レンタルのBlu-rayで「ノルウェイの森」を観た。
「原作と違う」「直子さんが死んでしまうところで終わり」という前評判を聞いていたが、実際のところ、原作にかなり忠実だと思うし、ラストシーンも(原作と少し違うけれど)電話のシーンで終わっている。
色々ご意見はあると思うけれど、映画ができたことだし、これからは「先に映画を観て」それから原作を読むという人も出てくるのだろう。それでもよいと思う。ただ、原作の時から思っていたことだけれど、この小説を、痛みとして感じることが出来るか、そうでないか、というところで、この小説(映画)に対する、その人の「ありかた」が、大きく異なると思う。それは、傷みがわかるのがよい、分からないのが悪い、といった単純な問題ではない。それは原作が発表された時からそうなのだろう。(私は原作が発表されて10年以上後に文庫で読んだ。)
で、細野さん。レコード店店長。出てきました。なぜかテンガロンハットをかぶって。
味わいありすぎです。細野さん。曲名はわからなかったけれど、流れている曲も「細野店長が選びそうな曲」だった。バイトが怪我したらちり紙の束をもって駆けつけてくれる、心優しい細野店長。
一方、阿美寮の門番として登場した高橋幸宏。彼にはセリフがあったけれど「帽子をかぶっていない」とは思わなかった。この人も味わいありすぎです。
で、当然のごとく湧き出てくる疑問は「サカモトはどうした」。
おそらく既に、戦場のメリークリスマスやラストエンペラーで堂々と俳優として活躍してしまったため、「ちょい役」など恐れ多くてお願いできず、かといって、登場人物の中に、坂本龍一が相応しい人というのが居なかったのだろう・・・が、いやいや、ちょっと待ってください、それは「現在の年齢相応」で考えるからそうなのであって、ヘルメットとサングラスとマスクで顔を隠して「拡声機を持ってデモの先頭を歩く学生運動家」という役(兼、演技指導)というのは・・・やっぱりやってくれないかな?
「キミ、そのプラカードの持ち方はちょっとちがうよ、これはね、・・・」とか言って若い俳優を指導するとか、やってほしかったなあ。