朔にも幸せな時間はあった


カテゴリー: 写真日記 | 投稿日: | 投稿者:
朔のふすま

朔のふすま

朔を失ってもう1週間になる。あっという間であったようにも、長かったようにも思う。
朔の死に際の数時間、苦しそうな浅い呼吸や痙攣を思い出すと、本当に辛い思いをさせてしまったと思う。そのことばかりが頭について、朔はずっと苦しみながら生きていたような気がしてしまうこともあったけれど、うちのふすまを見て、そうではなかったと思い直した。
うちのふすまの1面に、朔の写真を貼っている。もう5年くらい前からそうしている。写真展から回収してきた大きなものから、L版まで、さまざま。一番大きな写真は、まだ朔が8歳くらいの写真。その他にも、夏の暑い日にお腹を上にむけてひっくり返っている写真とか、煮干しをもらう直前の目を輝かせている写真とか、お気に入りのマフラーにくるまって気持ちよさそうに眠っている写真とか、そういえば朔にも確かに、そんな幸せな時間もあったのだと思う。

朔、そちらの世界はどうだい?本当に痛みも苦痛もないのかい?それならいいのだけど。