テキスト日記」カテゴリーアーカイブ

アイスの2本食いについて


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

さきほど豆日記に、「アイスの2本食い」というのを書いたが、何でもいいから2本食べれば良い、というものではない。
まず最初に、安くてボリュームのあるアイスを食べる。例えばこれだ。
http://www.topvalu.net/items/detail.php?id=5145&sid=2&cid=50?
トップバリュの「ソーダ&バニラ味のソフト」。78円。これが安くて今、最も美味しい部類に入る旬なソフトクリームだ。
てゆーかイオン、なぜこんなにも魅力的なアイスのラインナップをそろえているんだ。なのにヤオハン(とはもう言わないのだけれど地元民はヤオハンという)の湯河原店、品揃え少な過ぎだ。
http://www.topvalu.net/items/category.php?sid=2&cid=50?

で、2本目には、高いけれど質が高くて美味しい、いわばアイスの頂点をいただく。例えばこれだ。森永PARM。
http://www.morinagamilk.co.jp/products/icecream/parm/187.html
一見するとチョコレートコーティングされた普通のバニラアイスだし、90mlと、量も少ない。そして、セブンイレブンで126円、ヤオハンで85円もする。ところが、である。その価格と量の少なさには意味があるのだ。「アイスクリーム」これを名乗るだけの製品であって、本当に味が優れている。チョコレートコーティングも心持ち厚めで、その中に入っているアイスクリームが、アイスクリームの中でもひときわ甘みと風味のバランスに優れ、また、ねっとりとした抵抗感のある食感が、食の喜びを頂点へと引き上げてくれる。

アイスは好きだ。

体調が悪い


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

最近、特に体調が悪い。
体調が悪いとどうなるかというと、まず、昼間に起きれなくなる。昼寝をしてしまう。昼寝をしてもクビにならないという自営業のおかげで首の皮1枚で社会と繋がっている。あと、夜眠れない。これは何の役にも立たない。夜中の2時とか3時とかに少し仕事をすることもないことはないけれど、大半は布団でごろごろしている。
昨夜も2時半頃目が覚めて、それで覚醒してしまったので、調子の悪かったひなのMacの、OSの再インストールをやってみたら、これがとてつもなく大変で(再インストールだけなら簡単、問題は、色々なデータのバックアップ)、朝までかかった。朝、ひなが起きて来たころにようやく再インストールが完了した。それでひながセブンイレブンに行って198円のいちごのねじねじのアイスを買って来てくれた。美味しかった。美味しかったけれど朝からアイスで、それから熟睡して、昼過ぎに起きたら体重がレッドゾーン一杯に振り切っていた。
体調が悪いと、甘いものが食べたくなる。これは鬱病の特徴でもあるらしい。甘いものがねぇ、食べたいのぉ。お団子、ピーナツチョコ、アイス2個食い、あと、甘くないけれどセブンイレブンで売っている辛いクラックプレッツェルが美味しい。ブルボンは安くて美味しいお菓子を沢山出しているから好きだ。最近ヤオハンでルマンドが安いことがあって、平常128円のところ時々98円で売っていたりする。あとシルベーヌが美味しい。ああいけないわ、また食べたくなって来た。ヨーグルトもよく食べる。イオンの4個で128円のアロエのヨーグルトが美味しい。小田百で売っているチチヤスの4個入りは美味しいけれど小田百が遠いのでなかなか食べられない。
体調が悪いと、何もかもが億劫になる。風呂とか入れない。でも甘いものを買いに行くことだけは、這いずってでも行く。這いよれ!ニャル子さん。
体調が悪いのは、何もここ数日始まったことではなく、初診は1983年。あの時も6月に病院に行ったのだっけ。この季節もある程度影響しているのかもしれない。
体調が悪い。甘いものをたくさん食べたい。

急性腸炎、ショック状態


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

5/27から30まで、小田原市立病院に入院していた。

5/22頃から具合は悪かったのだが、市販薬などを飲んで無理していたのが良くなかった。5/27夜 、体験したことの無いような、よじれるような腹の痛みを感じた。これはヤヴァいと思って、ひなに、湯河原胃腸病院の夜間救急に電話してもらったが、今、担当医が1人しかいなくて対応出来ないという。ひなに救急車を呼んでもらう。湯河原厚生年金病院にも担当医の余裕がなく、小田原の、小田原市立病院に搬送された。本来湯河原から1時間はかかる場所なのだが、そこは緊急車両、救急救命士の「22〜3分で着きます」と言葉通り、30分とかからずに到着したが、その間、私は酸素吸入を受けていた。血圧や体温や心拍数を測っていた救急救命士が「ショック?プレショック?」「ショックです」と話していた。ああ、これがショック状態なのかと思う。これヤヴァいんじゃないでしょうか?とか思っているうちに病院に到着した。到着してからも酸素吸入を続けていたら、少しずつ楽になったが、やはり腹は痛かった。今まで、胃の痛みというのはよく経験していたが、そこより少し下、小腸のあたりが痛かった。

