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勝手に予想する「2012年阪急鉄コレ」610系(外れ:正解6330形)


カテゴリー: テキスト日記鉄道 | 投稿日: | 投稿者:

本命:610系
次点:6300系「京とれいん仕様」

以前「勝手に予想する「2011年阪急鉄コレ」2300系冷房化後」http://hmk.iijiman.com/mamenikki/?p=2110で外れに外した予想だが、懲りずにもう一度考えてみた。

前回の敗因は、映画「阪急電車」と「今津北線開業90周年」を見落としていたことにあった。
映画を見落としていたのは世間知らずというか何と言うかお間抜けだが、「今津北線開業90周年」は盲点だった。
で、今回は、これまでの「鉄コレ」と阪急の社史を照らし合わせてみた。

2011年 3000系冷改 西宝線(今津北線)開通90周年&映画「阪急電車」
2010年 2000系非冷房 阪急電鉄開業100周年
2009年 1300系冷改 ? 
2008年 810系 ? (阪神急行電鉄に社名変更90年)
2007年 1010系非冷房 阪急創立100周年
2006年 920系登場時 神戸市内高架延長線開通70周年

では、2012年はどうかというと、

2012年 阪急宝塚線・箕面線開通100周年

・・・なのである。
では、1型とかも有り得るのかとも思ったけれど、1型は既に、梅田駅ジオラマとセットでこだわりの製品を出しているので、それはなかろう。
http://rail.hankyu.co.jp/railfan/topics/100308umeda.html

では、宝塚線と言えば何だろう?と考えたとき、ターゲットの世代と重ね合わせてみて、610系かなあ、と思う。
いくら宝塚線仕様だからといって、去年3000系を出して、今年に3100系ということはないだろう。同様に2100系もなさそう。6000系6000Fなど宝塚線らしいと言えば宝塚線らしいのだけれど、6000系はNゲージ版が出たばかり。

阪急の営業的には、もっと新しいサービスを推したいだろう、とすると、京とれいん仕様に改造された6300系かな、という気もする。京都線が1300系以来出ていない、ということもある。

正直言って前回の大ハズレがあるのであまり自信はない。

9月23日追記:
結果:「6330系」。
うわぁぁぁぁぁ!また外した!
宝塚線関係ないのか!
しかも8連が再現可能で「中間4両増結セット」は少数の生産」とのこと。うわぁぁぁぁぁ!オークションで値上がりしそう!
http://rail.hankyu.co.jp/railfan/topics/120913train_collection_news.html

日本の大手電機メーカーはなぜ安い扇風機を作れないのか


カテゴリー: 写真日記 | 投稿日: | 投稿者:

扇風機を買った。
去年使っていた扇風機は、支柱の部分がぐらつき始めていて、使用中に折れてプロペラが飛び出して来て血まみれ、とかになったら嫌だなあと思って、処分した。押し入れの中にはもう一台、10年くらい前の製品と思われる扇風機あったが、こちらのヤヴァさも相当なもので、スイッチが故障してセロテープで修理してあったり、動かして見るとぷぅんとホコリのニオイが漂って来たり、何しろこれもこれで相当ヤヴァそうな感じだったので処分することにした。

で、今日、ノジマ湯河原店に行って扇風機を買いに行った。
売り場には東芝、三菱、パナソニックといったメーカーが様々な扇風機をラインナップしているのだが、いずれも6980円とか19800円とか、ちょっとまちなさいよ、今時扇風機ごときにそんな金額払う訳ないじゃないですか、という製品ばかりだった。
いや、多分各メーカーはこう言うだろう、これだけの機能でこの価格は破格なんですよ、と。

一方、安い扇風機もあって、YUASAというメーカーで、Made in Chinaの扇風機が1980円だった。この扇風機の良さは価格だけではなかった。スイッチはシートキータイプではなく、ぽちっと押すタイプの、ある意味クラシックな押しボタン。首振りの機能と3段階の風量調節と3時間までのタイマーが付いていた。試しにスイッチを入れていると、充分涼しい風が来た。この扇風機は見本品1台の他、箱が山積みになっていた。迷わずこの扇風機をレジに持って行った。小型で軽いので、自転車の荷台につけて持ち帰れた。

YUASAというのは多分日本のメーカーだろうけれど、正直言って、このメーカーが一番「まともなものを作っている」と感じた。もしかしたら中国のハイアールあたりのOEMかもしれない。

大手メーカーの製品は、扇風機にリモコンがついていたり、風の強さが多段階に変えられたり、自然の風に似せたゆらぎのある風が起こせたり、しまいにはナントカイオン機能付きとか、だから扇風機ごときになんでそんな機能が必要なのよ、と呆れる一方で、コストダウンのために、スイッチは使いづらいシートキータイプだったりするのだ。
もう、あんたがた一体何を考えてるのかと。
こういった「無駄に高機能な扇風機」は、社内で会議に会議を重ね、一流大卒の優秀な頭脳をかき集めて、練りに練りに練り練りすぎたあげく、発売してしまうんだろうなあ、と想像してみる。その裏には、扇風機の売り上げ、というか、会社の売り上げよりも、開発責任者のメンツとか、大手メーカーとして「安物は出せない」「高くても売れるだろう」といった発想とか、そういう社内的な事情や発想で、頑張って頑張って頑張って作ったんだろうなあと思う。

その努力を、どうして「安い扇風機を作る」ことに振り向けられないのだろう?と、単純に思う。おそらく中国の人件費が上がってくれば、中国メーカーとて価格が武器にならなくなってくる。一方、日本では正社員の採用抑制とか派遣労働の浸透とか、人件費が随分安くなっている。「会社の保養所」みたいな福利厚生ももう流行らない。それも間接的な人件費の一種だろう。

日本の会社は「徹底的に価格を下げる努力が出来ない」のか?というと、必ずしもそうではない。JR東日本がそうで、平成の始め頃に作った209系という通勤電車は、従来の電車に比べて「重量半分・価格半分・寿命半分」というコンセプトで設計され、実際には重量も価格も寿命も半分にまではならなかったものの、大幅な軽量化に成功し、価格も安く抑えた電車の開発に成功した。209系の設計思想の多くはその後、通勤電車だけでなく東海道線等の郊外向けの電車の設計にも引き継がれ、やがて私鉄各社にも共通の設計思想を持つ車両を普及させるなど、大きな成果を上げた。この209系というのは、鉄道の好きな人たちからは必ずしも好まれていなかったようだけれど、当時京浜東北線を通勤に使っていた私は、新しいな、これはいいな、と思った。

訳の分からない多機能(の扇風機)を開発する努力が出来るなら、その努力の方向性を修正して、中国製の扇風機より安い国産扇風機とか開発してみたらどうなんだ、と思う。必要最小限にして小型軽量のモーターを使うとか、なるべく一体成形のプラスティックを使って部品点数を減らすとか、あるいは素材のプラスティックについて、安くて軽くて強度のあるものを開発するとか、あと、風量調節なんかも「多段階」どころか「3段階」でもなく「2段階」くらいに絞るとか、製造工場も人件費の安い地方で作るとか、工夫の余地はあるのではないかと思う。

世界は経済メチャクチャだというのはある意味事実であろうかと思うが、日本経済もダメだ、とあきらめる前に、「本当に必要とされるモノやサービス」をあらためて洗い直し、見極めた上で、持ち前の勤勉さと努力を惜しまない性質を注ぎ込めば、日本の会社も決してまだダメなことはないんじゃないかと思う。

と経済素人の私が言っても、説得力ゼロだけれど。

1980円の扇風機

1980円の扇風機

Mac Bookの不調と、OS10.6クリーンインストール


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

ひな日記にも書いてあるけれど、ひなのパソコンの調子が悪い。
Mac Book 2.26GHz・250GB・OS10.6。2010年7月購入。
具体的には、OSの起動が遅い。Safariの起動も遅い。
全般的に、反応が遅い。キー入力のとりこぼしをする。

まずハードディスクの内容を消去せずにOSの再インストールを行ってみたが、あまり効果はなかった。
それではクリーンインストールしかないかも、と思って、やってみた。
その前に、メール本文とメールアカウント、アドレスブック、等々を640MB MOにバックアップ。とりあえずMOがあって良かった。バックアップコピーさえ取れれば、CD-RWでもよいのかもしれない。

※参考
「Mac OS X 10.4 の重要なファイルをバックアップおよびリストアする方法」
http://support.apple.com/kb/HT2980?viewlocale=ja_JP

次に、CDからOS10.6を起動後、ディスクユーティリティを起動して、「ボリュームの消去」(要はクイックフォーマット)の後、再インストールを始めて見たのだが、これが躓いた。
「残りあと29分」くらいのところで、何度も何度も同じ音を立ててDVDを読みに行っている感じ。
DVDの保存状態は良かったので、DVDの傷よりも、ハードディスクの異常を予感した。

そこで一旦インストールを、強制的な電源offで中止し、再度CDからOS10.6を起動。ディスクユーティリティを起動して、ハードディスクの消去のセキュリティオプションで「0を書き込み」を選択。こうすると、一旦ディスク全体に「0」のデータを書き込むが、ハードディスク上に、排除されていない不良セクタがあると、これを排除し、ディスクの正常な部分だけを使うように出来る、はず。250GBのフォーマットに、1時間くらい掛かっただろうか。

そして改めてOS10.6をインストール。恐怖の「残り時間あと29分地帯」を回避出来るようになったかどうか非常に不安だったが、何とかOS10.6の再インストールが完了した。

その後、バックアップしておいたメールのアカウントとデータ、アドレスブック、Safariのブックマーク、その他書類などをMOから所定の場所に復元。

※参考「Mac OS X v10.6 Snow Leopard:消去してからインストールする方法」
http://support.apple.com/kb/HT3910?viewlocale=ja_JP

作業後、試しに少し動かしてみたが、起動にかかる時間は普通になった感じ、Safariも普通に起動し、文字の取りこぼしもなくなったようだ。

今回のトラブルは、おそらく、HDD上に不良セクタが増えたことが原因であると思う。不良セクタのないHDDなどというものは、もともとないものであるが、「増えた」のが、一時的なトラブルが原因なのか、それとも本格的な故障の前触れなのか。今度不調になったら、そのときには修理に出してHDDを交換して貰うか(自分で交換する気にはなれない)、新しいMacを買うかしたほうがよいと思う。

