まずはこちらを。
京浜急行の先頭車から撮影した前面展望ムービーなのだが、最高120km/hで流れる風景をPCの画面で見ながら、iTunesでYMOのRYDEENを聴くと、無駄に格好良くて感動する。
まずはこちらを。
京浜急行の先頭車から撮影した前面展望ムービーなのだが、最高120km/hで流れる風景をPCの画面で見ながら、iTunesでYMOのRYDEENを聴くと、無駄に格好良くて感動する。
きっかけは、この1枚。
東北新幹線開業記念メダル。そういえばこんなものを持っていたな、と。素材は真鍮、金メッキ仕上げ。
これは高校生の時、国鉄職員の息子である同級生から貰った。
1982年6月。その日、東北新幹線は「大宮-盛岡間」という、今思うといかにも不便そうな区間で開業した。外箱の裏には1000円と書いてあるが、今、ヤフオクで同じものを探すと、100円くらいで売りに出されている。メダルをコレクションする趣味の人というのは、あまり居ないのだろう。
で、そういえばこの手のメダルって結構安く出回っているのかな?と思って色々検索してみると、やはり色々出ているようで。
その中から、ちょっと興味を引かれたものを、ヤフオクで買ってみた。
鉄道開業100年記念。外箱に「日本国有鉄道」と書いてある。当時の職員に配布したのだろうか?
278円。
東海道新幹線開業20周年記念。200円。これも外箱に「1000円」と書いてあった。
3つ並べてみる。
鉄道のメダルなら何でも良いという訳ではなく、検索して気になったものだけを買っている。近いうち「ポートピア81」の記念メダルなども買ってみたいと思う。
金銭的にはほとんど価値がないコレクションだけれど、ちょっとハマっている。
今年は色々無駄遣いをしてしまった。主にオークション。
庄内一分銀。
天保一分銀に刻印を打っただけで、銀の含有率も当然同じながら、4〜5倍の値段で取引されている。そんなもの買うものか、と思っていたのだけれど、オークションで比較的綺麗なものが割安で出ていた。で、買ってしまった。買ってしまうと何となく嬉しい。しかも2回。つまり2枚買った。なぜ2枚かというと、1枚は伝酒田で刻印の庄内一分銀、もう1枚は伝鶴岡で刻印の庄内一分銀。庄内一分銀は、ヤフオクをチェックしていると時々割安なものが出ているようだ。もう買わない(と思う)けれど。
ちなみに、今日の田中貴金属工業の銀のリサイクル買い取り価格はグラム50円で、一分銀8.66gは、400円くらいになる計算。銀の価格として考えるととてつもなく割高なんですが、時々眺めてにんまりしてる。
同じく一分銀で、跳ね分の「包み出し」(未使用)。
これも割安で出ていたので、オークションで買ってしまった。跳ね分というのは、表面に記されている「分」の第一画目の払いの先が上に跳ねているもので、希少価値があるとされ、これも通常の一分銀の5倍くらいの価格で取引されているようだ。私が買ったのは天保一分銀の跳ね分。未使用で、わずかに銀のサビが浮いているけれど、それがまた美しくもある。眺めてにんまり。ああ、いけないわ。
ちなみに、天保一分銀の通常品は、美品でだいたい2000円くらいで取引されているようです。(ヤフオク)
阪急6300系旧社紋8連フル編成。
実は今年、阪急6300系「KATO Aセットだけ」というのも買った。うちに12両も溜まっていることになる。4両を既に持っていたのに8連フル編成を買ったのは、それが滅多にオークションにも出ない、中古屋にも出ない、「旧社紋」の「KATO Bセット」を含んでいたから。これがあると、登場して間もない頃の、ある意味で黄金時代の阪急京都線特急を再現出来る。それを買った訳だが、買って驚いた。走行は多少渋いが、車体は綺麗だった。箱もあまり傷んでいなかった。余程大切にされていたのだろう。買って後悔はない。これは実は今日届いた。かなり嬉しいけれど、これで今月のお小遣いが半分飛んでしまった。ああ、いけないわ。ちなみに、旧社紋の阪急6300系も、ヤフオクをチェックしていると、時々出るようである。全く出ないという訳でもない感じ。もう買わないとは思うけれど。
あー、今年は色々無駄遣いをしてしまったなあ。
地方自治法施行60周年記念銀貨幣・群馬県の抽選に落ちた腹いせに、スカイアクセスに乗りに行った。時速160km/hに乗りたかった。いやこないだ名古屋行った時に時速270km/h+車体傾斜を味わって来たばかりだろうっていう話もあるんですけど。
乗り換えの便利さで言うと日暮里から乗った方が早いのだけれど、あえて始発の上野から乗ってみた。京成上野駅の近くって、90年代とか、変造テレホンカードを売っている外国人とかいっぱいいたのだけれど、今は全然居なくなった。スカイライナーと全然関係ない話ですが。
北ウイングの文字を見て中森明菜を思い出したのだが、ひなは「中森明菜は知っているが北ウイングという曲は知らない」という。
阪巻さん、ジャンベを売っていたよ。
初音ミクのコスセットを売っていた。13440円。
サブウェイに行った。トルコ航空の飛行機が見えた。何と言う形式なのかな。このくらい離れていても新幹線だったら分かるんだけれど。
マミさんのクリーナークロスを買った。杏子とどっちにしようか迷ったのだけれど、やっぱりマミさんのはかなげなところがいい。
電子ブック写真集「名古屋」を作りました。
7月31日に行ってきました。
私の名古屋。私たちの名古屋。
http://www.adjustbook.com/lib/?us=3493&bk=6630
名古屋に行った。名古屋に行ったらまずモーニングでしょう、という訳で、シャボープランサンロード店に行く。モーニングは、480円でワンドリンク+パン食べ放題のバイキング。
地下街のディスプレイにはドラゴンズ。
禁煙らしい。
リニア・鉄道館に行く。
なつかしいEF58。
通勤、旅行、数え切れないほど、飽きるほど乗った「みかん電車」
スハ43を保存するとは、いいセレクションだ。
車内に入って感動した。旧型客車のあの「匂い」がそのまま残っていた。
「匂い」を保存しようという積極的な意志はないと思うが、懐かしい「匂い」を味わうことが出来た。
ひなが「犬」と名付けた流電モハ52。
新幹線に二階建て食堂車があったことを、多くの人は覚えているだろうか?
この食堂車で食べる朝食は美味しかった。
0系と300系のモーター。左が新しい300系。技術の進歩が分かる。
蒸気機関車C57の運転台。これ、運転しろと言われたらギブアップです。
キハ181は四国で乗った。懐かしい。
あおなみ線の座席は変わっている。
謎の駅「ささしまライブ」。ライブってLIVEでしょう?RAIBUじゃないでしょう?
と思ったら、これには理由があって、LIVEだと英語で「笹島の生きている駅」という意味不明の表現になってしまうため、あえてRAIBUと、ローマ字表記にしているのだそうだ。
地下鉄に乗って、覚王山の「えいこく屋」に行く。
15年前に一度来たことがある。あまり変わっていないような気がする。
ランチセット950円。ナンもカレーもラッシーも美味しかった。
覚王山にはいつの間にか雑貨屋や小物屋がたくさん出来ていて、それを巡るのが予想外に楽しかった。
雑貨屋を覗いてみる。
白い花。
陶器屋。
Shibataという店のかき氷が凄かった。750円したが、本物の新鮮なマンゴーを使っていたり、抹茶を使っていたり、とにかく美味しい。
名古屋といえば中日新聞。
帰りの新幹線に乗る前に、ホームできしめんを食べる。
帰ってくると、朔が機嫌を損ねていた。
行ってみると案外、淡々と走っているような感じもしますが、やっぱり凄いです。
もうすぐ私の誕生日なのでどこかに行きたいということで、で、そういえば私は豊橋鉄道市内線に乗っていないじゃないかということに気がついた。豊橋に行ったことはある。豊橋から豊橋鉄道「渥美線」に乗って渥美半島の途中まで行き、そこからバスに乗って伊良湖岬まで行った。だが市内線は見落としていたというか、なぜか乗らなかった。いや、なんか電車に乗る基準が変なような気もするんですけど。
で、市内線。私は東京都電はもとより、今は廃止されてしまった京都市電とか、広島とか松山とか函館とか、それなりに路面電車に乗ってきたつもりではあったけど(とはいえ富山に何回か行ったのに富山地鉄に一度も乗っていないのはダメダメだけれど)、豊橋鉄道という、割と近場にある路面電車を見落としていたことに、今さらながら気がついた。
そして、ひな。ひなは何と「路面電車というものに乗ったことがない」という。で、道路に線路が埋め込んであってそこに小ぶりの電車が走るんだと説明すると「なんだか怖い」という。路面電車を「怖い」と言った人に初めて出会ったので驚いたが、まあ、乗ったことがないということは、そういうものなのかもしれない。
で、わざわざそれだけのためにですか?仕事はどうしたんですか?って話もあるわけですけれど、2月23日に、熱海から豊橋まで新幹線に乗って、豊橋鉄道市内線に乗りに行ってきた訳です。
で、豊橋鉄道市内線というのがまた、これが、ちょっとただ者ではないところがある。
何と、日本の鉄道で一番急なカーブ、というのがあるのだ。
それだけではない。これは鉄道関係者にも意外に知られていないのではないかと思うのだが、Google Street Viewによれば、「日本でもしかしたら唯一かもしれない、窓から路面電車の見えるサイゼリヤ」があるのである。
こんな話題盛りだくさんの豊橋鉄道市内線を見落としていたとは、うかつであった。
で、行ってみた。とりあえず豊橋駅から乗ってみる。お客さんは10人くらい乗っていただろうか。
まずは終点「赤岩口」まで行ってみた。
そこで降りたのは私たちだけだった。まあ土曜の午前中なので、こんなものだろう。
赤岩口というのは、ようするに車庫があるということのようだったが、その車庫には門がない。どこまでが入っていいスペースなのか判然としない。
まあ、侵入は常識的なところでやめておいた。
カラフルな人に出会った。
そんなことより謎は、赤岩口駅そばのこの「ファッションライフおおの」である。
安いのである。
思わず買ってしまう。
99円の手袋。結構暖かいという。これ、どうやったら99円で作れるのだろう?