その夜のうちに、レントゲン撮影、エコー検査、それと、ヘリカルスキャンCTによる造影剤CT撮影。今はCTも、ただ断面を撮影していくのではなく、螺旋状に体の中を撮影していくので、撮影した画像をお腹の上から下まで、ぐるぐる回しながら閲覧することが出来る(このあたり、わかる人にしか分からない表現かもしれない。)なぜCTを撮ったかというと、保険点数を稼ぐとかいう意図ではなく、「腸に穴があいている」可能性を疑ったためだという。

で、結局CTの診断結果からも、特にこれといった問題は見つからなかったが、血液検査から激しい炎症を起こしている(おそらく腸)が判明したため、そのまま入院し、点滴を受けることになった。点滴には抗生物質が調合された。

抗生物質が効いたのか、29日には大分痛みも引き、30日には起き上がってもお腹が痛くない状態になった。それで、30日の朝に主治医に相談したところ、朝の血液検査の結果が良ければ退院してもいいということだった。最初は入院1週間と言われていたので、少し有り難く思った。

現代だから何とか助かったけれど、小田原まで半日近くかかっていた明治時代なら、というか、抗生物質や酸素吸入という医療技術がなかったら、私は助かっていなかったかもしれない。

軽々しく言えることではないが、生きている一日一日は、大切に生きなければならないと思った。

朔が右肘を捻挫した


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

一昨日の夜、ふと、ひなが気がついた。
最近、朔が「右手を持ち上げる」という動作を、よくするというのだ。
いや、「右前足」というのが正しいのだろうか?

言われてみてしばらく観察していると、確かに、前足を立てて座っている時に、ひょい、ひょい、と右手を持ち上げる動作を繰り返していた。

その日は既に動物病院が閉まっていて、次の日(昨日=火曜日)は動物病院の休診日だった。不安な気持ちを抱えながら眠れない夜を過ごし、今日、朝一番で動物病院に朔を連れて行った。しかし朝9時オープンの動物病院、8時45分に行ったら既に2人待ちだった。聞けば11歳になる犬とか、症状が重くて車から出せない犬とか、何と言うか、動物も大変だ。
で、3番目の診察で朔を診察室に連れて行くと、獣医さんは、朔の右手を持ち上げてくねくね動かしながら、指先から超音波でも出しているんじゃないかと思うほど慎重な手つきで診察を始めた。

で、診断は「朔、高いところから飛び降りたでしょ」。

どうやら、飛び降りる際にバランスを崩して、右腕の肘というか、右前足の膝というか、その部分を捻ってしまったようだ、ということであった。私はてっきり、右手の手のひら(というか肉球)に見えないとげとかできものとかあるのかと思っていたけれど、問題は手のひらではなく、肘の関節だったのだ。獣医さんグレート。触っただけでそこまで分かるんです。名医。動物病院の名前はあえて出しません、これ以上混雑されたらと思うと恐ろしくて。

それから、私は念のため「腫瘍とかの可能性はないですか?」と訊ねてみた。これが一番恐れていた事態であるが、「現時点でそういう判断はないです。5日分の痛み止めを処方します。それを飲み終わってもまだ痛くて手を持ち上げるようなら、その時はレントゲンを撮ってみましょう」とのことだった。

猫は高いところから飛び降りても怪我をしない、という俗説は、若猫の場合はそうかもしれないけれど、12歳にもなると、人間で言う75歳相当になるので、あまり無茶をしてはいけないようだ。

そういえば、であるけれど、朔は、前足を立てて座っている時には 右手を持ち上げる動作をするが、夜、私の布団に入ってきて横になって抱っこしている時には、右手を動かす動作をしないようであった。

