時間ということ


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

昨日、朔を失ってから、時間ということについて漠然と思いを馳せていることがある。
昨夜、私は3時間半、朔の亡骸を眺めていた。4年前に作ったフォトブックの朔と見比べて見たりもした。4年前より痩せていた。食べることができず、かといって点滴でも一日の所要カロリーの半分までしか摂取できなかったので、当然ではある。4年前には、こんなことになるなんて思っていなかった。朔は、漠然と、20歳くらいまでのんびりと長生きしてくれるような気がしていた。だがその甘い期待は叶わなかった。

朔を見つめていた3時間半という時間は、その時にはとても長いものに思えた。
でも、今となっては「過去の一瞬」でしかない。
時間って、いったい何なんだろう?
哲学的なことは私は苦手だ。
かといって科学的に分析ができるわけでもない。

顎や背中をなでこした。生きているうちにもっと、なでこやポン子、一緒に遊んだり、もっとやるべきことはあっただろうと思った。朔が生きている間、私は随分時間を無駄にしたと思う。朔が隣にいながら、くだらないゲームに熱中していたこともあった。私の30代の大半と40代の全ては朔とともにあった。もっと一緒に遊んでおきたかったと、今は思う。でも、儲からない過酷な仕事に身を投じて、朔が仕事場に心配してやってきたこともあった。豆、もう帰ろうよ、と言っているように思える鳴き方をした。

朔は時間が有限で、取り返しのつかない性質のものであるということを、知っていたのだろうか。賢い猫だ。言語という媒体を使うことなしに、それを知っていたのかもしれない。