ファッションライフおおのからも電車は見える。
さて、赤岩口駅に戻り、一駅戻る。
一駅戻った井原停留所で、人なつこい犬に出会う。
井原駅付近に、半径10mの急曲線がある。これは日本の鉄道でもっとも急な曲線である。
・・・と、こんな具合に曲がっていく。
実は井原駅は分岐点になっていて、ここから、赤岩口停留所と、運動公園前停留所との、2つの終点に向かう路線が分岐しているのだ。
最初は赤岩口までの路線しかなかったのだが、後に、運動公園前まで路線を延長して、その時に、半径10mの急カーブが出来た。
私たちは曲線と反対側に向かい、運動公園前を目指す。
いや、何か用事があったわけではないんですけどね、何となく終点まで行ってみたいじゃないですか。
そうしたら、運動公園前停留所の近くに「カフェなごみ」というのがあった。そこは障がい者の就労施設で、(多分)知的障がいのある方々と、そのサポートをする人たちで運営している喫茶店だ。
コーヒーを頼む時、ふと思い出したことがあった。
「モーニング、やってますか?」
答えはYESだった。
ひなは「あたしモーニングじゃなくていい」と言った。
違うんだ、ひな。
ここは名古屋の文化圏だから、「喫茶店のモーニング」に追加料金は要らないんだ。
モーニングサービスの時間内なら、コーヒー1杯を頼んだだけで、盛りだくさんのオマケがついてくるんだ。
「なごみ」も実際、350円のコーヒーに、ゆで卵と調理パンとサラダが付いてきた。
なごみでその他こまごまとした買い物をして、それから、一旦「競輪場前」という停留所に向かう。
ここに豊橋鉄道市内線の営業所があって、そこで電車形の目覚まし時計を売っていると聞いたからだ。
けれど行ってみると目覚まし時計は売り切れていた。競艇場前には小さな車庫があり、東京と岐阜から来た車両が仲良く休んでいた。
私たちはさらに競艇場から再び、井原停留所に向かった。といっても、今度の目的は急カーブではない。
何と、Googleのストリートビューによれば、この井原停留所のすぐ近くに「サイゼリヤ」があるというのだ。
日本全国に展開するサイゼリヤの中でも、「窓から路面電車が見えるサイゼリヤ」というのは、他にあるだろうか?
とか何とか言って、早めの昼食をたらふく食べたうえに、アイスティラミスを頼んでしまう。
まあ何ですね、正直なところ、日本一の急カーブを体験することと、電車を眺めながらサイゼリヤで食事をするというのがかなり大きな目的だったので、その目的を達成したらさくっと帰ろうということにしたのだけれど、そうしたら、たまたま帰りの電車にやってきたのが、最新型(といっても2008年製だが)の、いわゆるLRTタイプ(豊橋鉄道ではLRVと呼んでいるようだ)が来た。私自身、ここ数年、いやもっと、路面電車に乗っていなかったので、このタイプの車両に乗るのは初めてで、結構嬉しかった。
まあそんなこんなで、路面電車に乗りに行ったのか、それとも買い物をしに行ったのか、カフェとサイゼリヤに食事に行ったのかよく分からないけれど、豊橋の日帰り旅行から無事帰ってきた。
一つ前の記事に「湯河原に路面電車を」というネタを書いた。儲ける意思ゼロの、「駅前50階段から、らぁ麺屋飯田商店前」までの800m、というプランだ(プランと言えるのだろうか?)。
その経路設定の理由に「駅前に乗り入れると、ホテル城山の前の急勾配が登れなくなる」ということがあった。
で、ふと、では「鉄道で世界一急な勾配は、どのくらいか?」ということを考えてみた。
日本国内では、路面電車ではかつて東武日光市内線に60‰(6%)という勾配があった。100m進むと6m登る。路面電車でなければ、廃止になったJR信越本線の碓井峠が66.7‰。
でも66.7‰というのは碓井峠だけの特権ではない。実はもう一箇所、かつて京阪京津線にも66.7‰があり、ここを路面電車規格の車両が走っていた。
日本の鉄道における最急勾配は大井川鉄道井川線の90‰だが、ここはアプト式になっている。線路の間に櫛形の「ラックレール」を設置し、車両側の歯車を噛み合わせて走るというもので、急勾配に強い。ただ、大井川鉄道の90‰というのは、どうしてもアプト式でなければ越えられなかった訳ではないという話を、どこかで聞いた。
第二位は箱根登山鉄道の80‰で、これはアプト式ではない。道路標識の感覚で表現すると「8%の勾配」ということになって、まあ、道路には10%とかよくある訳ですけれど、まあ、かなりの急坂ではある。逆に言えば、鉄のレールと鉄の車輪といういかにも滑りやすい素材でありながら、8%までは何とか越えられるということだろう。
で、世界一。世界一の急勾配、それも、アプト式やケーブルカーではない、普通鉄道の最急勾配は、どこの、何‰なのか?教えて!Google先生・・・という訳で、ちょっと検索してみた。
そうしたら、何と、ポルトガルのリスボンに「135‰」、13.5%という、とてつもない急勾配の、しかも「路面電車」が走っているという。
http://his-germany.de/jp/euro_eisenbahn38.htm
写真を見た感じでは、これならホテル城山の前の坂も、何とか「ラックレールなし」で登れそうではないか?
そこで、前の記事に書いた「あまりにも誰も乗りそうにない」路線をちょっと改めて、次のような路線を考えてみた。
「エスポット前→ヤオハン前→ガキ大将前→ホテル城山前→湯河原駅改札前→小田原百貨店前→味の大西前→五所神社前→小学校前→ニューウェルシティ前→落合橋」というルートはどうだろう?
飯島意匠の前を通らなくなるのは残念だし、いくつか急カーブが出来そうなので、場合に寄ってはカーブの道幅を広げるために立ち退きなども必要になるかもしれない。
でも、そこそこお客さんに乗ってもらって年間5000万円くらいの赤字に抑えられれば、神奈川県とか湯河原町とかから、少しは補助金も引き出せるのではないだろうか?ホテル城山前の勾配が何‰あるのかわからないけれど、少なくとも路面電車部門では「日本再急勾配」は狙えそうな気がするし、このルートなら観光需要もある程度見込める。何より「路面電車のある温泉」っていいじゃないですか!