ともかく、どうやら捻挫らしいということで、一安心した。

朔に起こされて金環日食を観た


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

正直言って、今回の金環日食はどうでもいいやと思っていた。

900年ぶりとか次は300年後とか、そんな、長門有希じゃあるまいし、何百年という時間を実感することなど出来ないのだから。

今朝、7時頃、猫の朔に起こされた。
もわーお、と鳴いて騒いでいた。ヤヴァい、何かを吐く時の声だ。
部屋に常備してある洗面器(そんなものが常備されている訳です、うちは)を持って朔を追いかける。やがて吐き始めた。毛玉。私たちが寝ている間に毛繕いをして、大量の毛玉を飲み込んでしまったらしい。毛の生え変わる季節だもんな。

そうこうしているうちに7時半前になり、そういえば日食じゃないかと思って窓を開けると、曇り空を透かして、少し欠けた太陽が見えた。雲がフィルターになっている。日食観察用のフィルター、いらないじゃないですか、これなら。買わなくて良かった。買ってないけど。ひなさんを起こして日食を眺めた。太陽はすぐに厚い雲に隠れてしまった。今日は曇りだからな、まあしょうがないだろう、これだけ見えただけでもよしとしよう、と。

それから朔のブラッシングとかしているうちに7時半になって、窓から外を見ると、再び雲が薄くなって来て、少しいびつながら、綺麗な輪になっている太陽が、雲越しに見えた。ひなさんと2人で、へえ凄いね、と話しながら見ていると、さらに雲が薄くなって来て、直視しているのがヤヴァそうな気配になってきたので、観察を終了した。

写真は、これだけのイベントなら新聞社とかが上手に撮っているだろうと思って、あえて撮らなかった。NDフィルター持ってないし。

という訳で、日食以外の理由で起きたのだけれど、日食は見た。

 

小湊鉄道キハ200の記憶


カテゴリー: テキスト日記鉄道 | 投稿日: | 投稿者:

今月発売予定の鉄道コレクション「小湊鉄道キハ200、2両セット」。
楽天で予約した。

小湊鉄道は今、キハ200以外の車両を営業用に持っていない。五井の車庫にキハ5800を保存しているが、稼働していない。
それはしかし、昨日今日に始まった話ではない。

私が初めて乗った1983年の6月には、既にそういうラインナップになっていた。
あれから29年が経過した訳だが、未だにキハ200が現役。国鉄(→JR)の同年代の車両というとキハ20だが、JRには残っていない。キハ20より新しいキハ40やキハ47の廃車が始まっている。小湊鉄道、物持ち良すぎ。

29年前、なぜキハ200に乗ったかというと、別に趣味として乗りに行った訳ではなかった。通院のためだった。初めて通う精神科、市原鶴岡病院が、小湊鉄道の上総三又という駅から歩いて15分のところにあった。今でもあると思う。当時の診断名は強迫神経症。今は鬱病で、診断名こそ違うけれど、当時の処方は抗鬱剤を中心とした処方で、今の主治医が分析するには、当時既に強迫性障害の症状より鬱状態の方が深刻だったのだろう、という。
上総三又は、田んぼの中の無人駅だった。ホームが1本と、簡単な待合室があるだけだった。うら寂しい場所と言えなくもなかったが、私はそこに救いを求めて通って行った。だからこれは悪い思い出ではない。1983年の6月。緑色の絨毯を敷き詰めたように水田が広がっていた。

あれから29年が経過したが、小湊鉄道はほとんど変わっていないように見える。
いや、少し変わったことがあるかもしれない。人気が出ていること。
都心から比較的近くで、クラシックなキハ20系が走っているということで、ドラマやCMなどのロケに使われるようになった。
また、鉄道趣味そのものが29年前よりメジャーになった。
小湊鉄道は昔よりむしろ人気が出ているように思える。オークションで取引されている模型の価格を見ても、そう思う。

私はといえば、あれから29年経って、結局薬に頼って生きているという点では何も変わっていない。
でも、それでいいやと思う。非合法な薬ではないし、あるいは、体を壊すほどのお酒やタバコでもない。それを飲めば日々なんとか暮らして行けるのだから、まあいいやと思っている。