しかし、DVDドライブがなく、OSのメディアもない10.7以降だったら、どうしたらいいんだろうな、こういう場合。
常日頃からApple純正の「timemachine」を使うというのが現実的なのだろうか。

佐倉杏子と涼宮ハルヒ


カテゴリー: 写真日記萌え | 投稿日: | 投稿者:
佐倉杏子と涼宮ハルヒ

佐倉杏子と涼宮ハルヒ

「あんた何で今まで私の前に現れなかったのよ」
「何でって、あんた誰?」
「SOS団団長涼宮ハルヒ。宇宙人未来人異世界人超能力者を探していたけど、魔法少女なんて盲点だったわ」
「佐倉杏子。よろしくな。鯛焼き食うかい?あれ?ソウルジェムが反応してる、あんた何者?使い魔レベルじゃないと見たね」
「ソウルジェムって何?何?それより早く魔法見せてよ、地球の回転を逆にするとか」
「あんたこそ何者だい?魔女でもなさそうだが」
「SOS団団長涼」
「それ聞いた。だからあんたは魔女かって聞いてんだ」
「魔女?魔女も居るの?見せてみせて!」
「あのな、こっちは遊びでやってんじゃねぇんだぜ」
「魔女ってやっぱり箒(ほうき)に乗って飛んだりする訳?その槍でも飛べそうね、今すぐあたしを乗せて飛びなさい!」
「いかれた女だね、槍が乗り物の訳ねーだろ」
「じゃあなんで槍なんて持ってんの?」
「だからこれはだなあ、魔女を退治するためのもので」
「へぇ!魔女って死ぬんだ!」
「いちいちつまんねぇことで驚くなよ、てゆーかあんたも魔女の一種じゃないかって気がしてきた。地球の逆回転なんてやったら世界が無茶苦茶になるだろうが。ワルプルギスの夜どころの騒ぎじゃ済まねえ」
「ねえねえ!ワルプルギスの夜って何?何?教えて教えて!見せてみせて!」
「だからぁ、見せ物じゃねえんだよ、あんたこそ何者なんだよ」
「私はSOS団団長涼宮ハルヒ、宇宙人、未来人、」
「あーもーやってらんねぇ、鯛焼きやるからこれ食って大人しく家に帰れ!」
「やだやだ!鯛焼きじゃやだ!魔法見せて」

・・・

この2人を引き合わせると会話が延々とループするような気がする。

アイスの2本食いについて


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

さきほど豆日記に、「アイスの2本食い」というのを書いたが、何でもいいから2本食べれば良い、というものではない。
まず最初に、安くてボリュームのあるアイスを食べる。例えばこれだ。
http://www.topvalu.net/items/detail.php?id=5145&sid=2&cid=50?
トップバリュの「ソーダ&バニラ味のソフト」。78円。これが安くて今、最も美味しい部類に入る旬なソフトクリームだ。
てゆーかイオン、なぜこんなにも魅力的なアイスのラインナップをそろえているんだ。なのにヤオハン(とはもう言わないのだけれど地元民はヤオハンという)の湯河原店、品揃え少な過ぎだ。
http://www.topvalu.net/items/category.php?sid=2&cid=50?

で、2本目には、高いけれど質が高くて美味しい、いわばアイスの頂点をいただく。例えばこれだ。森永PARM。
http://www.morinagamilk.co.jp/products/icecream/parm/187.html
一見するとチョコレートコーティングされた普通のバニラアイスだし、90mlと、量も少ない。そして、セブンイレブンで126円、ヤオハンで85円もする。ところが、である。その価格と量の少なさには意味があるのだ。「アイスクリーム」これを名乗るだけの製品であって、本当に味が優れている。チョコレートコーティングも心持ち厚めで、その中に入っているアイスクリームが、アイスクリームの中でもひときわ甘みと風味のバランスに優れ、また、ねっとりとした抵抗感のある食感が、食の喜びを頂点へと引き上げてくれる。

アイスは好きだ。

体調が悪い


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

最近、特に体調が悪い。
体調が悪いとどうなるかというと、まず、昼間に起きれなくなる。昼寝をしてしまう。昼寝をしてもクビにならないという自営業のおかげで首の皮1枚で社会と繋がっている。あと、夜眠れない。これは何の役にも立たない。夜中の2時とか3時とかに少し仕事をすることもないことはないけれど、大半は布団でごろごろしている。
昨夜も2時半頃目が覚めて、それで覚醒してしまったので、調子の悪かったひなのMacの、OSの再インストールをやってみたら、これがとてつもなく大変で(再インストールだけなら簡単、問題は、色々なデータのバックアップ)、朝までかかった。朝、ひなが起きて来たころにようやく再インストールが完了した。それでひながセブンイレブンに行って198円のいちごのねじねじのアイスを買って来てくれた。美味しかった。美味しかったけれど朝からアイスで、それから熟睡して、昼過ぎに起きたら体重がレッドゾーン一杯に振り切っていた。
体調が悪いと、甘いものが食べたくなる。これは鬱病の特徴でもあるらしい。甘いものがねぇ、食べたいのぉ。お団子、ピーナツチョコ、アイス2個食い、あと、甘くないけれどセブンイレブンで売っている辛いクラックプレッツェルが美味しい。ブルボンは安くて美味しいお菓子を沢山出しているから好きだ。最近ヤオハンでルマンドが安いことがあって、平常128円のところ時々98円で売っていたりする。あとシルベーヌが美味しい。ああいけないわ、また食べたくなって来た。ヨーグルトもよく食べる。イオンの4個で128円のアロエのヨーグルトが美味しい。小田百で売っているチチヤスの4個入りは美味しいけれど小田百が遠いのでなかなか食べられない。
体調が悪いと、何もかもが億劫になる。風呂とか入れない。でも甘いものを買いに行くことだけは、這いずってでも行く。這いよれ!ニャル子さん。
体調が悪いのは、何もここ数日始まったことではなく、初診は1983年。あの時も6月に病院に行ったのだっけ。この季節もある程度影響しているのかもしれない。
体調が悪い。甘いものをたくさん食べたい。

急性腸炎、ショック状態


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

5/27から30まで、小田原市立病院に入院していた。

5/22頃から具合は悪かったのだが、市販薬などを飲んで無理していたのが良くなかった。5/27夜 、体験したことの無いような、よじれるような腹の痛みを感じた。これはヤヴァいと思って、ひなに、湯河原胃腸病院の夜間救急に電話してもらったが、今、担当医が1人しかいなくて対応出来ないという。ひなに救急車を呼んでもらう。湯河原厚生年金病院にも担当医の余裕がなく、小田原の、小田原市立病院に搬送された。本来湯河原から1時間はかかる場所なのだが、そこは緊急車両、救急救命士の「22〜3分で着きます」と言葉通り、30分とかからずに到着したが、その間、私は酸素吸入を受けていた。血圧や体温や心拍数を測っていた救急救命士が「ショック?プレショック?」「ショックです」と話していた。ああ、これがショック状態なのかと思う。これヤヴァいんじゃないでしょうか?とか思っているうちに病院に到着した。到着してからも酸素吸入を続けていたら、少しずつ楽になったが、やはり腹は痛かった。今まで、胃の痛みというのはよく経験していたが、そこより少し下、小腸のあたりが痛かった。

その夜のうちに、レントゲン撮影、エコー検査、それと、ヘリカルスキャンCTによる造影剤CT撮影。今はCTも、ただ断面を撮影していくのではなく、螺旋状に体の中を撮影していくので、撮影した画像をお腹の上から下まで、ぐるぐる回しながら閲覧することが出来る(このあたり、わかる人にしか分からない表現かもしれない。)なぜCTを撮ったかというと、保険点数を稼ぐとかいう意図ではなく、「腸に穴があいている」可能性を疑ったためだという。

で、結局CTの診断結果からも、特にこれといった問題は見つからなかったが、血液検査から激しい炎症を起こしている(おそらく腸)が判明したため、そのまま入院し、点滴を受けることになった。点滴には抗生物質が調合された。

抗生物質が効いたのか、29日には大分痛みも引き、30日には起き上がってもお腹が痛くない状態になった。それで、30日の朝に主治医に相談したところ、朝の血液検査の結果が良ければ退院してもいいということだった。最初は入院1週間と言われていたので、少し有り難く思った。

現代だから何とか助かったけれど、小田原まで半日近くかかっていた明治時代なら、というか、抗生物質や酸素吸入という医療技術がなかったら、私は助かっていなかったかもしれない。

軽々しく言えることではないが、生きている一日一日は、大切に生きなければならないと思った。

朔が右肘を捻挫した


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

一昨日の夜、ふと、ひなが気がついた。
最近、朔が「右手を持ち上げる」という動作を、よくするというのだ。
いや、「右前足」というのが正しいのだろうか?

言われてみてしばらく観察していると、確かに、前足を立てて座っている時に、ひょい、ひょい、と右手を持ち上げる動作を繰り返していた。

その日は既に動物病院が閉まっていて、次の日(昨日=火曜日)は動物病院の休診日だった。不安な気持ちを抱えながら眠れない夜を過ごし、今日、朝一番で動物病院に朔を連れて行った。しかし朝9時オープンの動物病院、8時45分に行ったら既に2人待ちだった。聞けば11歳になる犬とか、症状が重くて車から出せない犬とか、何と言うか、動物も大変だ。
で、3番目の診察で朔を診察室に連れて行くと、獣医さんは、朔の右手を持ち上げてくねくね動かしながら、指先から超音波でも出しているんじゃないかと思うほど慎重な手つきで診察を始めた。

で、診断は「朔、高いところから飛び降りたでしょ」。

どうやら、飛び降りる際にバランスを崩して、右腕の肘というか、右前足の膝というか、その部分を捻ってしまったようだ、ということであった。私はてっきり、右手の手のひら(というか肉球)に見えないとげとかできものとかあるのかと思っていたけれど、問題は手のひらではなく、肘の関節だったのだ。獣医さんグレート。触っただけでそこまで分かるんです。名医。動物病院の名前はあえて出しません、これ以上混雑されたらと思うと恐ろしくて。

それから、私は念のため「腫瘍とかの可能性はないですか?」と訊ねてみた。これが一番恐れていた事態であるが、「現時点でそういう判断はないです。5日分の痛み止めを処方します。それを飲み終わってもまだ痛くて手を持ち上げるようなら、その時はレントゲンを撮ってみましょう」とのことだった。