あー、100億円くらい、ちゅるっと誰か寄付してくれないかなあ・・・
ああ、お金があったらなあ、と思うことがある。
具体的には、100億円くらい。
路面電車(最新のLRT)は、1kmあたり10から20億円くらいで建設出来るという。
駅前の50階段の下から、うちの前を通って「らぁ麺屋飯田商店前」まで。それじゃ0.8kmか。
道幅は普通乗用車が何とかすれ違えるくらい。だから路面電車は、小型乗用車の幅1.7mより狭い1676mm。これは昭和46年に廃止になった福島交通飯坂東線と同じ幅で、かなり狭い。LRT版馬面電車を作る。LRTだと単車では定員が極度に少なくなるな、連接車にするほかなかろう。
軌間も福島交通と同じ1067mm。762mmとかにしてしまうと今の電車の設計がほとんど流用できず、苦労しそうだから、JRと同じこの寸法にしておいたほうが部品の調達とかの上でも多少なりとも便利だろうと。軌間は広い方が安定するし。
本当は駅前に乗り入れたい。だが、ホテル城山の前の坂が急なので、鉄道は上れない可能性が高いと見た。県道は交通量多いし、路面じゃラックレール敷くわけにもいかない。サンフランシスコみたいなケーブルカーだと、巻き上げ機をどこに設置するんだって話になる。ATS付のケーブルカー用信号とか新規に開発しなきゃならないからお金もかかるだろう。
あと、終点も本当はエスポット前まで延長したい。しかし、途中から道幅が極度に狭くなるのと、交通量の多い真鶴道路に線路を敷かなきゃならないのがネックで難しそう。
駅の方は、50階段下から胃腸病院付近を通って明店街の商店街まで延ばすのもいいかもしれないが、終点で数軒、立ち退いて貰わないと折り返し駅がつくれなさげ。もめそう。面倒。
ともあれ、線路は最短で8億円くらいで作れそうなので、あとは、預金して金利で赤字を埋める。もうかる訳ないからな、そんな短距離路線。もうけようという発想は正直言って、ない。「うちの前に『馬面電車』を走らせたい」だけだから。
100億円くらい、ちゅるっと手に入らないかなあ・・・
今日は予定していた用事が思いのほか簡単に済んでしまったので、朔ぴょんとごろごろしたりしている。
で、どうでもいいようなことをあれこれ考えてしまったりする訳だけれど、そのひとつに「なぜここ数年になって急に、鉄道に人気が集まり始めたのか」ということについてです。
JR東日本の鉄道博物館がオープンしたのが、2007年。元祖鉄道アイドル豊岡真澄が「鉄道アイドルとして」ブレイクした(と言えるのかどうかよくわからないけれど)のが、やはり同じ頃。
で、時期的なネタを探して見ると、ちょうどその頃アメリカでサブプライムローン危機が起きていて、全世界で数兆ドル(数百兆円)が消えたと言われている。日本は「失われた20年」の終わり頃(まだ終わってないって話もあるかもしれませんが)。
で、話を短絡させてしまうと伊勢中川を経由しない訳です、とか意味不明なことを考えながら、結局のところ「それまでのごく限られた期間について、車に人気がありすぎた」というのが、一つ、あるのではないかな、と。
理屈はよく分からないけれど、日本人の(というか人類の)半分弱を占める男の子というのは、メカニックなものに興味を持つケースが多い訳ですが、一般市民が私有出来る最大のメカといったら、やっぱり車でしょう。あと、それは同時に一種のステイタスみたいなところもあって、いい車に乗ってる奴がモテる訳ですよ。間接的に、女の子も「男の子の車好き」に拍車を掛けていたのかもしれない。
私はバブル絶頂期に就職した(←結局辞めたけど)ので覚えているけれど、その頃、男の人は「就職したらローン組んで車を買うのは普通」なことでした。
それが、バブルが弾けて就職氷河期を経て、ITバブルとかちょこっとあったけれど非正規雇用の増加とかもあって、早い話、若い人が貧乏になった。いや、日本人が日本に住んでて貧乏とか言ったら、アフリカとかどうなるのさって突っ込み受けそうで怖いけど、まあ、日本人各個人的には十分貧乏になったと思っている人が多いし、実際、お金で苦労している訳です。
しかしですね、綺麗に舗装された国道が全国津々浦々まで通っていて1000円札1〜2枚あればたいていの場所に荷物を送れるとか、冷えたビールが24時間買えるコンビニとか、鉄道なんかワンコインで隣町まで行ける清潔で綺麗な電車が結構広く普及しているし、あ、そうか、個人は貧乏になっても社会は意外に持ちこたえていて新幹線なんか昔より充実してるよな、それも一因か?、そういうインフラ(コンビニはインフラか?という突っ込みがありそうだけれど)ってある種の「共有財産」で、そういうのはかなり充実している訳で、何を持って「貧乏」と定義するかによっては全然貧乏じゃないじゃないかという話も(世界的には)有りだとは思うのだけれども、ともかく、高度成長期からバブルの頃までのごく限られた期間、日本の男の子のかなり多くは「借金してまでも車が大好き」だったと思うんですよ、でも、それが買えなくなってしまったという人が増えた。
で、その人達が少子化少子化と言われつつも少しは子供も生んだりしている訳ですけれど、子供達はもう「車のない生活」が当たり前になってしまって、でも男の子って移動系のメカはやっぱり好きで、するとどうしても興味が、縁の遠い世界にある「車」より、身近だし実際乗りもする「鉄道」に移行してしまうのは、ある意味で自然な流れだったのかな、とか思ったり。ここで言う子供っていうのは、大人の中に残っている子供の心みたいなものまで持ち出しはじめると、なんかややこしくなりそうですけど。子供関係ないじゃんみたいな。
宮脇俊三の本とか読んでいたら、戦前の男の子で「特急燕」に乗った同級生から「後光が射しているように見えた」みたいな話が、どこかにあったと思う(記憶が曖昧ですみません)。男の子って、やっぱりそういう「素質」みたいなものを持っている人が多いんだろうな、と。
じゃあ最近女性の鉄道ファンが増えているのはどう説明するのか、と問われると、サブプライム危機もリーマンショックも日本のバブル崩壊も関係無さげに見える訳で、結局よくわかんないのですけれど、単純に「社会的地位、経済力、などなどあれやこれやについて、男性と女性の差が多少なりとも少なくなった」というか、女も男も、日本人個人は貧乏になったけれど鉄道という公共財産はかなり頑張って充実していると、そういうことなのかなあとか思ったりする訳ですけど、やっぱりわかりません。
とりとめもない話ですみません。
左、阪急6300系。1975年登場、阪急京都線の特急用として製造された。車内には、ずらりと並んだ転換クロスシート(2人掛け)。阪急独特の、アンゴラ山羊を使用したシート生地は、それだけでも十分な手触りであるが、6300系に限っては、縦縞の段モケットにグレードアップされていた。壁面は木目調。広告は車内に4箇所だけ。大阪梅田から京都河原町まで、最速時代は最高速度110km/h、所要38分。特急料金不要。テレビが付いている訳でもなく、トイレも付いている訳ではないこの車両の良さは、乗ってみれば分かる。乗ってみないと分からない。阪急京都線の女王。今は第一線を引退し、一部が改造された状態で残っている。鉄道車両で一番好きな形式を挙げるとすれば、阪急6300系か、国鉄スハ43系スハフ42の、どちらかを挙げる。
右、箱根登山鉄道1000形、通称「ベルニナ」。登場時の塗装。この車両は三たび塗装が変更された後、2編成中の1編成だけ、元のこの塗装に戻されている(厳密には異なるという説もある)。色々ご意見はあろうが、私はこの色が一番落ち着いていて好きだ。最高速度は何km/hだろう?急坂をうんうんいいながら登って行く。関東私鉄の車両で好きな形式を一つ挙げるとすれば、この箱根登山鉄道1000形を挙げる。
この2両を眺めながら飲む珈琲は美味い。
左、最近オークションで落札したクハネ583。実物は、昼行では座席車、夜行では寝台車になるという昼夜兼用の特急形車両だった。クハネ583は先頭車の形式名で、中間車のモハネ582に、夜行で一度だけ乗ったことがある。1986年、常磐夜行「ゆうづる」。青函連絡船連絡の寝台特急。乗ってすぐに眠ってしまったので細かいことはあまりよく覚えていない。後に普通列車用715系・419系に改造された。そちらの方がよく乗ったが、足回りや座席が特急仕様のせいか、乗り心地は非常に良かった。
右、数年前にオークションで落札したキハ81。実物は、昭和53年まで、紀勢本線で走っていた。(最初は常磐線、東北本線でデビューした。)現役時代のキハ81を、国鉄天王寺駅でほんの一瞬だけ見たことがあった。ちょうど発車時刻で、遠ざかっていくその無骨なボンネットに、「ここには凄い車両が居る」と思った。多分私は小学生だったと思う。後に大阪の交通科学館に引き取られ、実物が今でも展示されている。交通科学館に展示されるようになった時、私は中学生だったが、改めて実物を眺めて、これは何とも言えない雰囲気を持っている、と思った。なお、キハ81は先頭車の形式名で、中間車のキハ80には紀勢線特急「くろしお」、山陰線特急「まつかぜ」で乗った。今の特急と違って背もたれを倒すことが出来ず、2012年現在の車両と比べると貧相であったはずなのだが、白い布製の枕カバーがついていて、「特急の風格」というものをそこはかとなく漂わせている車両だった。
この2両に共通していると思うのは、「格好良すぎないところ」ではないかと思う。新幹線のようにスマートではなく、どちらかというとごつごつした感じがする。でも、そこに惹かれる。
この2両を眺めながら飲む珈琲は美味い。
本命:610系
次点:6300系「京とれいん仕様」
以前「勝手に予想する「2011年阪急鉄コレ」2300系冷房化後」http://hmk.iijiman.com/mamenikki/?p=2110で外れに外した予想だが、懲りずにもう一度考えてみた。
前回の敗因は、映画「阪急電車」と「今津北線開業90周年」を見落としていたことにあった。
映画を見落としていたのは世間知らずというか何と言うかお間抜けだが、「今津北線開業90周年」は盲点だった。
で、今回は、これまでの「鉄コレ」と阪急の社史を照らし合わせてみた。
2011年 3000系冷改 西宝線(今津北線)開通90周年&映画「阪急電車」
2010年 2000系非冷房 阪急電鉄開業100周年
2009年 1300系冷改 ?
2008年 810系 ? (阪神急行電鉄に社名変更90年)
2007年 1010系非冷房 阪急創立100周年
2006年 920系登場時 神戸市内高架延長線開通70周年
では、2012年はどうかというと、
2012年 阪急宝塚線・箕面線開通100周年
・・・なのである。
では、1型とかも有り得るのかとも思ったけれど、1型は既に、梅田駅ジオラマとセットでこだわりの製品を出しているので、それはなかろう。
http://rail.hankyu.co.jp/railfan/topics/100308umeda.html
では、宝塚線と言えば何だろう?と考えたとき、ターゲットの世代と重ね合わせてみて、610系かなあ、と思う。
いくら宝塚線仕様だからといって、去年3000系を出して、今年に3100系ということはないだろう。同様に2100系もなさそう。6000系6000Fなど宝塚線らしいと言えば宝塚線らしいのだけれど、6000系はNゲージ版が出たばかり。
阪急の営業的には、もっと新しいサービスを推したいだろう、とすると、京とれいん仕様に改造された6300系かな、という気もする。京都線が1300系以来出ていない、ということもある。
正直言って前回の大ハズレがあるのであまり自信はない。
9月23日追記:
結果:「6330系」。
うわぁぁぁぁぁ!また外した!
宝塚線関係ないのか!