そして今日も小湊鉄道キハ200は、クラシックなエンジン音を奏でながら、田んぼの中を走っている。

5月8日に武道館へ行ってきた


カテゴリー: Perfumeテキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

実は、2012年5月8日火曜日、武道館に行ってきた。
Perfume 3rd Tourの追加公演、武道館4Daysの初日。
実は今、仕事が凄く忙しくて、5月10日には横浜まで出張があったりして、後からご依頼をいただいた仕事をお断りしたりしているのです。仕事を断って武道館かよ、と呆れられるかもしれませんが、チケットを予約した2月には、今年はメチャクチャ暇で、売り上げなんか前年比マイナス40%を見込んでいたのです。売り上げ額は、まあ、その通りになりそうなんですけど、4月にゆたぽんファイブのクリアファイルを作ったあたりから急に忙しくなって、本当に首が回らなくなってしまって、でも、一度はどうしてもライブで見たかったんです、Perfume。やっぱり「本人」を見たいじゃないですか。例え点のように小さくても。
で、今年はPerfumeのファンクラブに入って、ファンクラブを通じて予約を取ったのだが、そうしたら席の番号は「アリーナA1-13、14」だった。
それってどのくらい凄い席なのか、ライブってあまり行ったことないし、そもそもアリーナ席なんて初めてだったので、よくわからなかったのですが、行ってみたら、左端に近い場所ながら前から2列目。左端であったことが逆に幸いして、ステージ中央に来た3人が、誰にも遮られずに(人の間から)見えたんです。もちろん、ステージの左端に来てくれた時なんか、表情がわかるくらいはっきりと見えました。あと、最初の方でのっちのMCの間に、かしゆかがステージの端で髪の手入れをしていたのが見えました。かしゆかの「趣味・髪の手入れ」って本当みたい。
ありがとうPerfume。こういう席は芸能関係者でもないと取れないものとばかり思っていました。ちゃんとファンクラブの人に売ってくれるんですね。初めて知りました。お礼に、アンケート用紙と一緒に飯島意匠オリジナルTシャツ「ニャンルームディスコ」の緑色バージョンを3着同封しました。かえってご迷惑かもしれませんが。

Perfumeはもう人気もピークアウトとか、色々言われているけれど、武道館は満席でした。本当に空席がなかった。
あと、暑かった。気分の問題でなく、本当に身体的に暑かった。
Tシャツ1枚でも汗が流れるほど。
これからPerfumeのライブに行く人は、汗を拭くタオルを持って行った方がいいです。ファンクラブ限定のタオルでなくてもいいので。

また行きたいなあ、Perfumeのライブ。横浜アリーナとかやってくれないかなあ・・・

文学賞に落ちまくる


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

もう30年くらい昔のことになるが、千葉県立某高校の校長が、こんな話(講話)をしたという。
それは、「成功した話をするより、失敗した話をした方が、みなさん喜ぶんですよ、だから私はなるべく失敗した話を話すようにしています」。

今、不特定多数に向けて「話をする」=「情報を発信する」ということが、ブログという仕組みによって極めて簡単になって、なにも県立高校の校長にまで出世しなくても、大勢の前で「話をする」に相当することが、誰でも可能になっている。私もそういう1人だ。
で、初心に立ち返るという訳でもないけれど、改めて考えてみると、私もどちらかというと「成功した話」をするのが好きな方で、それはとりもなおさず「つまらない話を振りまいている」ことになるのだろうなあと、かなり反省するところ大である。

で、早速、近年の失敗事例を色々書いてみようと思ったのだけれど、ここ数年に関して言えば、人に話して面白いというほどの失敗は、あまりない。紙の切符を買ったのに、JRの自動改札で誤ってSuicaをタッチしてしまった失敗など、失敗ではあるけれど全然面白くない。そういう失敗をひけらかしているうちは、まだまだ私も修行が足りないということなのだろう。(ちなみにこの失敗をした時には、そのSuicaを駅員さんのところに持って行って、タッチの「取り消し処理」をしてもらえばOKです。)

かなり恥ずかしい失敗としては、やはり、かなり痛々しい「文学賞落選」というのがある。これは結構回数を繰り返していて、20年くらい前には、福武書店の海燕(かいえん)新人文学賞に4年連続で滑った。1次選考で落ちたとかいうのはもうどうでもよくて、3次選考で落ちた時は凹んだ。しかし、今思えば落ちて当然のものを出していたと思う。去年は久しぶりに「湯河原文学賞」に応募してみたが、かすりもしなかった。200編弱くらいしか応募がないらしいので穴場だと思ったけれど、どうも、入選作を読んでみると、私みたいなのは「相手にされない」んじゃないかという気がした。これは、湯河原文学賞を非難して言っているのではない。どんな賞、文学賞に限らずあらゆる賞、写真なんかもそうなのだけれど、その賞の「入選しやすい傾向と対策」というのは、やっぱりある。ただやみくもに出品すればよいのかというと、それは違う。そういうのは、努力の方向性として、あまりお勧め出来るものではない。