猫は高いところから飛び降りても怪我をしない、という俗説は、若猫の場合はそうかもしれないけれど、12歳にもなると、人間で言う75歳相当になるので、あまり無茶をしてはいけないようだ。

そういえば、であるけれど、朔は、前足を立てて座っている時には 右手を持ち上げる動作をするが、夜、私の布団に入ってきて横になって抱っこしている時には、右手を動かす動作をしないようであった。

ともかく、どうやら捻挫らしいということで、一安心した。

朔に起こされて金環日食を観た


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正直言って、今回の金環日食はどうでもいいやと思っていた。

900年ぶりとか次は300年後とか、そんな、長門有希じゃあるまいし、何百年という時間を実感することなど出来ないのだから。

今朝、7時頃、猫の朔に起こされた。
もわーお、と鳴いて騒いでいた。ヤヴァい、何かを吐く時の声だ。
部屋に常備してある洗面器(そんなものが常備されている訳です、うちは)を持って朔を追いかける。やがて吐き始めた。毛玉。私たちが寝ている間に毛繕いをして、大量の毛玉を飲み込んでしまったらしい。毛の生え変わる季節だもんな。

そうこうしているうちに7時半前になり、そういえば日食じゃないかと思って窓を開けると、曇り空を透かして、少し欠けた太陽が見えた。雲がフィルターになっている。日食観察用のフィルター、いらないじゃないですか、これなら。買わなくて良かった。買ってないけど。ひなさんを起こして日食を眺めた。太陽はすぐに厚い雲に隠れてしまった。今日は曇りだからな、まあしょうがないだろう、これだけ見えただけでもよしとしよう、と。

それから朔のブラッシングとかしているうちに7時半になって、窓から外を見ると、再び雲が薄くなって来て、少しいびつながら、綺麗な輪になっている太陽が、雲越しに見えた。ひなさんと2人で、へえ凄いね、と話しながら見ていると、さらに雲が薄くなって来て、直視しているのがヤヴァそうな気配になってきたので、観察を終了した。

写真は、これだけのイベントなら新聞社とかが上手に撮っているだろうと思って、あえて撮らなかった。NDフィルター持ってないし。

という訳で、日食以外の理由で起きたのだけれど、日食は見た。

 

奈良に行ってきた


カテゴリー: 写真日記 | 投稿日: | 投稿者:

唐突だが、5/14、15の2日間、奈良に行ってきた。
本当の理由は、激しく個人情報なので書かない。というか、無駄に長いだけで誰も面白くない話なので省略する。
あと「どうして事前に書かなかったのか」ということについては、うちは屋号を掲げて商売をしているので、セキュリティ上の理由により、今後も、事前に旅行の計画を表明することなどあり得ない。

で、奈良に行ったのだけれど、実は、私は17年ぶり、ひなは20年ぶりだった。
私は個人的に奈良に住んでいたこともあるが、ひなは修学旅行の団体行動で大仏殿に行って鹿に鹿せんべいをあげたことくらいしか記憶にないという。

今回、奈良に行った目的の1つが、その「鹿」だった。
私たちはよく三島大社にお参りに行くけれど、そこにも鹿が居て、私たちはにんじんやキャベツをよく鹿にあげている。でも、三島大社はフェンス越しでしか鹿に対面できない。奈良公園ならフェンスなしで鹿に会えるという訳で、にんじんとキャベツをしこたま刻んで持参していった。

最初、若い鹿に近づこうとしたら、怖がって逃げられた。でも、にんじんやキャベツを投げてあげると、少しずつ「この人たちは怖い人たちではない」ということと「この人たちは『とてつもなく美味しいものをくれる』」ということが理解してもらえたようで、少しずつ近づいてきてくれた。そうしたら続きが大変で、後から後から次々に鹿が寄ってきて大変だった。私は右手の中指を第二関節まで噛まれた。でも怪我もしなかったし、あまり痛くなかった。鹿は草食だから、牙はなくて、臼歯なのだ。

鹿

鹿

鹿

鹿

一旦宿にチェックインしてから、商店街に行った。餅飯殿(もちいどの)商店街に、心惹かれる帽子屋があった。

帽子屋

帽子屋

今日、帰ってきた。
湯河原に引っ越してきて10年、三島より西に行ったのは始めてなのだが、こういう日に限って急ぎの仕事のメールが来ていたりして、なぜまた今日に。

小湊鉄道キハ200の記憶


カテゴリー: テキスト日記鉄道 | 投稿日: | 投稿者:

今月発売予定の鉄道コレクション「小湊鉄道キハ200、2両セット」。
楽天で予約した。

小湊鉄道は今、キハ200以外の車両を営業用に持っていない。五井の車庫にキハ5800を保存しているが、稼働していない。
それはしかし、昨日今日に始まった話ではない。

私が初めて乗った1983年の6月には、既にそういうラインナップになっていた。
あれから29年が経過した訳だが、未だにキハ200が現役。国鉄(→JR)の同年代の車両というとキハ20だが、JRには残っていない。キハ20より新しいキハ40やキハ47の廃車が始まっている。小湊鉄道、物持ち良すぎ。

29年前、なぜキハ200に乗ったかというと、別に趣味として乗りに行った訳ではなかった。通院のためだった。初めて通う精神科、市原鶴岡病院が、小湊鉄道の上総三又という駅から歩いて15分のところにあった。今でもあると思う。当時の診断名は強迫神経症。今は鬱病で、診断名こそ違うけれど、当時の処方は抗鬱剤を中心とした処方で、今の主治医が分析するには、当時既に強迫性障害の症状より鬱状態の方が深刻だったのだろう、という。
上総三又は、田んぼの中の無人駅だった。ホームが1本と、簡単な待合室があるだけだった。うら寂しい場所と言えなくもなかったが、私はそこに救いを求めて通って行った。だからこれは悪い思い出ではない。1983年の6月。緑色の絨毯を敷き詰めたように水田が広がっていた。

あれから29年が経過したが、小湊鉄道はほとんど変わっていないように見える。
いや、少し変わったことがあるかもしれない。人気が出ていること。
都心から比較的近くで、クラシックなキハ20系が走っているということで、ドラマやCMなどのロケに使われるようになった。
また、鉄道趣味そのものが29年前よりメジャーになった。
小湊鉄道は昔よりむしろ人気が出ているように思える。オークションで取引されている模型の価格を見ても、そう思う。

私はといえば、あれから29年経って、結局薬に頼って生きているという点では何も変わっていない。
でも、それでいいやと思う。非合法な薬ではないし、あるいは、体を壊すほどのお酒やタバコでもない。それを飲めば日々なんとか暮らして行けるのだから、まあいいやと思っている。

そして今日も小湊鉄道キハ200は、クラシックなエンジン音を奏でながら、田んぼの中を走っている。

5月8日に武道館へ行ってきた


カテゴリー: Perfumeテキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

実は、2012年5月8日火曜日、武道館に行ってきた。
Perfume 3rd Tourの追加公演、武道館4Daysの初日。
実は今、仕事が凄く忙しくて、5月10日には横浜まで出張があったりして、後からご依頼をいただいた仕事をお断りしたりしているのです。仕事を断って武道館かよ、と呆れられるかもしれませんが、チケットを予約した2月には、今年はメチャクチャ暇で、売り上げなんか前年比マイナス40%を見込んでいたのです。売り上げ額は、まあ、その通りになりそうなんですけど、4月にゆたぽんファイブのクリアファイルを作ったあたりから急に忙しくなって、本当に首が回らなくなってしまって、でも、一度はどうしてもライブで見たかったんです、Perfume。やっぱり「本人」を見たいじゃないですか。例え点のように小さくても。
で、今年はPerfumeのファンクラブに入って、ファンクラブを通じて予約を取ったのだが、そうしたら席の番号は「アリーナA1-13、14」だった。
それってどのくらい凄い席なのか、ライブってあまり行ったことないし、そもそもアリーナ席なんて初めてだったので、よくわからなかったのですが、行ってみたら、左端に近い場所ながら前から2列目。左端であったことが逆に幸いして、ステージ中央に来た3人が、誰にも遮られずに(人の間から)見えたんです。もちろん、ステージの左端に来てくれた時なんか、表情がわかるくらいはっきりと見えました。あと、最初の方でのっちのMCの間に、かしゆかがステージの端で髪の手入れをしていたのが見えました。かしゆかの「趣味・髪の手入れ」って本当みたい。
ありがとうPerfume。こういう席は芸能関係者でもないと取れないものとばかり思っていました。ちゃんとファンクラブの人に売ってくれるんですね。初めて知りました。お礼に、アンケート用紙と一緒に飯島意匠オリジナルTシャツ「ニャンルームディスコ」の緑色バージョンを3着同封しました。かえってご迷惑かもしれませんが。

Perfumeはもう人気もピークアウトとか、色々言われているけれど、武道館は満席でした。本当に空席がなかった。
あと、暑かった。気分の問題でなく、本当に身体的に暑かった。
Tシャツ1枚でも汗が流れるほど。
これからPerfumeのライブに行く人は、汗を拭くタオルを持って行った方がいいです。ファンクラブ限定のタオルでなくてもいいので。

また行きたいなあ、Perfumeのライブ。横浜アリーナとかやってくれないかなあ・・・

文学賞に落ちまくる


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

もう30年くらい昔のことになるが、千葉県立某高校の校長が、こんな話(講話)をしたという。
それは、「成功した話をするより、失敗した話をした方が、みなさん喜ぶんですよ、だから私はなるべく失敗した話を話すようにしています」。

今、不特定多数に向けて「話をする」=「情報を発信する」ということが、ブログという仕組みによって極めて簡単になって、なにも県立高校の校長にまで出世しなくても、大勢の前で「話をする」に相当することが、誰でも可能になっている。私もそういう1人だ。
で、初心に立ち返るという訳でもないけれど、改めて考えてみると、私もどちらかというと「成功した話」をするのが好きな方で、それはとりもなおさず「つまらない話を振りまいている」ことになるのだろうなあと、かなり反省するところ大である。

で、早速、近年の失敗事例を色々書いてみようと思ったのだけれど、ここ数年に関して言えば、人に話して面白いというほどの失敗は、あまりない。紙の切符を買ったのに、JRの自動改札で誤ってSuicaをタッチしてしまった失敗など、失敗ではあるけれど全然面白くない。そういう失敗をひけらかしているうちは、まだまだ私も修行が足りないということなのだろう。(ちなみにこの失敗をした時には、そのSuicaを駅員さんのところに持って行って、タッチの「取り消し処理」をしてもらえばOKです。)