しかも8連が再現可能で「中間4両増結セット」は少数の生産」とのこと。うわぁぁぁぁぁ!オークションで値上がりしそう!
http://rail.hankyu.co.jp/railfan/topics/120913train_collection_news.html
今月発売予定の鉄道コレクション「小湊鉄道キハ200、2両セット」。
楽天で予約した。
小湊鉄道は今、キハ200以外の車両を営業用に持っていない。五井の車庫にキハ5800を保存しているが、稼働していない。
それはしかし、昨日今日に始まった話ではない。
私が初めて乗った1983年の6月には、既にそういうラインナップになっていた。
あれから29年が経過した訳だが、未だにキハ200が現役。国鉄(→JR)の同年代の車両というとキハ20だが、JRには残っていない。キハ20より新しいキハ40やキハ47の廃車が始まっている。小湊鉄道、物持ち良すぎ。
29年前、なぜキハ200に乗ったかというと、別に趣味として乗りに行った訳ではなかった。通院のためだった。初めて通う精神科、市原鶴岡病院が、小湊鉄道の上総三又という駅から歩いて15分のところにあった。今でもあると思う。当時の診断名は強迫神経症。今は鬱病で、診断名こそ違うけれど、当時の処方は抗鬱剤を中心とした処方で、今の主治医が分析するには、当時既に強迫性障害の症状より鬱状態の方が深刻だったのだろう、という。
上総三又は、田んぼの中の無人駅だった。ホームが1本と、簡単な待合室があるだけだった。うら寂しい場所と言えなくもなかったが、私はそこに救いを求めて通って行った。だからこれは悪い思い出ではない。1983年の6月。緑色の絨毯を敷き詰めたように水田が広がっていた。
あれから29年が経過したが、小湊鉄道はほとんど変わっていないように見える。
いや、少し変わったことがあるかもしれない。人気が出ていること。
都心から比較的近くで、クラシックなキハ20系が走っているということで、ドラマやCMなどのロケに使われるようになった。
また、鉄道趣味そのものが29年前よりメジャーになった。
小湊鉄道は昔よりむしろ人気が出ているように思える。オークションで取引されている模型の価格を見ても、そう思う。
私はといえば、あれから29年経って、結局薬に頼って生きているという点では何も変わっていない。
でも、それでいいやと思う。非合法な薬ではないし、あるいは、体を壊すほどのお酒やタバコでもない。それを飲めば日々なんとか暮らして行けるのだから、まあいいやと思っている。
そして今日も小湊鉄道キハ200は、クラシックなエンジン音を奏でながら、田んぼの中を走っている。
トミーテック 鉄道コレクション 小湊鉄道キハ200形 2両セット 1/150(Nゲージスケール) 鉄道模型 【5月予約】 |
ここ最近急激に数を増やしているような気のする我が家の(というか私の)鉄道模型であるが、ここへきて、ちょっと整理しようかな、と思い始めている。
以下は、あくまで「私の感想」というだけに過ぎず、これが絶対的な真理だと主張する意図は毛頭ない。
模型の面白さというか、楽しさは、必ずしも「実物の思い出」とは関係ない。
例えば私は、EF15という電気機関車を見た記憶がない。時期的に、たまたま乗っていた列車とすれ違った貨物列車の先頭に立っていた、などということがあってもおかしくはないのだけれど、はっきりと観た記憶はない。でも、深いマルーンの車体から突き出している短いデッキ廻りの雰囲気とか、ツララ切りを兼ねているといわれているひさしとか、そういう造形に、何と言うか、凄く惹かれる。
こないだ買ったトキ21500も、見たことがあるような「気がする」だけで、本当に見たという自信はない。でも、この「蓋付きの無蓋車(むがいしゃ)」という天の邪鬼のような構造とか、黒くて細長いプロポーションとか、何とも言えない味わいがある。貨物列車というのは、今も昔も、同じ形式が何両も繋がっていることが多い(多かった)けれど、模型で少数ずつ色々なカタチのものを集めるというのは、意外に楽しいものだと思った。ワフ29500なんか、たまらないです。半分貨車で半分車掌室。模型も実物同様、赤いテールランプが点くのです。昔の貨車の最後尾ってこれだったよなー、という郷愁もないことはないけれど、それより、模型的に「赤く光るワンポイント」があった方が楽しいという気持ちを感じる。
カタチだけが全てではない。キハ20などは、何と言っても走らせるのが楽しい。
これは、一旦動かなくなっていた模型を修復したという喜びというか自己満足もあるのだけれど、それだけでもない。キハ20は、実物も「1両編成」で走ることが出来た。模型も同じで、1両で走らせてもよし、キハ47とかと混ぜて6両編成とか組んでもよし。
キハ20もキハ47も、実物には随分乗ったけれど、乗った車両だから好きだとか、思い出があるとか、そういう理由で(模型のそれらが)好きな訳ではない。
確かに実車も(個人的に)好きな方ではある。けれど、他のどの車両よりも好き、というほどではない。
実車ではキハ47よりもキハ20よりも、旧型客車の方が好き。
でも旧型客車の模型を買ってみて分かった。私は「このカタチが好きという訳ではないのだ」と。私は実車の「ずっしりとした重々しい雰囲気」が好きだった。あるいは、「キーンと微かに聞こえるサークライン蛍光灯のノイズ」とか、灰皿から漂ってくるタバコの匂いとか、しばしば出会った壁面が木目にニス塗りという「味わい深い」を通り越して「おどろおどろしい」と思わずに居られなかったクラシックな内装であるとか、開けっ放しの窓から入ってくる緑の匂いとか(←夏とかね)、そういったものが総合的に一体となって醸し出す風情のようなものが好きだったのだ。模型にそういった要素があるはずもなく、むしろ、案外シンプルな作りだなという感じで、特別に面白いという感想は持つことが出来なかった。
KATOのキハ20という模型に関して言うなら、発売開始以来40年くらい経っていると思う。そのキハ20、未だに40年前とほとんど変わらない仕様の製品を今でも売っている。現行モデルなのだ。色々な意味で凄いと思う。ディティールなど割と省略気味であったり(床下とか特に)、飾り気のないシンプルな模型であるように思うけれど、これはこれで「カタチ」として成立しているという気がする。ディティールの細かい最新の他社製品と並べてみても、見劣りがするかというと、案外そうでもない。ディティールがおおまかでも、全体の雰囲気が、うまくまとまっているのだと思う。個人的には、破損の心配が少なく、気楽に取り扱えるという点も気に入っている。
で、今、売ろうと思っている車両リスト。
鉄道コレクション「阪神5201形(5203〜)」。子供の頃乗ったなあ、阪急810系とならべて今津駅再現!とか思って買ってみたのだけれど、ごめん、やっぱり私、阪神より阪急の方が好きなんです。今では同じ系列の会社に合体しているけれど。やっぱり「あの当時」は「宿敵」だった訳です。というか、最近阪急1010系をオークションで買ってしまいまして、そうしたら、何だか阪神電車が、居心地悪そうな顔しているような気がしてきたんです。ごめんよ、ジェットカー。
鉄道コレクション「小田急キハ5000」。大手私鉄のキハという珍しさに、つい買ってしまった。実物は乗ったら味わいがありそうだけれど(エンジン全開で小田急線の電車の間を縫って突っ走るとか)、うーん、なんだろうな、今ひとつしっくり来ない。決して悪い車両ではないと思うのだけれど。
鉄道コレクション「羽後交通キハ3」。わーい、萌え米の里のキハ!バスケット付き!と思った。悪い車両ではないと思う。しかし、うーん、微妙に何か違うというか、私の心のツボに来ない。鉄コレは安いので衝動買いしたのが多いなあ・・・
TOMIX DD54。DD54の現役時代は、本当に一瞬見た「かもしれない」程度で、中学生になってから大阪の交通科学館で保存されている姿を見た。昭和40年代の機関車なのに、古さを感じさせないというか、不思議な魅力のある機関車。B-1-Bという独特の軸配置も格好いい(この軸配置は考えてみると、何もDD54だけのものではないのだけれど)。という訳で、オークションで競って競って、やっと落札したんです。友人に貸していたパワーパックを返してもらってからは、走らせてもみました。ちゃんと走ります。ライトも付きます。なのに手放すんですか?と、自分でも思う。
しかし、うーん。何だろう。この「力強さ」を感じるシルエットが、逆に私の心を掴まないのだろうか?DD54に比べて出力が小さく、しかし、DD54より長く活用されていたDF50の方が、なぜか私の心を掴んでしまう。
私の持っているDF50はマイクロエース製の中古なのだけれど、四国仕様で、四国ならではの前面補強があったりして、そういえばこの顔を薄暗くなった新改駅で友達と一緒に眺めたなあなんて思い出もあったりして、しかし、思い出だけでなく今こうして模型を見て見ると、何となく親しみのようなものも湧いてくるという、不思議な機関車。朱色とグレーの2色塗りというのもいいのかも。でもそれならDD51だってそうじゃん、と思う。DD51。まあ嫌いではない。凸型で、造形的にも面白みがあるのは分かる。でも多分模型は買わない。理由は分からないけれど、欲しいという気持ちが、今ひとつピークに達しないのです。それはそうとして、で、DD54。決して嫌いではないのではあるけれど、何となく、手放そうかなあなどと考えてしまったりしている。
今日は、いや、今日も、何だかとりとめもないことを延々と書いてしまった。
あれは1月23日のことになる。
おおぞら会と神田珈琲園に、年初の打ち合わせに行った。
おおぞら会が10時、神田珈琲園が2時。おおぞら会の予定が少し早く済んだので、サンマルクでベトナム風サンドとチョコクロを食べて(てゆーか神田珈琲園で食えよって話もありますが、時には他店のメニューを試食しておくことも必要なのです)、それでもまだ時間に余裕あったので山手線に一駅乗って、秋葉原のヨドバシに行った。目指すは6階。フィギュア&鉄道模型。何か病んでるなあという気持ちが多少しなくもなかったけれど、それはよいということにしよう、心惹かれるねんどろいどか貨車があったら買っていこうかな、くらいの気持ちで、暇つぶしを兼ねて行ってみた。