で、今年から少し考え方を改めて、いわゆる「純文学」ではなく、「ライトノベル」の方に出すことにした。全然違うじゃないか、どういう節操のなさだと思われるかもしれないが、私自身、読んでいるものは、今、純文学ではなくてライトノベルやその派生のアニメ(これは読むというより観るだが)なんかの方が、絶対量は多いのだ。例外は村上春樹だけ。しかし「村上春樹の傾向と対策」を考えてもしょうがない。「傾向と対策」ごときで真似が出来るほど軽い小説ではない。彼ほどの「文学の基礎体力」を持っている人は少ないと思うし、私は文学部卒といっても地理学科だし。

で、あまり大きな声では言えないけれど、湯河原文学賞で滑った作品を、少し手を入れて、ライトノベルの選考に出した。それが今年の4月。でも、正直、期待していない。やっぱり、バレますよね、使い回しって。なんかおかしい、と思うはず。読む人は。
今、こりもせずにまた新作を書いていて、今はもう推敲の段階に来ているけれど、今度こそ通って、売れて欲しいなあとか思っている訳ですけれど、この年になって、しかも、これだけ落選を繰り返していると、自然に「あまり期待しない」というふてぶてしい態度が身に付いてしまっていて、ああ、よくないなあ、こういう「苦労人ぶった人」にだけはなりたくないなあなんて思ったりしてしまう訳です。

今日は黒ヱビスを飲んでいるので、何を書いているのか訳が分からなくなって来た。

スマホブームを見抜けなかった


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

商売をしているので、常々、色々、「この先どうなるか」を予想しながら日々暮らしている訳であるが、「これはハズした」という予想もかなりある。
「私の予想が当たりました」という記事を書く人はたくさんいるが、「私の予想が外れました」という記事を書く人はあまりいないと思うので(第一かっこうわるいし)、あえてそれを書き出してみようと思う。

まず、私の最大のハズレは、スマホがこんなに普及するとは思わなかった、ということだ。それに関連して、PCが思いのほか普及していない。
これはどういう予想かというと、5年くらいまえ、私は、次のような予想を立てた。
「PCが5万円以内で買えるようになったので、もう、携帯電話で無理矢理ネットに接続する必要はなくなる。安いノートPCが普及して、携帯電話は電話機能だけのシンプルなものが主流になる。携帯電話の課金や広告で稼いでいる業者・・・モバゲーとかグリーとか・・・は、没落する」。
大はずれ。
今、TVのゴールデンタイムでじゃんじゃんCM打っている会社を見ると、私の誤りは明らか。PCは「仕事のツール」として「会社」には浸透している。だが、携帯サイトは絶好調で、TVCMだけでなく、東海道線の車内吊り広告などにもどんどん出稿している。ついにGREEなどは、「未成年者の1ヶ月の課金は1万円までとする」という自主規制を発表したけれど、自主規制しなければならないほど儲かるというのは、ある意味でうらやましい。
ともかく、そういう商売が衰退するという私の予想は、大いに外れたという訳だ。

携帯電話関係で言えば、もう1つハズレがあって、スマホ、スマートホンがこんなに普及するといは思わなかった。
私の知っていたスマートホンというのは、もうこれも5年くらい前になると思うけれど、iPhone以前のスマートホン、Black Bellyのように、ちょっと大きな画面の下に、小さなフルキーボード(というか、キーボード配列のボタン)が付いているタイプだった。こういうのは、熱心なデジタルガシェットファンにしか普及しないだろうなと思っていた。まあ、それはある程度当たっていなくもない。だが、スマートホンそのものの定義が変わってしまって、フリック入力とともにもの凄い勢いでスマートホンが普及している。これも見抜けなかった。私の負けです。

