近「涼宮ハルヒのSS」ばかり読んでいるから、気分が高校生になってしまったのかもしれない。

夢で見たババンバとビンバー


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今朝、よくわからない夢を見た。

私は(その夢の中で)病院のようなところに入院していた。
ベッドのそばにテレビがあって、テレビは私とは違う方を向いていたが、とにかくテレビは点いていた。
そのテレビでは、バレーボールの試合をやっていた。
日本女子代表と、どこかのチームとが対戦していた。
その試合では、日本女子代表が「ババンバ」と「ビンバー」という必殺技を繰り出して、次々に得点を重ねていた。夢の中では「ババンバ」と「ビンバー」のテーマソングも流れていた(起きてしばらくの間は覚えていたが、すぐ忘れた)。

なぜそんな夢を見たのかというと、原因の1つは、前日、「涼宮ハルヒの憤慨」(要するに原作8巻)でハルヒが球技大会で得点を決めまくっていたシーンを読んだことではないかと思うが、じゃあ「ババンバー」と「ビンバー」というのは何なのか、全くわからない。

誰か思い当たることがあったら教えてください、「ババンバ」と「ビンバー」。