で、行ってみて特別にこれといって魅力的なねんどろいども貨車も無かった・・・はずだったのが、1つだけ気になるアイテムを見つけてしまった。
トキ21500。
冷延コイル輸送用無蓋車。
屋根の無い、トレー状の貨車なのだが、特別にフタがついている。薄い鉄板で作った冷延コイルを運ぶための特別仕様車。冷延コイルというのは、かなり大きな貨物なのだけれど、素材が鉄板なので雨にあたると錆びてしまう。それで、無蓋車でありながら、開閉式のフタがついている。それがトキ21500。
で、その模型があることは知っていたのだけれど、これ、模型も実物同様に「フタが開く」ようになっていて、中に「冷延コイルの模型」が積んであるんですよ、それが、ヨドバシの6階でフタを開けた状態で展示されていたんですよ。
うーん、どーしよーかなー、今、あまりヨドバシのポイント溜まってないんだけどなー、と迷っているうちに時間が無くなってしまったので神田珈琲園に向かった。
家に帰ってから、やっぱりあれはいい、と思って、そうだ、楽天のポイントなら900円分くらいあるぞ、と思って、ポチった。
★楽天(Joshin)・トキ21500 2両一組★
で、今、この貨車の模型は私のイエの模型コーナーで、EF15型電気機関車に連結されて飾ってあるのだけれど、この模型、脱線防止のためだと思うんですけど、ちょっと重いんです。ずっしりした手応えがあるんです。それで、たまに「ぺんちら」っとフタを開いて冷延コイルを観察したりするのが、味わいがあっていいんです。
自分でも何を書いているのか訳がわからなくなってきた。
なお、実車の写真はこちらのページにあります。私、この実車って、東海道線か東北線のどこかで見たことがあるような気がする。勘違いかもしれないけれど。→JR貨車研究所039_トキ21500形
1979年頃購入した、KATO(関水金属)製のキハ20。友人(の子供)に貸していたが、2011年に帰ってきた。動かなくなっていたが、分解清掃、グリスの塗布を行っ?たところ、復活した。6両編成、11両編成でも動いた。
2011年という特別な年、やはり原発震災のあったこの年というのは、確実に日本史に刻まれるであろうし、また、刻まれなければならないと思うのだけれど、その意味が本当に明らかになるには、あと4〜5年くらいかかるだろう。
つまり、今、私たちは「一種の奇妙なモラトリアムの中に居る」。
それを思うと笑っても居られなくなるのだが、あえて、「震災以外で印象に残っていること」を、ごくごく個人的に振り返ってみたい。そんなことなど何の意味も無いことは承知の上で。
エンターテイメントでは、DVDを色々借りた。今年になってからだ。TSUTAYAのオンライン会員になって、お試し期間無料特典を使って色々観た。一番面白かったのはやはり「ノルウェイの森」だった。菊池凛子さんって、顔がぺっちゃんこですよね。どうでもいいか、そんなこと。
http://hmk.iijiman.com/mamenikki/?p=2395
しかし、それにも劣らず個人的に面白かったのは「みなみけ」だった。
多分、私、震災で心がかなり参っていたんだと思います。今でも参っている。
そんな時、あのユルさが救いになるのかもしれない。
まあ色々ご意見はあるようですが、話は1期と3期、曲は2期が良かったです。アニメ界でまどマギが注目を集めるなか、今ごろになって「みなみけ」という、(私の)終わりっぷりに、自分でも呆れる。
http://hmk.iijiman.com/mamenikki/?p=2754
日記には書かなかったけれど、友人に長らく貸し出していた30年前のキハ20(の模型)が帰って来て、それはもう動かなくなっていたのだけれど、接点復活剤と接点グリスで回復に成功した。やっと動いているという感じではあったけれど、スケール相応の「本来の遅さ」に近い速度しか出ないという意味で、むしろリアリティがある。鉄道模型、もう欲しい形式は全部そろえてしまったなという感じ。EF15とDF50四国型とDD54が揃ってしまったら、それ以上はもう何もないでしょう(と感じる人は、決して多い訳ではないとは思う)。
あと、忘れかけていたのだけれど、2月26日に「虹の郷」に行った。
http://hmk.iijiman.com/mamenikki/?p=2218
震災前のことって、何と言うか、とても遠い過去のことのように感じる。
阪神大震災の時もそうだったなと思う。それを境に、過去のすべてが色あせてしまうような。
業務的には、今年着手した仕事で終了が来年に持ち越される案件がいくつかあって、何か、締まりのない年末だなあという感じがしている。
みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。
気がついたら、貨車を11両も集めていた。
数を増やそうという気持ちはなかったのだけれど、2両組とか3両組とかでしか買えない貨車があったので・・・
気がついたら、ねんどろいどを6体も集めていた。
最初はミクだけのつもりだったんです。でも、Amazonの「あなたへのおすすめ」に黒猫が出て来たあたりから、何かがシパークしてしまったんです。全員非実在青少年。
一昨日、楽天で買ったマイクロファイバー毛布が届いた。
1枚1050円。2枚買った。送料込みで2500円くらいだった。
あまり期待していなかったのだけれど、これが、すごく気持ちいい。ふわふわで猫のような感触。
あと、色はオリーブグリーンとラテベージュを選んだのだけれど、このオリーブグリーンの色が、阪急電車の座席の色に、何となく似ている。(感触は違う。)この色が、なかなかいい。
マイクロファイバー毛布1050円(楽天)
最近の発表によれば、「3000系冷房改造後」。
http://rail.hankyu.co.jp/railfan/topics/110825train_collection_news.html
多くの皆様、ごめんなさい。去年のクリスマスに勝手に予想した「阪急鉄コレ2011年」は、大ハズレでした。
http://hmk.iijiman.com/mamenikki/?p=2110
映画「阪急電車」の関連を考えてみれば、そりゃ3000系ですよね、それも、おそらく「冷房改造後&看板」。それ以外考えられなかったではないか・・・
しかし、昨年の2000系に続いて、またも「先頭車+中間車」のセットとは・・・阪急はどうして2両セットにこだわるのだろう?4両セットにしても充分売れると思うのだけれど。
3000系の実車には、非冷房時代から今津線でよく乗った。(今津北線、ではない。今津線。つまりまだ当時は南北に分断されていなかった。1970年代のこと)
懐かしいなあ。
ともあれ、手元に今津線時代の810系があるので、多分買わないと思う。多分・・・
昨日の夕方、東京発の東海道線に乗って、大磯あたりまでは起きていたのだが、国府津あたりから風景の記憶がない。
目が覚めたら伊東線の伊豆多賀駅に到着するところであった。
伊豆多賀ってどこなんだよ、熱海から何駅先なんだよ、と思って路線図をみたら、熱海から2駅先だった。
とりあえず下車したら、駅員が誰もいなくて、男子高校生のグループがホームにしゃがんでアイスクリームを食べていた。
駅から海が見えた。
30分ほど待って、熱海に戻る電車に乗った。東横線の中古車「8000系」で、これに乗るのは、東横線で乗って以来、一体何年ぶりだろうなと思う。やれやれ。
坂本龍一がなぜ「ノルウェイの森」に出演しなかったかというと、既に村上春樹作品の「トニー滝谷」で音楽を担当していたので「お腹いっぱい」だったから、というのは私が勝手にでっち上げた話でしかないけれど、ともあれ、今日、レンタルDVDで「トニー滝谷」を見た。
それで、その感想はどうだったかというと、「大切な人は、本当に本当に、大切にしたい」という気持ちになった。
いや、村上春樹はそのような説教を垂れたりはしない。でも、もしこの感想を伝えるようなことがあっても「君がそう思うなら、それがいいんじゃない?」と言ってくれそうな気がする。
あと、イッセー尾形の演技に味わいがあった。宮沢りえは美人だなと思った。
それと、やっぱり音楽がいい。坂本龍一、恐るべし。
実は、一緒に借りたDVDがもう1枚あって、それは、アニメ版の「銀河鉄道の夜」だった。「999」ではない。細野晴臣が音楽を担当している。
正直に言う。意味不明。ただ、原作自体がもともと未完成のまま作者が世を去ってしまったという事情もあって、作品に描かれている内容の解釈も様々であるなど、何しろもとがそういう作品だから、私ごときに理解出来ないのは仕方ないことかもしれない。むしろ「意味がよく分かった、これはかくかくしかじかで、」などと私が説明を始めたら、それは、私は嘘つきだ。
ただ、私なりの解釈として、「ジョバンニは夢を見ていた。夢の中でカンパネルラと旅に出るが、旅の途中で、カンパネルラから永遠の別れを告げられる。実際、夢から覚めるとカンパネルラは死んでいた」というのが大筋で(おおざっぱすぎるわい!)、その旅の途中で、タイタニック号の沈没事故から影響を受けたストーリーと共に、本当の幸せとは何だろう?ということを作者なりに悩んでいる、といったことが、語られる・・・大筋では、こんな印象を持った。これが正解である自信はない。ただ、ポスト311に宮沢賢治が銀河鉄道の夜を書いたなら、福島第一原発の事故のことは書かない訳にはいかなかっただろうな、どういう話を書いたのかな、などと思った。
それはともかくとして、この映画も音楽が凄い。
細野晴臣、ただ者ではない。
アジアのような中東のようなヨーロッパのような無国籍な雰囲気でありながら、ごちゃごちゃしていない。鉄道の轍のような規則的なリズムに乗せて、やや暗い色調で曲は始まる。だが途中で転調し、何か「救い」のようなものが現れる。そしてまた、どっしりとした曲調で曲は閉じて行く・・・
細野晴臣は、文字や言葉でなく、音楽で、「銀河鉄道の夜」の解釈を提示したのかもしれない。
細野さん、好きだよ!