仕事関係のPCでも、ハズした予想がある。
それは、シンクライアントが思ったほど普及していないということだ。
これは、かなり真面目に考えた予想なので、軽いショックを受けている。
シンクライアントというのは、ハードディスクがなく、アプリケーションもデータも全てサーバーに置いてあり、サーバーの機能とデータをハンドリングするだけに特化した端末。
企業や官庁のセキュリティ意識が高まれば、必然的に、PCはすたれ、シンクライアントに置き換わって行く・・・と思っていたのだが、案外、PCが健闘している。
これは秘密でも何でもないので書くが、例えば神奈川県庁では、シンクライアントではなく、PCを端末に使っている。ただし、USBコネクタは潰してあり、ほとんどのPCにはCD-ROMドライブさえない。どうしてもCD-ROMの内容を見たい時には、セクションに1台ずつ配置した「CD-ROMを読むための特別のPC」で読むことになっている。理由はもちろん、セキュリティ上の配慮だ。USB経由でもCD-ROM経由でも「マルウェア感染を完全に断つ」という姿勢なのだ。「踏切事故をなくすには踏切を無くせばよい」という新幹線の発想に近い。PCをシンクライアントの「ように」使っている訳であるが、そこまでしてPCを使うとは思わなかった。
ここで私が見落としていたのは、office製品の存在だ。過去15年くらいの間に蓄積された膨大な量の文書、それは、主にWordやExcelや一太郎で書かれている。利用ノウハウの蓄積や慣れといった側面からも、仕事を能率よくこなすには、やっぱりoffice製品は手放せないのだろう。これがシンクライアントではネックになる。
民間企業も、少なくとも中小企業に関して言えば、シンクライアント以前に、そもそもサーバー自体持っていない。PCはまだまだ事務の中心にある。

有り難いハズレもある。
これも5年くらい前に考えたことだが、WEB制作という職業が壊滅しているという予想だ。
ホームページビルダーはともかくとして、WordPressのようなCMSが普及して、もう、Web制作などという仕事は必要なくなるのではないかと。
現実はどうかというと、一応、私が商売として成り立っている。
盲点は2つあって、例えば某社ではCMSを導入したので、社内のWebページ制作を外注に出すことはなくなった。ここまでは当たりだ。ところが、セキュリティ水準を引き上げるために、FTPツールのインストールを禁止してしまった。これは、社内のWebページを更新する際には問題ないが、別途、外部のサーバーを借りてホームページビルダーで管理していたWebページが、全く管理出来なくなり、外注に出さざるを得なくなった。
また、別の某社では、WordPressを導入して「誰でも簡単に更新出来る」仕組みを作ったのだが、いざ運用を開始してみると「更新出来ない」、つまり、本業が忙しい、あるいは、社外向けの文章を練る時間(と自信)がない、という理由で、Webが放置されてしまった。それで、そういう文章制作や管理を外注に出すことになった。

未来の予想というのは難しい。

玄米を噛まずに食べると肌が荒れる


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

今日、明珠堂に行って来た。指圧30分。最近、2週間に一度は通うようにしている。
指圧・鍼灸師の腕の良さについて、私は詳しいことはよくわからない。
でも、ここの先生は、(私が)食べ過ぎの時にはそれをぴたりと当てるし、凝ってつらくなっている肩を的確にほぐしてくれるので、とても助かっている。
で、今日も指圧を受けて来たのだけれど、明珠堂の先生が言うには、「玄米はよく噛んで食べないと肌荒れの原因になる」ということだった。玄米が肌荒れに繋がるという話は初めて聞いたので驚いたのだが、概略を記すと次のような話だった。

まず、玄米そのものは体に良い。鍼灸師仲間でも、玄米食生活の人は多い。

ただ、普段白米を食べていた人が急に玄米に切り替えると、かえって問題を生じることがある。
なぜなら、白米はあまり噛まなくても消化されやすいが、玄米は消化によくないので、よく噛んでから飲み込まないといけない。
ずっと白米を食べて来てた人が玄米を口にすると、白米の感覚でよく噛まずに飲み込んでしまうことが多い。すると、玄米は消化されにくいので消化不良を起こす。
この消化不良が原因となって、下痢をしたり、肌荒れを生じたりする場合がある。

玄米は、浸水時間を長くしないと炊けないという難点もある(圧力釜を使う方法もあるが)。
白米食の人が玄米を食べ始める時には、まず、手軽に食べられる「一食ずつのパッケージで、レンジで加熱するだけで食べられるレトルトタイプ」を「時々食べる」ことから始めるとよいのではないでしょうか、とのことだった。
玄米の他、麦飯、雑穀も「美味しいのでお勧め」だそうである。
玄米にこだわらなくても、普段は白米を食べて、時々麦飯や雑穀ご飯を味わって楽しむように、玄米も少しずつ取り入れてみてはどうでしょう、とのことだった。

消化不良や肌荒れのことは今日初めて知ったので、少し驚いた。

まどマギ面白い


カテゴリー: テキスト日記萌え | 投稿日: | 投稿者:

今さらながら「魔法少女まどか★マギカ」を見ている。レンタルDVD。
今、第6話まで見たところ。
いやー、これ面白いです。あと、戦闘シーンとかも含めて絵が綺麗。
ほむほむの「不思議少女っぽさ」がいい。そういえば、ひなさんもちょっと不思議少女入ってるかも。
第6話、深夜、まどかのお母さんがまどかに言う台詞。
「むしろみんながみんな、自分の正しさを信じ込んで意固地になるほどに、幸せって遠ざかってくもんだよ」
それ、今の世界情勢そのものですやん。
「本当に他にどうしようもないほどどん詰まりになったら、いっそ、思い切って間違えちゃうのも手なんだよ」
それって、もしかして今の日本社会のことでしょうか?
いや、深読みしすぎだろうね。
ともかく、面白いです、まどマギ。
※台詞は下記のサイトを参考にさせていただきました。
魔法少女まどか☆マギカwiki
http://www22.atwiki.jp/madoka-magica/
ネタバレ考察台詞集
http://www22.atwiki.jp/madoka-magica/pages/83.html

模型を整理しようかと


カテゴリー: テキスト日記鉄道 | 投稿日: | 投稿者:

ここ最近急激に数を増やしているような気のする我が家の(というか私の)鉄道模型であるが、ここへきて、ちょっと整理しようかな、と思い始めている。

以下は、あくまで「私の感想」というだけに過ぎず、これが絶対的な真理だと主張する意図は毛頭ない。

模型の面白さというか、楽しさは、必ずしも「実物の思い出」とは関係ない。
例えば私は、EF15という電気機関車を見た記憶がない。時期的に、たまたま乗っていた列車とすれ違った貨物列車の先頭に立っていた、などということがあってもおかしくはないのだけれど、はっきりと観た記憶はない。でも、深いマルーンの車体から突き出している短いデッキ廻りの雰囲気とか、ツララ切りを兼ねているといわれているひさしとか、そういう造形に、何と言うか、凄く惹かれる。

こないだ買ったトキ21500も、見たことがあるような「気がする」だけで、本当に見たという自信はない。でも、この「蓋付きの無蓋車(むがいしゃ)」という天の邪鬼のような構造とか、黒くて細長いプロポーションとか、何とも言えない味わいがある。貨物列車というのは、今も昔も、同じ形式が何両も繋がっていることが多い(多かった)けれど、模型で少数ずつ色々なカタチのものを集めるというのは、意外に楽しいものだと思った。ワフ29500なんか、たまらないです。半分貨車で半分車掌室。模型も実物同様、赤いテールランプが点くのです。昔の貨車の最後尾ってこれだったよなー、という郷愁もないことはないけれど、それより、模型的に「赤く光るワンポイント」があった方が楽しいという気持ちを感じる。

カタチだけが全てではない。キハ20などは、何と言っても走らせるのが楽しい。
これは、一旦動かなくなっていた模型を修復したという喜びというか自己満足もあるのだけれど、それだけでもない。キハ20は、実物も「1両編成」で走ることが出来た。模型も同じで、1両で走らせてもよし、キハ47とかと混ぜて6両編成とか組んでもよし。
キハ20もキハ47も、実物には随分乗ったけれど、乗った車両だから好きだとか、思い出があるとか、そういう理由で(模型のそれらが)好きな訳ではない。
確かに実車も(個人的に)好きな方ではある。けれど、他のどの車両よりも好き、というほどではない。
実車ではキハ47よりもキハ20よりも、旧型客車の方が好き。
でも旧型客車の模型を買ってみて分かった。私は「このカタチが好きという訳ではないのだ」と。私は実車の「ずっしりとした重々しい雰囲気」が好きだった。あるいは、「キーンと微かに聞こえるサークライン蛍光灯のノイズ」とか、灰皿から漂ってくるタバコの匂いとか、しばしば出会った壁面が木目にニス塗りという「味わい深い」を通り越して「おどろおどろしい」と思わずに居られなかったクラシックな内装であるとか、開けっ放しの窓から入ってくる緑の匂いとか(←夏とかね)、そういったものが総合的に一体となって醸し出す風情のようなものが好きだったのだ。模型にそういった要素があるはずもなく、むしろ、案外シンプルな作りだなという感じで、特別に面白いという感想は持つことが出来なかった。