かなり恥ずかしい失敗としては、やはり、かなり痛々しい「文学賞落選」というのがある。これは結構回数を繰り返していて、20年くらい前には、福武書店の海燕(かいえん)新人文学賞に4年連続で滑った。1次選考で落ちたとかいうのはもうどうでもよくて、3次選考で落ちた時は凹んだ。しかし、今思えば落ちて当然のものを出していたと思う。去年は久しぶりに「湯河原文学賞」に応募してみたが、かすりもしなかった。200編弱くらいしか応募がないらしいので穴場だと思ったけれど、どうも、入選作を読んでみると、私みたいなのは「相手にされない」んじゃないかという気がした。これは、湯河原文学賞を非難して言っているのではない。どんな賞、文学賞に限らずあらゆる賞、写真なんかもそうなのだけれど、その賞の「入選しやすい傾向と対策」というのは、やっぱりある。ただやみくもに出品すればよいのかというと、それは違う。そういうのは、努力の方向性として、あまりお勧め出来るものではない。

で、今年から少し考え方を改めて、いわゆる「純文学」ではなく、「ライトノベル」の方に出すことにした。全然違うじゃないか、どういう節操のなさだと思われるかもしれないが、私自身、読んでいるものは、今、純文学ではなくてライトノベルやその派生のアニメ(これは読むというより観るだが)なんかの方が、絶対量は多いのだ。例外は村上春樹だけ。しかし「村上春樹の傾向と対策」を考えてもしょうがない。「傾向と対策」ごときで真似が出来るほど軽い小説ではない。彼ほどの「文学の基礎体力」を持っている人は少ないと思うし、私は文学部卒といっても地理学科だし。

で、あまり大きな声では言えないけれど、湯河原文学賞で滑った作品を、少し手を入れて、ライトノベルの選考に出した。それが今年の4月。でも、正直、期待していない。やっぱり、バレますよね、使い回しって。なんかおかしい、と思うはず。読む人は。
今、こりもせずにまた新作を書いていて、今はもう推敲の段階に来ているけれど、今度こそ通って、売れて欲しいなあとか思っている訳ですけれど、この年になって、しかも、これだけ落選を繰り返していると、自然に「あまり期待しない」というふてぶてしい態度が身に付いてしまっていて、ああ、よくないなあ、こういう「苦労人ぶった人」にだけはなりたくないなあなんて思ったりしてしまう訳です。

今日は黒ヱビスを飲んでいるので、何を書いているのか訳が分からなくなって来た。

スマホブームを見抜けなかった


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

商売をしているので、常々、色々、「この先どうなるか」を予想しながら日々暮らしている訳であるが、「これはハズした」という予想もかなりある。
「私の予想が当たりました」という記事を書く人はたくさんいるが、「私の予想が外れました」という記事を書く人はあまりいないと思うので(第一かっこうわるいし)、あえてそれを書き出してみようと思う。

まず、私の最大のハズレは、スマホがこんなに普及するとは思わなかった、ということだ。それに関連して、PCが思いのほか普及していない。
これはどういう予想かというと、5年くらいまえ、私は、次のような予想を立てた。
「PCが5万円以内で買えるようになったので、もう、携帯電話で無理矢理ネットに接続する必要はなくなる。安いノートPCが普及して、携帯電話は電話機能だけのシンプルなものが主流になる。携帯電話の課金や広告で稼いでいる業者・・・モバゲーとかグリーとか・・・は、没落する」。
大はずれ。
今、TVのゴールデンタイムでじゃんじゃんCM打っている会社を見ると、私の誤りは明らか。PCは「仕事のツール」として「会社」には浸透している。だが、携帯サイトは絶好調で、TVCMだけでなく、東海道線の車内吊り広告などにもどんどん出稿している。ついにGREEなどは、「未成年者の1ヶ月の課金は1万円までとする」という自主規制を発表したけれど、自主規制しなければならないほど儲かるというのは、ある意味でうらやましい。
ともかく、そういう商売が衰退するという私の予想は、大いに外れたという訳だ。

携帯電話関係で言えば、もう1つハズレがあって、スマホ、スマートホンがこんなに普及するといは思わなかった。
私の知っていたスマートホンというのは、もうこれも5年くらい前になると思うけれど、iPhone以前のスマートホン、Black Bellyのように、ちょっと大きな画面の下に、小さなフルキーボード(というか、キーボード配列のボタン)が付いているタイプだった。こういうのは、熱心なデジタルガシェットファンにしか普及しないだろうなと思っていた。まあ、それはある程度当たっていなくもない。だが、スマートホンそのものの定義が変わってしまって、フリック入力とともにもの凄い勢いでスマートホンが普及している。これも見抜けなかった。私の負けです。

仕事関係のPCでも、ハズした予想がある。
それは、シンクライアントが思ったほど普及していないということだ。
これは、かなり真面目に考えた予想なので、軽いショックを受けている。
シンクライアントというのは、ハードディスクがなく、アプリケーションもデータも全てサーバーに置いてあり、サーバーの機能とデータをハンドリングするだけに特化した端末。
企業や官庁のセキュリティ意識が高まれば、必然的に、PCはすたれ、シンクライアントに置き換わって行く・・・と思っていたのだが、案外、PCが健闘している。
これは秘密でも何でもないので書くが、例えば神奈川県庁では、シンクライアントではなく、PCを端末に使っている。ただし、USBコネクタは潰してあり、ほとんどのPCにはCD-ROMドライブさえない。どうしてもCD-ROMの内容を見たい時には、セクションに1台ずつ配置した「CD-ROMを読むための特別のPC」で読むことになっている。理由はもちろん、セキュリティ上の配慮だ。USB経由でもCD-ROM経由でも「マルウェア感染を完全に断つ」という姿勢なのだ。「踏切事故をなくすには踏切を無くせばよい」という新幹線の発想に近い。PCをシンクライアントの「ように」使っている訳であるが、そこまでしてPCを使うとは思わなかった。
ここで私が見落としていたのは、office製品の存在だ。過去15年くらいの間に蓄積された膨大な量の文書、それは、主にWordやExcelや一太郎で書かれている。利用ノウハウの蓄積や慣れといった側面からも、仕事を能率よくこなすには、やっぱりoffice製品は手放せないのだろう。これがシンクライアントではネックになる。
民間企業も、少なくとも中小企業に関して言えば、シンクライアント以前に、そもそもサーバー自体持っていない。PCはまだまだ事務の中心にある。

有り難いハズレもある。
これも5年くらい前に考えたことだが、WEB制作という職業が壊滅しているという予想だ。
ホームページビルダーはともかくとして、WordPressのようなCMSが普及して、もう、Web制作などという仕事は必要なくなるのではないかと。
現実はどうかというと、一応、私が商売として成り立っている。
盲点は2つあって、例えば某社ではCMSを導入したので、社内のWebページ制作を外注に出すことはなくなった。ここまでは当たりだ。ところが、セキュリティ水準を引き上げるために、FTPツールのインストールを禁止してしまった。これは、社内のWebページを更新する際には問題ないが、別途、外部のサーバーを借りてホームページビルダーで管理していたWebページが、全く管理出来なくなり、外注に出さざるを得なくなった。
また、別の某社では、WordPressを導入して「誰でも簡単に更新出来る」仕組みを作ったのだが、いざ運用を開始してみると「更新出来ない」、つまり、本業が忙しい、あるいは、社外向けの文章を練る時間(と自信)がない、という理由で、Webが放置されてしまった。それで、そういう文章制作や管理を外注に出すことになった。

未来の予想というのは難しい。

玄米を噛まずに食べると肌が荒れる


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

今日、明珠堂に行って来た。指圧30分。最近、2週間に一度は通うようにしている。
指圧・鍼灸師の腕の良さについて、私は詳しいことはよくわからない。
でも、ここの先生は、(私が)食べ過ぎの時にはそれをぴたりと当てるし、凝ってつらくなっている肩を的確にほぐしてくれるので、とても助かっている。
で、今日も指圧を受けて来たのだけれど、明珠堂の先生が言うには、「玄米はよく噛んで食べないと肌荒れの原因になる」ということだった。玄米が肌荒れに繋がるという話は初めて聞いたので驚いたのだが、概略を記すと次のような話だった。

まず、玄米そのものは体に良い。鍼灸師仲間でも、玄米食生活の人は多い。

ただ、普段白米を食べていた人が急に玄米に切り替えると、かえって問題を生じることがある。
なぜなら、白米はあまり噛まなくても消化されやすいが、玄米は消化によくないので、よく噛んでから飲み込まないといけない。
ずっと白米を食べて来てた人が玄米を口にすると、白米の感覚でよく噛まずに飲み込んでしまうことが多い。すると、玄米は消化されにくいので消化不良を起こす。
この消化不良が原因となって、下痢をしたり、肌荒れを生じたりする場合がある。

玄米は、浸水時間を長くしないと炊けないという難点もある(圧力釜を使う方法もあるが)。
白米食の人が玄米を食べ始める時には、まず、手軽に食べられる「一食ずつのパッケージで、レンジで加熱するだけで食べられるレトルトタイプ」を「時々食べる」ことから始めるとよいのではないでしょうか、とのことだった。
玄米の他、麦飯、雑穀も「美味しいのでお勧め」だそうである。
玄米にこだわらなくても、普段は白米を食べて、時々麦飯や雑穀ご飯を味わって楽しむように、玄米も少しずつ取り入れてみてはどうでしょう、とのことだった。

消化不良や肌荒れのことは今日初めて知ったので、少し驚いた。

まどマギ面白い


カテゴリー: テキスト日記萌え | 投稿日: | 投稿者:

今さらながら「魔法少女まどか★マギカ」を見ている。レンタルDVD。
今、第6話まで見たところ。
いやー、これ面白いです。あと、戦闘シーンとかも含めて絵が綺麗。
ほむほむの「不思議少女っぽさ」がいい。そういえば、ひなさんもちょっと不思議少女入ってるかも。
第6話、深夜、まどかのお母さんがまどかに言う台詞。
「むしろみんながみんな、自分の正しさを信じ込んで意固地になるほどに、幸せって遠ざかってくもんだよ」
それ、今の世界情勢そのものですやん。
「本当に他にどうしようもないほどどん詰まりになったら、いっそ、思い切って間違えちゃうのも手なんだよ」
それって、もしかして今の日本社会のことでしょうか?
いや、深読みしすぎだろうね。
ともかく、面白いです、まどマギ。
※台詞は下記のサイトを参考にさせていただきました。
魔法少女まどか☆マギカwiki
http://www22.atwiki.jp/madoka-magica/
ネタバレ考察台詞集
http://www22.atwiki.jp/madoka-magica/pages/83.html