数年前から迷っていたことがあった。
しばしばオークションに出ていた、TOMIXのDD54。
最近になって他社が相次いでDD54を発売したため、少し値が下がってきていた。
DD54。失敗作とも、短命で終わった悲運の名機とも言われる。
そのあたりの詳しい事情はGoogleとかで検索してください。
私は現役時代のDD54の実物を、ほんの一瞬だけ見たことがあった。
小学3年=1975年、学校の社会見学で、バスの車窓から、遠く離れたところを客車を牽引して走っている箱形の朱色の機関車を見た。DF50で有った可能性もなくはないが、福知山線という場所柄と、1975年というタイミングから、おそらくDD54であったと思う。
ああ、走ってるな、といった程度の認識でしかなかったが、山の中腹、緑の中を走る朱色の箱形車体は、心の片隅に記憶として残っている。
引退後のDD54は、中学の時、大阪の交通科学館で見た。その時には特に感動のようなものはなかった。一緒に展示されていたキハ81の方がわくわくした。
DD54というのは不思議な機関車で、故障が多発して現場では嫌われていたが、未だに鉄道車両の人気投票を(雑誌などが)行うと、必ずランキングに顔を出すという。1966年から1978年まで、わずか12年しか活動していなかった機関車。
「ゴーヨン機関車は鬼門」、とも言われる。
C54、ED54、EF54。設計が特殊であったり、数が少なかったりといった理由で、なぜか「54」を名乗る機関車は不遇の生涯を遂げたケースが多い。DD54もそうだった。
そんな「縁起でもない機関車」を買って飾ってどうする、という気もした。
でも、オークションで2000円台を付けていたのを見て、やはり買いたくなってしまった。
結局3200円まで上がってしまったけれど、定価が4500円くらいのものだったから、まあ、あまり悔しくはない。
DD54。ついに買ってしまった。ちょっと嬉しい。
小田原の三省堂の店頭で、1冊の本が、ふと目に留まった。
「1960年代 路面電車散歩」。
モノクロの写真集。
鉄道写真家の諸河久さんが、若い頃に中判カメラで撮影した、路面電車と、路面電車の走る街、人々。
写真が綺麗で、味わいがある。
話にしか聞いたことのなかった、札幌市交通局の「路面ディーゼルカー」、花巻電鉄鉛線「馬ヅラ電車」(車体の幅が1.6mしかない)、東武鉄道日光軌道線。いずれもその現役時代の写真があった。
1960年代がそんなに羨ましいかと問われると、ネットも携帯電話もない時代で、経済は上り調子だけれど、公害など今の比ではなかった。やっぱり現代の方がいい、ような気もするけれど、路面電車の走る街の風景は、ちょっといいなあ、と思ってしまう。
平塚美術館に行くついでに、その近くで保存されているというD52を見に行った。
実は、D52の実物を見るのは初めてだ。
国鉄で一番強力であった蒸気機関車。
蒸気機関車というとD51の方が(大量に製造されたこともあって)有名だが、それを上回る馬力を出せるのがD52だった。そんな機関車が、戦時中の物のない時代に製造された。戦後ではないのである。当初は、煙を上方に導く板に木材を使うなど、本当に、ないものづくしの状況の中でこのような機関車が製造されたのは、1つには、海上が封鎖されてしまったため、国内の物流が鉄道中心にならざるを得ないという状況があった。当初はボイラーなども必要最小限の加工で製作したため、トラブルも多かったという。多くのD52は、戦後になって、木材で作られた部分を鉄製に作り直したり、ボイラーを交換したという。
平塚に保存されている403号機は、昭和20年3月に製造され、昭和43年6月まで使用された。
まさに、戦後の復興期を支えるために生まれてきたような機関車であるように感じられる。
D52の晩年は、その大馬力を活かして、坂の多い御殿場線等で使用された。
高度成長直前に、御殿場線の電化によって電気機関車と交替し、引退した。
静かに巨体を横たえるD52は、「311」以降の、これまでにない空気の中にいる私たちに、何かを語りかけているようにも思える。
楽天オークションに、「THEバスコレクションバスセット【国鉄バスセット】5台組」を出品した。
http://auction.item.rakuten.co.jp/10255204/a/10000009
●状態:中古●付属品:箱●メーカー:TOMYTEC●
トミーテックが贈る究極のコレクションアイテムの「THEバスコレクション」【国鉄バス】。
懐かしのツーマン仕様車を含む5台セットです。
【セット内容】
日産ディーゼル4R94中扉ツーマン仕様 中部天竜
日産ディーゼル4R94前中引き戸仕様 金沢駅
日野RE100トップドア仕様 芋山
日野RE100前中折り戸仕様 北山崎展望台
三菱MP118前中折り戸仕様 かいた新開
※方向幕等の異なる「イベント会場限定品」ではありません。
オークションで購入したものですが、コレクション整理のため出品しました。
1970円からのスタート。多分ですが、元の値段より安いと思います。
「つばめのバス」に郷愁をお感じの方。
「国鉄時代」のジオラマにワンポイント欲しい方。
この機会に、いかがでしょう?
(補足)
同時に、「国鉄オハ61系6両編成(単品×6両)」も出品中です。
http://auction.item.rakuten.co.jp/10255204/a/10000010
古き良き国鉄時代への郷愁をかき立てる、茶色の旧型客車6両編成。DF50四国型を先頭に立てて土讃本線客レを再現するために、新品を購入しましたが、コレクション整理のため出品しました。(DF50は出品しません。)
ガラスのクイーンDD54を先頭に立てれば、ありし日の福知山線・山陰本線風に。DD51でもOK。
ED75を先頭に立てれば、懐かしき東北本線の客レ風に。
中古ですが美品です。
1両あたり1000円からと、大変お買い得になっています。
しかも6両まとめて発送するので、1両ずつ(通販やオークションで)買い集めるより送料もお得。
この機会に、いかがでしょう?
