「あの世は存在する」をgoogleで検索すると51200件。
「あの世は存在しない」をgoogleで検索すると、33700件。
件数で何が決まるわけでもないが、googleの現状はそうなっている。
私が思うのは「朔に会いたい」ということ。あの世というものがあって、あの世で会えるというなら、それでもいい。しかし、あの世というものがないのであって、もう二度と会えないというなら、それを受け入れるしかない。どちらかわからないというのは、ちょっと困る。で、困っている。
私たちは毎日、朔にお線香をあげる。まだ四十九日を過ぎていないので、1本ずつあげる。
「この世からあの世」までの「間」が存在するかという問題も、これまたわからないというか、仏教では四十九日、キリスト教はキリストの復活までに50日かかった。イスラム教でも死後の世界とこの世との間というのがあるらしい。神道には五十日祭がある。
村上春樹の「海辺のカフカ」には、「リンボ」という名前で、生きているものがあの世へ行くまでの場所のようなものがあることが記されている。「海辺のカフカ」は宗教ではないけれど。
では宗教を離れて科学とか物理学の世界ではどうなのかというと、一見すると死後の世界というものは否定されていて、脳の活動が止まれば意識というものがなくなるので、死んだら何もなくなってしまう、ということで意見が一致しているのかというと、必ずしもそうでもないらしい。量子物理学とかの世界に行くと、なんだかよくわからないことが多いらしい(私、現代文の文系なので物理は苦手)。
朔が他界したということを何人かの(猫好きの方への)暑中見舞いに書いた。ある人は、忘れないでいれば虹の橋のところでもう一度会えるよ、と記してくれた。
朔に会えたら、また顔をくっつけて眠りたい。抱っこして眠りたい。
それだけなのだけれど、この件は、実現するのか否か、結局のところ全く分からない。