カテゴリー: 写真日記 | 投稿日: | 投稿者:

近所の公園で、桜が咲いた。
そういえば去年は桜を眺めに行く気も起きなかったなと思い出す。

桜

CANDY CANDYが笑える


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今ごろ気づいたのだけれど、きゃりーぱみゅぱみゅの「CANDY CANDY」のPVが、彼女らしさ全開という感じで面白い。

勾玉を買った


カテゴリー: 写真日記 | 投稿日: | 投稿者:

勾玉を買った。
先々週くらいに楽天で発見して、なぜかとても欲しくなって、買った。
糸魚川産の翡翠を、日本国内で加工しているという。
2種類の勾玉が目にとまった。1つは、ふっくらとしていて青みは薄い。もう1つは、深い緑色をしている。
どちらにするか決定できず、そうだ、どちらかはひなに選んでもらえばいい、と思って、2つ買った。
このお店では、同時に紐を注文すると、紐を通した状態で送ってくれる。
勾玉。首から提げていると、なんだか楽しい。

糸魚川翡翠勾玉 M02350豊翠 作19.8mm*15mm*4mm

糸魚川翡翠勾玉 M02350豊翠 作19.8mm*15mm*4mm
価格:10,500円(税込、送料別)

勾玉

勾玉

模型を整理しようかと


カテゴリー: テキスト日記鉄道 | 投稿日: | 投稿者:

ここ最近急激に数を増やしているような気のする我が家の(というか私の)鉄道模型であるが、ここへきて、ちょっと整理しようかな、と思い始めている。

以下は、あくまで「私の感想」というだけに過ぎず、これが絶対的な真理だと主張する意図は毛頭ない。

模型の面白さというか、楽しさは、必ずしも「実物の思い出」とは関係ない。
例えば私は、EF15という電気機関車を見た記憶がない。時期的に、たまたま乗っていた列車とすれ違った貨物列車の先頭に立っていた、などということがあってもおかしくはないのだけれど、はっきりと観た記憶はない。でも、深いマルーンの車体から突き出している短いデッキ廻りの雰囲気とか、ツララ切りを兼ねているといわれているひさしとか、そういう造形に、何と言うか、凄く惹かれる。

こないだ買ったトキ21500も、見たことがあるような「気がする」だけで、本当に見たという自信はない。でも、この「蓋付きの無蓋車(むがいしゃ)」という天の邪鬼のような構造とか、黒くて細長いプロポーションとか、何とも言えない味わいがある。貨物列車というのは、今も昔も、同じ形式が何両も繋がっていることが多い(多かった)けれど、模型で少数ずつ色々なカタチのものを集めるというのは、意外に楽しいものだと思った。ワフ29500なんか、たまらないです。半分貨車で半分車掌室。模型も実物同様、赤いテールランプが点くのです。昔の貨車の最後尾ってこれだったよなー、という郷愁もないことはないけれど、それより、模型的に「赤く光るワンポイント」があった方が楽しいという気持ちを感じる。

カタチだけが全てではない。キハ20などは、何と言っても走らせるのが楽しい。
これは、一旦動かなくなっていた模型を修復したという喜びというか自己満足もあるのだけれど、それだけでもない。キハ20は、実物も「1両編成」で走ることが出来た。模型も同じで、1両で走らせてもよし、キハ47とかと混ぜて6両編成とか組んでもよし。
キハ20もキハ47も、実物には随分乗ったけれど、乗った車両だから好きだとか、思い出があるとか、そういう理由で(模型のそれらが)好きな訳ではない。
確かに実車も(個人的に)好きな方ではある。けれど、他のどの車両よりも好き、というほどではない。
実車ではキハ47よりもキハ20よりも、旧型客車の方が好き。
でも旧型客車の模型を買ってみて分かった。私は「このカタチが好きという訳ではないのだ」と。私は実車の「ずっしりとした重々しい雰囲気」が好きだった。あるいは、「キーンと微かに聞こえるサークライン蛍光灯のノイズ」とか、灰皿から漂ってくるタバコの匂いとか、しばしば出会った壁面が木目にニス塗りという「味わい深い」を通り越して「おどろおどろしい」と思わずに居られなかったクラシックな内装であるとか、開けっ放しの窓から入ってくる緑の匂いとか(←夏とかね)、そういったものが総合的に一体となって醸し出す風情のようなものが好きだったのだ。模型にそういった要素があるはずもなく、むしろ、案外シンプルな作りだなという感じで、特別に面白いという感想は持つことが出来なかった。

KATOのキハ20という模型に関して言うなら、発売開始以来40年くらい経っていると思う。そのキハ20、未だに40年前とほとんど変わらない仕様の製品を今でも売っている。現行モデルなのだ。色々な意味で凄いと思う。ディティールなど割と省略気味であったり(床下とか特に)、飾り気のないシンプルな模型であるように思うけれど、これはこれで「カタチ」として成立しているという気がする。ディティールの細かい最新の他社製品と並べてみても、見劣りがするかというと、案外そうでもない。ディティールがおおまかでも、全体の雰囲気が、うまくまとまっているのだと思う。個人的には、破損の心配が少なく、気楽に取り扱えるという点も気に入っている。

で、今、売ろうと思っている車両リスト。

鉄道コレクション「阪神5201形(5203〜)」。子供の頃乗ったなあ、阪急810系とならべて今津駅再現!とか思って買ってみたのだけれど、ごめん、やっぱり私、阪神より阪急の方が好きなんです。今では同じ系列の会社に合体しているけれど。やっぱり「あの当時」は「宿敵」だった訳です。というか、最近阪急1010系をオークションで買ってしまいまして、そうしたら、何だか阪神電車が、居心地悪そうな顔しているような気がしてきたんです。ごめんよ、ジェットカー。

鉄道コレクション「小田急キハ5000」。大手私鉄のキハという珍しさに、つい買ってしまった。実物は乗ったら味わいがありそうだけれど(エンジン全開で小田急線の電車の間を縫って突っ走るとか)、うーん、なんだろうな、今ひとつしっくり来ない。決して悪い車両ではないと思うのだけれど。

鉄道コレクション「羽後交通キハ3」。わーい、萌え米の里のキハ!バスケット付き!と思った。悪い車両ではないと思う。しかし、うーん、微妙に何か違うというか、私の心のツボに来ない。鉄コレは安いので衝動買いしたのが多いなあ・・・

TOMIX DD54。DD54の現役時代は、本当に一瞬見た「かもしれない」程度で、中学生になってから大阪の交通科学館で保存されている姿を見た。昭和40年代の機関車なのに、古さを感じさせないというか、不思議な魅力のある機関車。B-1-Bという独特の軸配置も格好いい(この軸配置は考えてみると、何もDD54だけのものではないのだけれど)。という訳で、オークションで競って競って、やっと落札したんです。友人に貸していたパワーパックを返してもらってからは、走らせてもみました。ちゃんと走ります。ライトも付きます。なのに手放すんですか?と、自分でも思う。
しかし、うーん。何だろう。この「力強さ」を感じるシルエットが、逆に私の心を掴まないのだろうか?DD54に比べて出力が小さく、しかし、DD54より長く活用されていたDF50の方が、なぜか私の心を掴んでしまう。
私の持っているDF50はマイクロエース製の中古なのだけれど、四国仕様で、四国ならではの前面補強があったりして、そういえばこの顔を薄暗くなった新改駅で友達と一緒に眺めたなあなんて思い出もあったりして、しかし、思い出だけでなく今こうして模型を見て見ると、何となく親しみのようなものも湧いてくるという、不思議な機関車。朱色とグレーの2色塗りというのもいいのかも。でもそれならDD51だってそうじゃん、と思う。DD51。まあ嫌いではない。凸型で、造形的にも面白みがあるのは分かる。でも多分模型は買わない。理由は分からないけれど、欲しいという気持ちが、今ひとつピークに達しないのです。それはそうとして、で、DD54。決して嫌いではないのではあるけれど、何となく、手放そうかなあなどと考えてしまったりしている。

今日は、いや、今日も、何だかとりとめもないことを延々と書いてしまった。

トキ21500


カテゴリー: テキスト日記鉄道 | 投稿日: | 投稿者:

あれは1月23日のことになる。
おおぞら会と神田珈琲園に、年初の打ち合わせに行った。
おおぞら会が10時、神田珈琲園が2時。おおぞら会の予定が少し早く済んだので、サンマルクでベトナム風サンドとチョコクロを食べて(てゆーか神田珈琲園で食えよって話もありますが、時には他店のメニューを試食しておくことも必要なのです)、それでもまだ時間に余裕あったので山手線に一駅乗って、秋葉原のヨドバシに行った。目指すは6階。フィギュア&鉄道模型。何か病んでるなあという気持ちが多少しなくもなかったけれど、それはよいということにしよう、心惹かれるねんどろいどか貨車があったら買っていこうかな、くらいの気持ちで、暇つぶしを兼ねて行ってみた。

で、行ってみて特別にこれといって魅力的なねんどろいども貨車も無かった・・・はずだったのが、1つだけ気になるアイテムを見つけてしまった。
トキ21500。
冷延コイル輸送用無蓋車。
屋根の無い、トレー状の貨車なのだが、特別にフタがついている。薄い鉄板で作った冷延コイルを運ぶための特別仕様車。冷延コイルというのは、かなり大きな貨物なのだけれど、素材が鉄板なので雨にあたると錆びてしまう。それで、無蓋車でありながら、開閉式のフタがついている。それがトキ21500。
で、その模型があることは知っていたのだけれど、これ、模型も実物同様に「フタが開く」ようになっていて、中に「冷延コイルの模型」が積んであるんですよ、それが、ヨドバシの6階でフタを開けた状態で展示されていたんですよ。
うーん、どーしよーかなー、今、あまりヨドバシのポイント溜まってないんだけどなー、と迷っているうちに時間が無くなってしまったので神田珈琲園に向かった。