湯河原に住んで今年で9年になるが、今まで「虹の郷に行こう」という発想が湧かなかった。
「虹の郷」は知っていた。そこに、日本最小のレール幅、軌間381mmの「ロムニー鉄道」があることも。
という訳で、2/26に行ってみた。
ノーザンロックII。
小さくても、汽笛やドラフト音は「蒸気機関車」という感じがする。
燃料はコークス。(大井川鉄道は、瀝青炭とピッチ練炭の混合)
終点の「ネルソン」駅近くの「カナダ村」で、ホットケーキを食べる。
ホットケーキは普通だったが、カナダ産メープルシロップは、甘すぎず、濃すぎず、美味しかった。
何というか、世界中騒然としている今日この頃、ここは別世界のようだ。
近くに温室があった。ちょっと暑いくらいだった。
バラも咲いていて、その香りが漂っていた。
最近、物欲がシパークして、ハルヒとEF65とワム60000と、国鉄バス5台セットというのを買ってしまった。これまでの手持ちのコレクションと一緒にご紹介したい。
EF65+ワム60000は、最近ヤフオクにて。
他は、昨年以前に、やはりヤフオクにて。
ミク、ハルヒ、唯ちゃん、ムギちゃん。 ハルヒはこないだ神田に行ったときに、秋葉原のヨドバシで買った。(ポイントも残っていたので。)
バスコレクション国鉄バス5台セット。ヤフオクで。
所用のため、久しぶりに神田珈琲園に行った。今日は珈琲園は大掃除の日で、マスターと数人のボーイさんが、掃除をしていた。
2010年も、もうクリスマス。明日からはもう年の瀬気分いっぱい。
という訳で、少々気が早いけれど、来年の予想など立ててみたい。
といっても、来年の「阪急の鉄コレは何か?」という、興味のない人には全く面白くない話であるが・・・
予想。本命「2300系冷房化後」。
2006年「920系登場時」。
2007年「1010系非冷房3扉」。
2008年「810系晩年」。
2009年「1300系冷房改造後」。
2010年「2000系非冷房」。
つまり、「神戸線→神戸線→神戸線→京都線→神戸線」と来ているので、そろそろ次は京都線かな、と。2800系はどうした?と言われるかもしれないが、非冷房時代も3扉冷房化後も、既にNで他社が発売しているので、ちょっと無いんじゃないかと。
京都線なら、じゃあP-6(100形)などはどうかというと、微妙。阪急120周年とか、「特別な年」までとっておくのではないかという気がする。また、ターゲットの年齢層からずれそう、ということもある。2007年以降、どうもターゲットを30代から40代くらいの、丁度私くらいの世代の「子供の頃〜若い頃の、ちょっと懐かしいところ」に合わせているような気がする。とすると、P-6はちょっとクラシック過ぎるというか・・・P-6は戦前製で「特急燕との競争」がエピソードとして語られ、1973年までに廃車されているということで、もう少し年齢層の高い人たちが喜ぶ車両という気がする。同様の理由で「1形」も無いと思う。というか、鉄コレでなければ既に1形は出ている。価格的にも「もっと上の世代の方々」をターゲットにしている感じ。
http://rail.hankyu.co.jp/railfan/topics/100308umeda.html
ターゲットの年代で「京都線」と言えば6300系が「ど真ん中」という気もするけれど、これは既にNゲージで製品が出ているのと、「2両組」のセットにしずらいので、ちょっと無いのではないかと。しかし「穴」として「6330系先頭車と中間車2両組、2000系のように屋根交換可能」というのは、あるいはもしかしたらあるかもしれない。
京都線と言えば、3300系という線も考えられなくはないけれど、うーん、どうかなあ。5300系とともに、何となく、なさそう。少なくとも2011年には。
あと京都線といえば・・・「710系」?でも810系を改造して作っている方もいらっしゃるし、細かいことを気にしなければ、810系にナンバーだけ貼り代えて、何となく気分を味わうことも出来なくはないような。
「1600系」?うーん、1300系と1010系が出ているからなあ・・・それも当分無さそう。
多分ないと思うけれど、あるいは、また神戸線ということになるが「5200系」も有り得るだろうか?来年かどうかはともかくとして、いずれ出すのではないかと思う。何しろ阪急発の冷房車だから。
大穴「宝塚線610系」。意表を突いて「宝塚線」。15m級の中型車。可愛い。
いずれ阪急初(日本初)の(試作車でなく量産車という意味で)本格的オールスチールカー600形も出るだろうけれど、これも微妙にターゲットの年代からずれるような気がする。
まさか当分無いとは思うけれど「800系805非貫通先頭車」というのも、出たら、味わいがありそう。ただ、私は810系の方が好きだし、既に810系は持っているので買わないと思います。
(2011.8.20追記)
予想は上記の通りですが、結果は既にhttp://rail.hankyu.co.jp/railfan/で発表されている通り、3000系冷房改造車とのことです。これだけ形式名を羅列しておいて見事にすかしました。映画「阪急電車」の存在を忘れていました。そりゃ今年は3000系以外ないですよね。
ちょっと時間が出来たので、岳南鉄道の比奈駅に行ってきた。
理由は、駅名が「ひな」だから。「ひな駅」に「ひな」を連れて行こう、と。
それともう一つ。出来れば、もう数少なくなってしまった「私鉄の貨物列車」を見たかったから。
まず、JR東海道線で吉原に行く。吉原駅から切符を買って電車に乗る。2両編成。冷房が効いていた。
電車は空いていたが、途中の駅で数人ずつ乗り降りがあった。
本吉原という駅には、なぜか「庭」があった。
ひな駅に着いた。
こじんまりとした比奈駅の駅舎。
駅から少し歩くと、遠くに富士山が見えた。
待合室は静かだった。
比奈駅は、私鉄では珍しい「貨物駅」でもある。今時、駅ではあまり見かけなくなった「はかり」があった。
突然、大物が現れた。ED50型、ED501。昭和3年製。この車両の存在はネットで知っていたが、実物の、しかも「普通に使用しているところ」が見られるとは思わなかった。「ポー」と、汽笛のような優しい音がした。
駅構内の踏切より撮影。
正面から見ても味わいがある。
ホームより撮影。なお、撮影の際には、「入場券又は行き先までの切符を買ってください」とのこと(比奈駅駅員さん、談)。慌てて帰りの切符を買った。
岳南鉄道の切符は「硬券」。今ではほとんど見なくなったタイプだ。
吉原駅の駅員さんによると、今日は午前中の貨物列車は運休だったそうだ。
午前中の貨物列車に充てられる予定だった機関車(ED403)は吉原駅で休んでいた。
なお、このED403という機関車も、ED501ほどではないが、結構年代物というか、昭和41年製で、私と1歳違い。
ともあれ、比奈駅で思いがけずED501の稼働する姿を見られたのは嬉しかった。
ひなによれば、その時私は「白熱していた」そうである。
※2012年3月29日加筆:岳南鉄道の貨物列車は、2012年3月16日を最後に、廃止となりました。
ここに記されているのは、2010年時点の情報です。
岳南鉄道吉原駅の駅員さんからお伺いした「貨物列車の時刻」は、次の通り。
(2010年9月22日現在)
701列車:吉原9:37→比奈9:53
702列車:比奈10:23→吉原10:07
703列車:吉原11:14→比奈11:34
704列車:比奈13:07→吉原13:19
705列車:吉原14:03→比奈14:19
706列車:比奈15:01→吉原15:07
707列車:吉原15:41→比奈15:57
708列車:比奈16:04→吉原16:20
注:
毎週日・火・木・土曜日は運休
月・水・金曜日でも、貨物の量が少ない時には運休することがある。
吉原14:03発の705列車と、比奈16:04発の708列車は、比較的運転されることが多い。
その他の列車は貨物の量が少ない時には運休(実際、2010年9月22日水曜日は、701列車、702列車は運休だった)。
なお、貨物列車を確実に見たい場合には、事前に岳南鉄道吉原駅に電話してみてください、とのこと。(電話応対はあくまで御厚意に基づく御対応ですので、電話を掛ける際には、朝夕の混雑時を避けるなどの工夫をされることを(飯島から)お願い申し上げます。)
HPでは、次のページに問い合わせ先の掲載があります。http://www.fujikyu.co.jp/gakunan/inquire.html
920系、810系、1010系、1300系と来て、いつかは出るだろうと想っていた鉄コレ「阪急2000系」。
何と、今年の秋に出るという。
http://rail.hankyu.co.jp/railfan/topics/100824train_collection_news.html
発売場所は、
(阪急)駅サービスセンターhttp://rail.hankyu.co.jp/service/service_center.html
● 東京・日比谷公園「鉄道フェスティバル」会場(10月9日・10日)
うーん、どっちも遠い・・・
個人的には、7000系旧塗装を出して欲しいのだけれど、特に人気車種という訳ではなさそうだから、難しいかも。
ヤフーオークションで、1/150のオハ61を2両、オハフ61を2両、落札した。
それが昨日届いた。
単純に嬉しい。
実は、5月に買ったDF50(記事はこちら→http://hmk.iijiman.com/mamenikki/?p=1699)をしばらく部屋に飾っていたのだけれど、これを見ているうちに、「やはり機関車の後ろには『何か』を繋いであげないと淋しそうだな」という気持ちになってきた。
四国のDF50といえば石灰石輸送列車なども有名だけれど、私はその実物を見たことがない。
それより、同じ四国でも、実際に乗ったことのある「DF50牽引の、オールオハ61系の土讃本線普通列車」を再現してみたいという気持ちになった。
で、今週、ヤフーオークションを眺めていたら、4両まとめてオハ61系を出品されている方がいらしたので、早速入札し、落札した。
オハ61系を知っている人なら「全車オハ61系なんて、そんな列車、和田岬線以外にあったのか?」と思われるかもしれない。
しかし、あったのである。
証拠はない。私と、その時一緒にいた友人2人の記憶が全て。
1980年8月23日、日の沈んだ土讃本線新改駅に推進運転で入ってきた高知行普通列車は、DF50牽引の客車列車。機関車の次(つまり一番前)のデッキから乗車して驚いた。
白熱電球に照らし出された木目の壁。
背もたれが板張りの座席。
がら空きのオハフ61。
「幽霊列車や!」と誰かが叫んだ。本当にそんな雰囲気だった。
隣の車輌に行ってみた。同じだった。
オハ61系。乗客は数えるほどしかいない。
その次も、その次も・・・確か6両編成だったはずだ。