家に帰ってから、やっぱりあれはいい、と思って、そうだ、楽天のポイントなら900円分くらいあるぞ、と思って、ポチった。
★楽天(Joshin)・トキ21500 2両一組★

で、今、この貨車の模型は私のイエの模型コーナーで、EF15型電気機関車に連結されて飾ってあるのだけれど、この模型、脱線防止のためだと思うんですけど、ちょっと重いんです。ずっしりした手応えがあるんです。それで、たまに「ぺんちら」っとフタを開いて冷延コイルを観察したりするのが、味わいがあっていいんです。
自分でも何を書いているのか訳がわからなくなってきた。

なお、実車の写真はこちらのページにあります。私、この実車って、東海道線か東北線のどこかで見たことがあるような気がする。勘違いかもしれないけれど。→JR貨車研究所039_トキ21500形

早咲きの桜、2012年


カテゴリー: 写真日記 | 投稿日: | 投稿者:

毎年このくらいの時期になると、川端公園の「早咲きの桜」を見に行く。
今年は寒いせいか、まだほとんど咲いていなかった。川に張り出した枝の先に、少しだけ花を付けていた。
たぶん「河津桜」という桜だと思う。
去年の今日は、もう満開になっていた。
http://hmk.iijiman.com/mamenikki/?p=2195

早咲きの桜(河津桜)

早咲きの桜(河津桜)

Perfumeのファンクラブに入った


カテゴリー: Perfumeテキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

私には、1980年代において「3つの後悔」がある。

1つは、別府鉄道に乗らなかったこと。当時、鉄道旅行といえば「国鉄」ばかりに注目していて、味わいのある私鉄をみすみす見逃していた。動いているキハ04に乗ってみたかった。オープンデッキの小型客車に乗ってみたかった。野上鉄道しかり。有田鉄道しかり。どうして乗っておかなかったのかと、悔しい思いがする。いや、どうしても我慢出来ないほど悔しいかと問われると、いや、そこまでは、とも思うのだけれど、そういう私の中途半端な性格が、30年後に後悔の原因となった例であるような気もする。

もう1つは、YMOのライブに行かなかったこと。リアルタイムだったのに。もうあんな大きなうねりは、地球上のどこにも生まれないんじゃないだろうか?と言うと大袈裟過ぎる気もするけれど、あの時、あれが30年後になって、アルバムを聞き返しても「古びない」ものであったとは思わなかった。

もう1つは、好きな女の子に告白しなかったこと。これを正確にカウントすると3つの後悔が7つの後悔になってしまうのだけれど、中学生の頃、高校生の頃、好きになった子が居ても、私は決して告白することをしなかった。出来なかった。勇気がなかった。意気地がなかった。軟弱だった。気弱だった。情けない男の子だった。しかし、この後悔だけは他の2つとはちょっと異なる要素を含む。もし告白したうちの誰かと、その後交際が続いてしまったとすると(いや別れる可能性の方が、普通に考えて、大いに有り得る訳ですけれど)、今の奥さん、ひなさんに出会うという個人史が巡ってこないことになる。それは困る。そして、この後悔があったゆえに、「同じ轍は踏まない」と覚悟して、ひなさんと付き合うようになったというフィードバックもある。だから、この後悔は、後悔しつつ、結果的にこれで良かった、これ以外の道もちょっと困るという、ちょっと複雑な思いもある。けれど、今、中学生とか高校生とかに(説教など垂れる立場ではないことは充分承知いたしてはおりますが)、好きな人が出来たら、とにかく告白しなさいと言いたい。もちろん振られる確率も相当高いだろう。普通はそんなものだ。でも、「あの時告白しておくべきだった」という後悔は、決して後味の良いものではない。

1つ目の後悔である「別府鉄道」は、小型客車はどうしようもないけれど、辛うじて最近、キハ04の実物に触れた。大宮の鉄道博物館で美しく保存されている車両の車内に入って、座席の小ささや壁の木目に感動したりした。

3つ目の後悔である「告白」は、今、ひなさんと暮らしているからOK。

で、残った1つの後悔。YMOのライブに行かなかったこと。
こればかりはどうしようもない。
しかし、ここで私は再び「同じ轍を踏んではならない」と考えた。今こそフィードバック。で、今、「リアルタイムで観ておきたい」と思ったのが、Perfume。

それで、今日、Perfumeのファンクラブに入った。入会金1000円+年会費4000円。ネットで手続き完了。便利過ぎる世の中は、後悔の敷居を少し下げてくれたかもしれない。いや、まだチケットの抽選を当てないといけないという難関はあるんですけれどね。
http://www.perfume-web.jp/

ゆたぽんファイブ・スクリーンセーバーを飯島意匠で制作・無償配布開始


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

湯河原町の「ご当地キャラ」として登場した「ゆたぽんファイブ」。
5人組で「変身・戦隊もの」。
飯島意匠では、この「ゆたぽんファイブ」の「スクリーンセーバー」を制作しました。
5人の「ゆたぽんファイブ」が変身します。
(Windows版のみ)
http://yutapon5.iijiman.com/
ダウンロード、ご利用とも無料ですので、Windowsユーザーの皆様は、どうぞご利用ください。

33年前のKATO製キハ20


カテゴリー: YouTube写真日記鉄道 | 投稿日: | 投稿者:

1979年頃購入した、KATO(関水金属)製のキハ20。友人(の子供)に貸していたが、2011年に帰ってきた。動かなくなっていたが、分解清掃、グリスの塗布を行っ?たところ、復活した。6両編成、11両編成でも動いた。

どんどん焼きに行ってきた


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今年の湯河原町門川区のどんどん焼きは、今日1月15日(日)ということだった。
それで、行ってみた。2時半頃に会場の千歳川河口に行くと、既に盛大にやっていた。

どんどん焼き

どんどん焼き

係の子供にお賽銭を渡すと、お団子とお赤飯を貰った。

お赤飯と団子

お赤飯と団子

豚汁も振る舞われた。

豚汁

豚汁

例によって、木の枝に餅を差したものがあったが、今年はみかんは刺さっていなくて、そのかわり、丸以外の造形の餅が、時々あった。

餅

これはウサギかな?

餅

琥珀ヱビス


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私は、月に4本までビールを飲むことにしている。
琥珀のヱビスと、黒のヱビスが好き。
おいしいわ。

琥珀ヱビス

琥珀ヱビス

湯河原中学校の屋上を太陽光発電所に


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このネタ、後で誰かにパクられたときにむかつくので、豆日記とmixiの日記に書きます。

湯河原町立湯河原中学校、かつては県立湯河原高校であったところですが、この校舎の屋上に太陽光発電パネルを設置して、太陽光発電所を作ったらどうだろう。実験程度ではなく、屋上と、日当りのいい空き地があれば(これがまたあるんだな、校舎とグランドの間の川の上空とか)そこにも太陽光パネルを設置。

はっきり言って、売電収入はあまり期待できない。所詮校舎の屋上「程度」の面積で、大した発電量にはならないだろう。
ただ、あれほど日当りのいい場所に、何も乗っけずに遊ばせておくのはもったいないし、神奈川県は、今、県知事が率先して太陽光発電を促進しようとしている。
そして、今、まだ「中学校の屋上に太陽光発電所を設置しているケース」というのは、あまり聞いたことが無い。
ここがポイント。
全国に先んじてこういう施設を、ただでさえ「観光地である湯河原」に造れば、全国から「視察を名目として」観光客がやってくる。いいんですいいんです、名目はなんだって。湯河原で1泊もしてくれれば御の字。
神奈川県庁って「全国初」とか好きそうだし、知事が乗り気だし、何とか県庁から補助金を引っ張って来て、あとは町で公債を発行して、公債の一部は売電収入を当てるとして、残りは・・・ネーミングライツ。
例えば「湯河原飯島意匠太陽光発電所」といった命名権を売る。もちろん、飯島意匠にはそんな資金などないけれど、日産とか富士通とか、神奈川県内に拠点を持つ企業に声を掛ける。太陽光発電の先進県に、自社の名前の発電所があるのって、イメージアップに貢献すること大だと思いますよ。もっとも場所が中学校屋上だけに「教育上ふさわしくないと判断される活動を行っている企業はお断り」という条件は付けておいたほうがいいだろう。

実際、太陽光発電所としてはさほど規模も大きくなく、あまり大きな期待は出来ないと思うけれど、「太陽光発電をネタに、命名権と見学者を引き寄せる」という作戦は、決して悪くないと思う。

三嶋大社に初詣


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今年は、1日から三嶋大社に行くことにした。
まず、いつもの駅を降りて、水路沿いの道を歩く。
途中、水路の橋で写真を撮るのは、私たちのお約束。

水路

水路

三嶋大社に着いた。1日に来たのは始めてだ。思ったほど混雑してはいなかったが、かなりにぎわっていた。

三嶋大社のしめ縄

三嶋大社のしめ縄

三嶋大社といえばやっぱり、鹿でしょう。

三島大社の鹿にキャベツをあげる

三島大社の鹿にキャベツをあげる

家からキャベツを持って行ったのだけれど、かなり喜んでくれた。

三島大社の鹿にキャベツをあげる

三島大社の鹿にキャベツをあげる

三島大社の鹿にキャベツをあげる

三島大社の鹿にキャベツをあげる

鹿の鼻は、しめしめしていて柔らかい。
ときどき噛まれるけれど、鹿の歯は鋭くないので、痛くない。

三島大社の鹿にキャベツをあげる

三島大社の鹿にキャベツをあげる

帰り道、路地に入ってみる。遠くに富士山が見えた。

三島の路地からみた富士山

三島の路地からみた富士山

2012年、湯河原では初日の出が見えた


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昨日の天気予報では「曇り」、初日の出は見られないかな、という感じであったけれど、朝になって見ると雲が切れて、家の台所から初日の出が見えた。
今年一年、つつがなく幸せに暮らせますように。

2012年初日

2012年初日

三嶋大社の「師走大祓」大祓人形


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毎年12月の初め頃になると、三嶋大社から「師走大祓」用の「大祓人形」が、現金書留用封筒と一緒に送られてくる。今年も送られて来た。最初のうちは「現金書留の封筒を同封するとは、ゲンキンな神社だなあ」と思ったけれど、考えてみれば、往復する交通費より費用が安く、有り難いことであるなと思い直した。
「日常生活の中で知らず知らずのうちに犯している罪や穢れを、半年ごとに祓い清め、清らかな姿に立ち返らんとする神事です。」との案内状が添えられている。ああ、確かに日常生活の中で、色々「プチ悪いこと」もしてるかもしれないなあ、などと思いながら、今年も「郵送で」申し込むことにした。12月31日にお祓いをしてくれるほか、元旦祈祷も行ってくれて、その2つのお札が後日郵送されてくる。なぜか郵便に強い三嶋大社。

大祓人形

大祓人形

今年面白かったもの


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2011年という特別な年、やはり原発震災のあったこの年というのは、確実に日本史に刻まれるであろうし、また、刻まれなければならないと思うのだけれど、その意味が本当に明らかになるには、あと4〜5年くらいかかるだろう。

つまり、今、私たちは「一種の奇妙なモラトリアムの中に居る」。

それを思うと笑っても居られなくなるのだが、あえて、「震災以外で印象に残っていること」を、ごくごく個人的に振り返ってみたい。そんなことなど何の意味も無いことは承知の上で。

エンターテイメントでは、DVDを色々借りた。今年になってからだ。TSUTAYAのオンライン会員になって、お試し期間無料特典を使って色々観た。一番面白かったのはやはり「ノルウェイの森」だった。菊池凛子さんって、顔がぺっちゃんこですよね。どうでもいいか、そんなこと。
http://hmk.iijiman.com/mamenikki/?p=2395

しかし、それにも劣らず個人的に面白かったのは「みなみけ」だった。
多分、私、震災で心がかなり参っていたんだと思います。今でも参っている。
そんな時、あのユルさが救いになるのかもしれない。
まあ色々ご意見はあるようですが、話は1期と3期、曲は2期が良かったです。アニメ界でまどマギが注目を集めるなか、今ごろになって「みなみけ」という、(私の)終わりっぷりに、自分でも呆れる。
http://hmk.iijiman.com/mamenikki/?p=2754

日記には書かなかったけれど、友人に長らく貸し出していた30年前のキハ20(の模型)が帰って来て、それはもう動かなくなっていたのだけれど、接点復活剤と接点グリスで回復に成功した。やっと動いているという感じではあったけれど、スケール相応の「本来の遅さ」に近い速度しか出ないという意味で、むしろリアリティがある。鉄道模型、もう欲しい形式は全部そろえてしまったなという感じ。EF15とDF50四国型とDD54が揃ってしまったら、それ以上はもう何もないでしょう(と感じる人は、決して多い訳ではないとは思う)。

あと、忘れかけていたのだけれど、2月26日に「虹の郷」に行った。
http://hmk.iijiman.com/mamenikki/?p=2218
震災前のことって、何と言うか、とても遠い過去のことのように感じる。
阪神大震災の時もそうだったなと思う。それを境に、過去のすべてが色あせてしまうような。

業務的には、今年着手した仕事で終了が来年に持ち越される案件がいくつかあって、何か、締まりのない年末だなあという感じがしている。

みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。

そろそろ年賀状を書く


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今年の総括、などという大袈裟なものではないし、だいたい総括も何もまだ半月も残っているじゃないかという気もするのだけれど、先月から製作にかかっているサイトがもう少しでクランクアップするところまで来たし、とりあえず年賀状の通信面だけは全部刷っちゃったしで、ああもう今年も終わりかなあなどと思ってみたりする。

で、1996年。
そう、あれは1996年のことだった。
もう、単純に大組織に身を委ねていれば安泰というご時世では「絶対にない」と思った年だった。「もはや安全地帯はどこにもない」と感じた年でもあった。「自分に関する全てのリスクは誰も面倒を見てくれない。自分で引き受ける以外に道はない」と確信した年でもあった。

1996年。
その春、私は定期的な人事異動で、ある学校の事務室に配属となった。
そこは、悲惨な職場だった。
私の前任者は「栄転」であったが、その「栄転先」というのは、いわゆる「不夜城」と呼ばれる過酷なセクションへの転勤であった。その世界ではそれが「幸福なこと」とされていた。なぜなら将来的に昇進へと繋がるからだ。昇進など「夕方6時に自宅で自炊して食べる」夕食のみそ汁の味噌滓一粒ほどの価値もないというのが私の考えであったから、私にはそう思えなかった。
しかし、そんな他人のことなどどうでもよかった、というか、他人のことを心配している余裕などなかった。
後輩となる職員が一人、メンタルヘルス系の診断書を3ヶ月おきに出して療養休暇を取り続けていた。聞けば前の職場でも色々あった人だったという。つまり1人欠員であった。4人居るべき正規の事務職員は3人しかおらず、1人はアルバイトで、彼女の仕事は専ら電話応対や来客応対中心の仕事であった。が、それでも電話応対すら手が足りない。そこ学校はある事情があって、父母からの電話が絶えない学校だった。その上、おそらく休職中の彼と思われる人物から、頻繁に無言電話がかかってきた。私はその無言電話に「むごんくん」という名前を付けた。丁度消費者金融で「むじんくん」というのが現れ始めた頃だった。割り振られた事務量は膨大なものだった。明らかに職員4人の手にあまるものであった。それを3人+1で捌いていた。横須賀線の終電に何回乗ったことか。終電を逃して自腹でタクシーにのって、運転手を急かして高島町まで行って東横線の終電に乗ったこともあった。夕食は夜遅く、終夜営業のカレー屋に行くことが多かった。
辞令1枚で、普通に暮らしていた日常が剥奪され、生活の何もかもが破壊される。だが、それが、この業種の宿命なのだということを、骨身に滲みて理解した。世間一般に、公務員として就職すればどんな不景気でも倒産がなくて安泰で、結構大きな社会的信用も得る(その証拠に公務員は住宅ローンとか車のローンとかすんなり借りられることが多いし、縁談等もまとまりやすい)が、それは、自らの心身を、顔の無い大組織という「仮想の生き物」に捧げ、単なる代謝物として生き血を吸われることと同義なのだと。
で、冒頭に記したような感想というか結論というか、そういうものを出すに至って私は、秋の人事異動希望調査に回答用紙を提出しなかった。所属長は「辞めるのか。ああそう。どーすんの?ああそう、しばらくぶらぶらしてんのか」と言った。彼にとってはこんなことくらい「よくあること」だったのだろう。彼に恨みはないし、そもそも彼に何を期待していた訳でもない。事務長は少し違った。「あんた本当に、よしなさい。この仕事を辞めて、小説家になるとか歌手になるとか言って消えて行った人はたくさんいる」。そう言った。私は別に小説家にも歌手にもなるつもりはなかったし、写真作家になろうとさえ思わなかったが、夜間の写真学校に行ってみようと思った。それは、ただ、何となく勘のはたらく方向に動いてみようかと思った、ただそれだけだった。公務員という、世間一般に「安定した立場」にある人が、そんな「人生を棒に振る」みたいなことをしようとして、止めない人は居ないわな、とは思った。しかし、そこで一歩前に進むことが出来たのは、身辺に起きた変化について、「世間一般の常識や価値観などどうでもよい、それより自分自身にとってどうなのか」という問題であると受け止めたからだ。

事務長はその10年後、勧奨退職(早期退職)で、割り増しの退職金を貰って仕事を辞めた。今思うと、なるほどそういう手段もあったかと笑える。
けれど、その時にはそんな発想を持つだけの余裕すら、私にはなかった。
いや、その手段でさえ私には耐えられなかっただろう。1996年からさらに20年、あのような暮らしを我慢して、何が得られただろう?そして、それが終わった頃、私は50歳。今の私より老けている。
その年齢になって、何の取り柄もない普通の男、というより、いい加減人生にくたびれてしまった人が、例え個人事業でも、新しい事業など起こせるものだろうか?既に起業経験のある人とか、よほどの資金力とコネクションを持っている人でもないと難しいだろうなと思う。
あのまま20年我慢を続けていれば、潰しの効かない老けた男1名様の出来上がり。まかり間違っても「飯島意匠」など存在していなかった。ひなと出会うこともなかった。

1996年12月31日の大晦日から1997年1月1日の元旦までの年越しを、私は東北のある町で過ごした。
初日の出は海岸で眺めた。雲は多かったが、太陽が見えた。松原を抜けると静かな砂浜があった。波は静かで、鏡のような水面に朱色の朝日が差した。その時の写真を今でも持っている。

その場所は、宮城県陸前高田市。
今、松原はたった1本の「奇蹟の一本松」を除いて全て流された。
あの静かな水面が、どうなったらあの恐ろしい大波に変化するのか、今でも信じられない。
けれど、これが現実世界というものだったのだ。

事務長とは、今でも年賀状のやりとりをしている。今年も多分出す。

コレクション


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気がついたら、貨車を11両も集めていた。
数を増やそうという気持ちはなかったのだけれど、2両組とか3両組とかでしか買えない貨車があったので・・・

貨車

貨車

気がついたら、ねんどろいどを6体も集めていた。
最初はミクだけのつもりだったんです。でも、Amazonの「あなたへのおすすめ」に黒猫が出て来たあたりから、何かがシパークしてしまったんです。全員非実在青少年。

ねんどろいどの、初音ミク、南千秋、黒猫、光陽園ハルヒ、平沢唯、琴吹紬

ねんどろいどの、初音ミク、南千秋、黒猫、光陽園ハルヒ、平沢唯、琴吹紬

despair / home 19話がいつの間に「最終回(最終話)」になってた


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まずはこちら。
http://www.justmystage.com/home/tvshikoku/despair-002.html
何と!despair / hopeの19話に、いつの間にか「最終話」の文字が!
マジすか?いつから最終回(最終話)になったんですか?

ちなみに、テレビ四国のサイトも、なぜか移動している。
http://tvshikoku.com/
http://tv459.com/index.htmlあのですね、いくら何でもあの19話が最終回って、それ、ハルカがかわいそうすぎるじゃないですか!20話で何か救いを見せてほしいと思ったのは私だけでしょうか?