そして、6両目の最後は、ドアも何もない開けっ放しの通路がぷっつりと途切れていて、足下から銀色に輝くレールが延びていた。
私たちは客室内に戻り、木目と白熱電球のオレンジ色の光に包まれて、高知駅までの時間を過ごした・・・
日付は、当時の切符を手元に残してあるので間違いない。
中学2年、初めて友達同士だけで行った、泊まりがけの旅行だった。
あれから30年が過ぎた。もうオハ61系は走っていない。大井川鉄道にも残っていない。
でも、私の心のどこかで、重厚な鉄路の響きとともに、走り続けている。
模型のオハ61系は、DF50とともに、仕事場のショーウィンドウに飾ることにした。
先週のことになるが、ヤフーオークションでDF50を落札した。
それが、今週、届いた。
四国特有の前面補強が再現されていて味わいがある。
1980年、土讃本線の山の中で見たのは、これだった。
こうして模型を手にしてみると、懐かしいとか昔を思い出すといったことより、この朱色で箱形の力強い存在感に改めて惚れ直す思いがする。
もっとも実際のDF50は、重量の割りに出力が小さいのが難点であったという・・・
楽天オークションでキハ81を落札した。今日、商品が届いた。
キハ81は、1970年代半ば頃、家族で海に行く時、大阪の天王寺駅の紀勢線ホームで、「この車輌が走り出して離れていく」後ろ姿を、一瞬だけ見た。そして「これは凄い車輌が居る」と思った。
それは偶然にも、このオークションに出ていた車輌と同じ「くろしお」の愛称を掲げていた。
1980年代に入って、中学生になってからは、友達と一緒に大阪の交通科学館に行って、静態保存されているこの車輌を改めて眺めることが出来た。何というか、何とも言えない雰囲気があるなと思った。
2010年、いつの間にかその模型が発売されていて、オークションにも出ていた。
キハ81の魅力は、一言で言うと「ダサ格好いい」ことにあると思う。
お世辞にもスマートとは言えない先頭のボンネット。通称「ブルドック」。ライトの数も電車特急より少ないような気がする。だが、そこがこの「キハ81」の魅力なのかもしれない。独特の力強さを感じさせるデザインになっている。
7両編成。早速、仕事場のショーウィンドウに飾った。
ヤフオクで落札した「羽後交通キハ3」が、今日、届いた。
実物は昭和48年に廃線。私は産まれていたが、小学1年生だった。
秋田県を走るこの列車を知るはずもなく、ましてや乗りに行けるはずもなかった。
それから37年。今、秋田県羽後町といえば「萌え米」で有名になっている。一昨年は私も「萌え米」を買った。パッケージがユニークなだけでなく、味も良いお米だった。
それとは関係ないことだが、別件でヤフオクを眺めているうちに、ふとこの「羽後交通キハ3」が目に留まった。「羽後」といえばもしかして?と思って色々検索してみると、やはり、あの「萌え米」の里を、この「キハ3」が走っていたようだ。
片側の前面にバスケットが付いているところがまたいい。ここに国鉄から引き継いだ小荷物などを積んで走っていたのだろうか。
ヤフオクで400円。価格も安かった。
塗り分けは、ローカル線らしくて面白い色だと思う。もっと淡い色調だったという説もあるようだけれど、実際のところ私には確認のしようがない。
キハ04といい、このキハ3といい、どうも私は「車体の小さなキハ」が好きらしい。
先月、ヤフオクでキハ20(の模型)を落札した。
最近ひなに言われて気付いたのだが、私に対して引力を発揮するのはなぜか「キハ」が多いようだ。気動車の普通車。キハが特別に好きというつもりはなく、乗るなら「サロ」=電車のグリーン車=の方が好きなのだが。
キハ20は、30年くらい前には、兵庫県のローカル線に行くと、みんなこれだった。しかも、登場時の2色塗りではなく、この、朱色一色のタラコみたいな塗装だった。国鉄末期の、いかにも「手を抜きました」という感じの、投げやりな塗装だった。
キハ20は、停車中にアイドリングストップなんてしない。アイドリングしっぱなしだ。カラカラと軽い音を立ててアイドリングする。それもまた、味わいの一つだった。
走り出すと、ぐもーん、という重い音とともに、そろそろと、やっとようやく動き出すという感じで、ゆっくりと加速する。というより、ゆっくりとしか加速出来なかったのだろう。180馬力のエンジン。
最近の、キハ20以上に軽量化された車体に300馬力以上のエンジンを積んでいる気動車のような、力強い加速感は感じられない。
それでも、非力なエンジンから「頑張っている」という感じが伝わってきた。坂道でなければ時速95kmまで加速する性能は持っている。
そんな記憶のあるキハ20の模型、これもまた「模型として古いタイプ」に属するというか、30年くらい前からほとんど変わっていない。最近のディティールに凝ったハイグレードな模型から見ると、シンプルな感じがする。けれど、実物の雰囲気をよく捉えている感じがする。価格も割安で有り難い。
キハ20の実物は今、現役で動いているのは、ひたちなか海浜鉄道と水島臨海鉄道だけになってしまった。
昔は全国至る所に見られて「またか」と思ったものだが、今は、おいそれと乗りに行けるものではなくなってしまった。
しかし、まあ、30年前にさんざん乗ったから、今さらもういいか、という気もする。
11/4、所用で東京に行った。
大西みつぐ先生の写真展に行った。
ヤフーオークションで、1/150スケールのキハ10を落札した。
楽天で3000円台で売っているものが2000円台で出ていたので、安いと思った。キハ10の模型はかなり細かいところまで精密に出来ていて、模型としての完成度が高いことも魅力的だったが、今となっては(実物の)キハ10は大半が廃車され、貴重な車輌になってしまった。
キハ10系には、実は、あまり乗ったことがない。
1970年代に、家族で奈良に行ったときに関西本線でキハ16を通り抜けた(座席が満席で乗れなかった)のが1回。
1984年に京都北部の私鉄加悦(かや)鉄道でキハ1018に乗ったのが2回目。
もしかしたら1987年に、廃止直前の筑波鉄道に乗りに行ったときにも1回乗っているかもしれない。乗ろうとした列車にキハ10が繋がっていたような気がする。
キハ10は、車体幅が狭く、床が高く、座席は狭く、乗り心地はごつごつして、でも、当時なりの精一杯の技術を結集した車輌なんだなという気がする。それでいてどこか安っぽいというか、ボロっぽく見えるところが、昔は嫌いだったが、今は、それが面白いなと思う。
埼玉の鉄道博物館に、キハ10のトイレ付きバージョンキハ11が動態保存されている。いずれ見に行きたいと思う。
ヤフオクで落札した「阪急6300系4連増結キット」が届いた。
新社紋の入っていない古いタイプ。これがなかなかないのだ。
これで手持ちの4両と合わせて、実物同様の8両編成が楽しめるようになった。
8両になった6300系は、やはり優美だ。
嬉しい。
Yahoo!オークションで、1/150の阪急6300系を落札した。
それが今日、届いた。
凄く嬉しい。
今年1年頑張ったので(そうでもないが)、キハ04を大人買いした。
ワンマイルで発売している、ディスプレイモデル。 3種類の塗装があって、3種類をいっぺんに買った。
写真ではわからないが、一応、車内には座席も付いている。
エンジンなどかなり細かく作り込まれていて感心する。
なぜキハ04なのかというと、遡ること30年くらい前のことになる。
茨城の親戚に、面白いところに連れて行ってやる、と言われて、車で連れてこられたのが、関東鉄道筑波線(当時)沿線。
その時、2両編成がやってきた。それは2色塗りの平凡なディーゼルカーに見えた。確かに風情はあるな、とは思った。だがそれで終わりではなかった。2両目、振り返り様に見たのが、このキハ04(関東鉄道ではキハ461またはキハ462)だった。びっしり並んだ側面の小窓。最後部は前面4枚窓。その衝動はまるで恋だね。
筑波鉄道には1度だけ乗った。1987年。廃止が決まってから、1度だけ。キハ04には乗れなかった(その時には既に使用されていなかったという説もある。)
やがて私は車を使うようになり、つくばの桜交通公園でキハ461が保存されているのを、遠目に眺めたことはあった。その時には、あまり強い印象はなかった。
そして、今。
さいたま市に鉄道博物館が出来た時、このキハ461が保存されるというニュースを聞いた。色は昭和30年代の塗色に戻されているが、前面4枚窓の写真を見て、ああ、やはりこれは凄い、と思った。何が凄いのかは自分でもよくわからない。
ワンマイルという会社が、これを、走行しない展示用の模型として製品化した。それがまた、製造当初・昭和30年代=現在の鉄道博物館の色・国鉄晩年(朱色とクリーム)の3色を出した。尾灯や前照灯の違いも作り分けているという、コアな製品だ。
最初は、どれか1両欲しいなと思った。
だが、私の記憶にある「キハ461又はキハ462」は、3両のどれでもない。なぜなら、いずれも関東鉄道筑波線の塗装とは違うからだ。強いて、それに一番近いものを選ぶとすれば国鉄晩年の塗装。
でも、鉄道博物館の色も味わいがあるし、登場時のぶどう色2号も渋い。どれにしようか。決まらない。大人買い。全部買ってしまおう、と。
並べてみると、やはり、関東鉄道筑波線に似ている「朱色とクリーム」が、一番心惹かれるような気がする。
またまたAmazonで渋い買い物をしてしまった。
「復刻版 私鉄の車両 関東鉄道 筑波鉄道 鹿島鉄道」。
届いてみると意外に小さい感じがしたが、カラー写真が多く、かなり充実している。1985年、まだ筑波鉄道も鹿島鉄道も走っていた頃(現在は廃線)に発行された本の「復刻版」。この本を読んでいると、あたかもまだ筑波鉄道が走っているかのような錯覚を覚えてしまう。
この本のP.44に、キハ461のモノクロ写真がある。現在、鉄道博物館で「キハ41307」として展示されている車両の、最後の現役時代の姿だ(ただし、本によれば「休車中」とある)。
実は、このキハ461らしき車両を、小学生の頃、親戚につれられて行った線路端で、ちらっと一瞬だけ見たことがある。正面4枚窓の印象は強烈で、ある意味で一目惚れだった。あれから四半世紀。博物館で保存されると聞いて、よほど「再会」に行こうかとも思ったのだけれど、何しろ片道2時間くらいかかるし、鉄道博物館は混雑しているというので、二の足を踏んでいた。
鉄道博物館までの片道交通費より本の方が安い。
渋い本だけれど、よい買い物をしたと思っている。
JR東日本に、209系という通勤電車がある。
1993年に登場した。
詳しいことはこちらに。Wikipedia JR東日本209系電車
近いうちに廃車されるらしい。
元々十数年で廃車する予定だったそうだから、予定通りということになるのだろうが、それにしてももうそんなに経ったか、と思う。
写真は関内駅にて。