いったい何があったんだ?テレビ四国。

大磯


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杉山映子さんの個展を観に、大磯に行った。
東海道線には、通勤、旅行、出張、合計何回になるのか分からないくらい何度も乗った。
大磯駅を何回通過したかわからないけれど、下車するのは始めてだ。

大磯駅

途中、洒落た八百屋を見つける。

八百屋

八百屋

こういう店って、湯河原にはないなあと思う。

八百屋店内

八百屋店内

その八百屋(というか、酒屋も兼ねているようだが)の店頭で、何と、名古屋「えいこく屋」の紅茶を発見する。
この春産の、ダージリンのファーストフラッシュが出ていた。50gで2625円。安くはないが、迷わず買ってしまう。

えいこく屋の紅茶の貼り紙

えいこく屋の紅茶の貼り紙

「ぶたのしっぽ」というギャラリーが、個展の会場だ。

ぶたのしっぽ

ぶたのしっぽ

ギャラリーの隣は、鴫立庵という、庵があった。枯れた雰囲気の庵だ。

鴫立庵

鴫立庵

大磯には、小洒落たカフェやレストランが沢山ある。

洒落たレストラン

洒落たレストラン

民家の生け垣に、仲の良いつばきが咲いていた。

仲良しつばきさん

仲良しつばきさん

個展も散歩も良い一日であった。

吉浜稲荷神社の縁日、2011年


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今日11月10日は、湯河原吉浜稲荷神社の縁日。
八百屋の店頭に名物の抜き柿が並んでいた。

抜き柿

抜き柿

こちらは特製の袋入り。

抜き柿

抜き柿

昼間なのですいていた。夜は賑わう。

吉浜稲荷神社、縁日、提灯の並ぶ参道

吉浜稲荷神社、縁日、提灯の並ぶ参道

今日は小雨模様だったためか、のぼりは出していないようだった。

吉浜稲荷神社、縁日の風景

吉浜稲荷神社、縁日の風景

お参りの後、無料で振る舞われる甘酒をいただく。毎年恒例の楽しみの1つ。

吉浜稲荷神社、縁日で甘酒をいただく

吉浜稲荷神社、縁日で甘酒をいただく

やあ!

猫

四ツ溝柿の渋を抜いた「抜き柿」、およびその作り方


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「抜き柿」を貰った。
湯河原近辺の民家の庭先でよく見かける「四ツ溝柿」は、元々は渋柿であるのだが、これを、当地湯河原では風呂の残り湯を応用して渋抜きをする。
まず柿は、皮を剥かずに、ポリ袋に入れる。次に、そのポリ袋に、塩適量、酒(料理酒)適量、もしあれば茗荷の葉、もしあれば桑の葉を混ぜて(配合比率は、秘密という訳ではないが、記しようがない。必ずしも厳密な基準があるわけではなく、各家庭で適当に合わせている様子)、袋の口を紐で縛って閉じる。この袋を一晩、風呂の残り湯に浸けておくと、柿の渋が抜ける。
この渋を抜いた柿を「抜き柿」と呼ぶ。
11月の吉浜稲荷神社の縁日では、八百屋の店頭にこの柿が並ぶが、それ以外にも、柿を育てている家では、それぞれに柿を収穫して、残り湯(+α)で渋を抜いて「抜き柿」を作ったりする。

ひなは柿が好き。
私は、子供の頃から柿は、ちょっと苦手。

かつて柿の名所「奈良」に住み、今でも「美味しい」と言われる抜き柿が作られているという湯河原に住みながら、柿が苦手というのは、ある種の幸福を味わえないという、ちょっと損をしているような気がしないでもない。

四ツ溝柿(抜き柿)

四ツ溝柿(抜き柿)


四ツ溝柿(抜き柿)拡大

Perfumeの「スパイス」PV、YouTubeでフルコーラス公開


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ひなが気づいたのだけれど、11/2発売のPerfumeの新曲「スパイス」がYouTubeで、フルコーラスで公開されている。それが、違法アップロードではなく、徳間ジャパンの公式チャンネルである。
相変わらず、撮影前から撮影後の後処理まで、凝っている。

で、思った。
これ、どういうビジネス?

既に初回限定版のシングルはAmazonでは売り切れている。
シングル1枚1300円として、単純に計算すると、1万枚売れれば1300万円の売り上げ、しかしPerfumeが1万枚ということはなかろう、なら5万枚で6500万円。ざっと7割が諸経費にかかるとしても、1950万円の利益が産まれる、というか、既にもう確定しているのかもしれない。10万枚売れれば3900万円。

そういう私も既にAmazonで初回限定版を予約済み、代金も支払済だ。

「だからいい、という意味ではない」と思う。

徳間ジャパンという、決して小さいとは言えない会社を維持するには、4000万円弱の利幅で満足いく訳もなかろう。
では「その先に行く」にはどうすればよいのか?

その答えが、YouTubeなのではないか。

つまりこれは、国内10万枚ごときの売り上げのために公開しているのではなく、全世界の「Japan fan」に向けて、Perfumeの存在を知らしめ、より大きなビジネスに繋げたいということではないかと思う。

実際、数年前にこんな話があったという。
ある日突然、角川出版に、ドバイの出版社から問い合わせが入った。
曰く「御社のアニメーション某の、当国内での版権を購入したい」。
その出版社は、某の内容を全て理解した上で「当国内にもファンが居るので販売したい」と。
角川側の担当者が驚いて、輸出どころか販路開拓さえ行っていないドバイという国で、いったいどうやって日本のアニメを知ったのかと訊ねると「YouTubeの違法アップロード動画で知った、だが当地のファンは画質の良い本物のコンテンツを欲しがっている」と、彼の地の出版社は答えたという。
それは後に、角川がアニメのMadを認めるようになった理由の一つにもなったという・・・

徳間ジャパンの狙いも、おそらくこれに近いところにあるのではないかと思う。

実際、ファンというのは、YouTubeの違法動画がタダで見られると知っていても、DVDやCDを、買い集めるものである。
欲しいものにはお金を払う。
モノにはモノとしての存在感があるのかもしれないし、金銭的にターゲットを支持したいという気持ちも働くかもしれない。
いちいちPCを起動してYouTubeに接続するのが面倒くさい、という人もいるだろう。
第一、積極的に消費という行動を起こすだけの「お金のある人」にとっては、CDの1枚ごとき、あるいは音楽配信の有料ダウンロード1曲ごときのわずかな金銭を節約するために、法を犯したり手間をかけたり、あるいはいちいち「やり方を調べる」などするより、商品として販売されているディスクやデータを購入する方が、手っ取り早くて楽で、その人にとっての「時間」を「金銭」に換算すれば、安いということになる。

早い話、Perfumeのターゲットは、もはや、日本の(あまりお金を持っていない)若い人たちではなく、全世界の、お金の使い道に困りながら人生に飽き飽きしている人たちなんじゃないかと思う。

それはいい戦略だ。全然いい戦略だ。

despair/hope 第18話、それ、無理。


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うーん。それ、無理。ろくなオトコじゃないな。フクシマをネタに使うな!
私、もろバブルなんですけど。カス世代でごめんよ。あほでも内定貰えたのは事実かもです。会社を選ばなければね。
大手は大学名で相手にしてもらえないってのは、ああ、あるかもなあ。そんなもんだよ。

日本海を観に行ってピーナツチョコを食べる夢


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昨夜、夢を見た。

写真学校のF君とK君の車に分乗して、日本海を観に行こうということになった。
なぜか高校の同級生のスズキヒデアキ君も居た。彼もそういえば写真を撮っていた。
ひなも居た。写真学校の同級生なので、まあ当然居る、という感じだった。

※注
ここでいう「日本海」というのは、兵庫県北部から山陰にかけての一帯を指すということが、夢の中では暗黙の了解とされていた。
しかし、実際の写真学校は横浜の日吉にあって、そこから日本海に行くには、最短でも新潟県であろう。実は夢の中では、写真学校は兵庫県西宮市付近にあるということになっていた。このあたりの訳の分からない設定は、私の育ってきた経緯によるものなので致し方ない。

で、車に乗って、ぐんぐん走って走って、「もうふらふら、これ以上進めない」というところまで着て、海が見えた。漁港のようなところに着いて、漁船が見えた。その近くに大きなユースホステルのような宿があったので、料金も調べずにとりあえずそこに泊ることにした。

男女同室の洋間なのだが(ユースホステルは男女別室)、とにかくみんな疲れてぐうぐう寝てしまう。

ところが、私だけが目が覚める。それがどうも妙な感覚で、起きようとするのだけれど起きられない。ベッドが背中に張り付いているような感覚で、とにかく「上下左右」「天地」「天井と床」の区別がつかない。3次元の感覚が全て狂てしまったようだ。私は起きようとしても起きられず、ぐるんぐるん回転していた。ひなはとなりのベッドでぐっすりと眠っていた。
そのうちふと、ベッドの上に婦人物の時計が置いてあることに気づいた。金属製の、装飾的な細い時計で、誰かから預かったのだろうか?そういえば自分の時計はどこにやったかなと思うと、ズボンの右のポケットに入っていた。
私は無性に「ピーナツチョコが食べたい」と思っていた。そして、突然宿から脱出することが出来て、ちょっと離れたところにあったファミリーマートに入ってピーナツチョコを買った。

※ここで、目が覚めた(これは夢ではなくて事実)

これは夢ではなくて事実だが、時刻は夜の3時頃で、当然のことながら手元にはピーナツチョコがなかった。それで、着替えてセブンイレブンまで自転車を走らせてピーナツチョコを3袋買って帰り、1袋食べた。瞬時だった。美味い。美味過ぎる。もう1袋食べた。それから寝た。

※以下、夢
場面は再びユースホステルのような宿に戻っていたのだが、なぜか新興宗教の儀式のような、大勢の人の声が聞こえて来た。何かお祈りをしているようだ。それも、私たちの部屋とカーテン1枚で仕切られただけのところでやっている。みんなぐぅぐぅ眠っていて、私と、なぜかアヴェちゃんだけがこれに気づいて、「何かやってるよぉ」と話し合う。

・・・

それからまだ少し夢の続きがあったような気もするが、詳しくは忘れた。
で、目が覚めた。
そうしたら、もの凄く気持ち悪かった。
朝の7時だった。新三共胃腸薬を飲んでみたがあまり効かなかった。
私はひなを起こした。「ひなさぁん、すごい気持ち悪い」。
ひなは事情を聞いて、小田原の秘薬「ういろう」を出してくれた。
ああ、こんな愚かなどか食いのために、貴重な「ういろう」を使って良いものかと逡巡したが、これ以外に特効薬はなさそうなので、飲んだ。

今、午前8時45分だが、ういろうの効き目は優れていて、大分楽になった。
夜中にピーナツチョコを大食いするのは止めようと反省した。