KATOのキハ20という模型に関して言うなら、発売開始以来40年くらい経っていると思う。そのキハ20、未だに40年前とほとんど変わらない仕様の製品を今でも売っている。現行モデルなのだ。色々な意味で凄いと思う。ディティールなど割と省略気味であったり(床下とか特に)、飾り気のないシンプルな模型であるように思うけれど、これはこれで「カタチ」として成立しているという気がする。ディティールの細かい最新の他社製品と並べてみても、見劣りがするかというと、案外そうでもない。ディティールがおおまかでも、全体の雰囲気が、うまくまとまっているのだと思う。個人的には、破損の心配が少なく、気楽に取り扱えるという点も気に入っている。

で、今、売ろうと思っている車両リスト。

鉄道コレクション「阪神5201形(5203〜)」。子供の頃乗ったなあ、阪急810系とならべて今津駅再現!とか思って買ってみたのだけれど、ごめん、やっぱり私、阪神より阪急の方が好きなんです。今では同じ系列の会社に合体しているけれど。やっぱり「あの当時」は「宿敵」だった訳です。というか、最近阪急1010系をオークションで買ってしまいまして、そうしたら、何だか阪神電車が、居心地悪そうな顔しているような気がしてきたんです。ごめんよ、ジェットカー。

鉄道コレクション「小田急キハ5000」。大手私鉄のキハという珍しさに、つい買ってしまった。実物は乗ったら味わいがありそうだけれど(エンジン全開で小田急線の電車の間を縫って突っ走るとか)、うーん、なんだろうな、今ひとつしっくり来ない。決して悪い車両ではないと思うのだけれど。

鉄道コレクション「羽後交通キハ3」。わーい、萌え米の里のキハ!バスケット付き!と思った。悪い車両ではないと思う。しかし、うーん、微妙に何か違うというか、私の心のツボに来ない。鉄コレは安いので衝動買いしたのが多いなあ・・・

TOMIX DD54。DD54の現役時代は、本当に一瞬見た「かもしれない」程度で、中学生になってから大阪の交通科学館で保存されている姿を見た。昭和40年代の機関車なのに、古さを感じさせないというか、不思議な魅力のある機関車。B-1-Bという独特の軸配置も格好いい(この軸配置は考えてみると、何もDD54だけのものではないのだけれど)。という訳で、オークションで競って競って、やっと落札したんです。友人に貸していたパワーパックを返してもらってからは、走らせてもみました。ちゃんと走ります。ライトも付きます。なのに手放すんですか?と、自分でも思う。
しかし、うーん。何だろう。この「力強さ」を感じるシルエットが、逆に私の心を掴まないのだろうか?DD54に比べて出力が小さく、しかし、DD54より長く活用されていたDF50の方が、なぜか私の心を掴んでしまう。
私の持っているDF50はマイクロエース製の中古なのだけれど、四国仕様で、四国ならではの前面補強があったりして、そういえばこの顔を薄暗くなった新改駅で友達と一緒に眺めたなあなんて思い出もあったりして、しかし、思い出だけでなく今こうして模型を見て見ると、何となく親しみのようなものも湧いてくるという、不思議な機関車。朱色とグレーの2色塗りというのもいいのかも。でもそれならDD51だってそうじゃん、と思う。DD51。まあ嫌いではない。凸型で、造形的にも面白みがあるのは分かる。でも多分模型は買わない。理由は分からないけれど、欲しいという気持ちが、今ひとつピークに達しないのです。それはそうとして、で、DD54。決して嫌いではないのではあるけれど、何となく、手放そうかなあなどと考えてしまったりしている。

今日は、いや、今日も、何だかとりとめもないことを延々と書いてしまった。

トキ21500


カテゴリー: テキスト日記鉄道 | 投稿日: | 投稿者:

あれは1月23日のことになる。
おおぞら会と神田珈琲園に、年初の打ち合わせに行った。
おおぞら会が10時、神田珈琲園が2時。おおぞら会の予定が少し早く済んだので、サンマルクでベトナム風サンドとチョコクロを食べて(てゆーか神田珈琲園で食えよって話もありますが、時には他店のメニューを試食しておくことも必要なのです)、それでもまだ時間に余裕あったので山手線に一駅乗って、秋葉原のヨドバシに行った。目指すは6階。フィギュア&鉄道模型。何か病んでるなあという気持ちが多少しなくもなかったけれど、それはよいということにしよう、心惹かれるねんどろいどか貨車があったら買っていこうかな、くらいの気持ちで、暇つぶしを兼ねて行ってみた。

で、行ってみて特別にこれといって魅力的なねんどろいども貨車も無かった・・・はずだったのが、1つだけ気になるアイテムを見つけてしまった。
トキ21500。
冷延コイル輸送用無蓋車。
屋根の無い、トレー状の貨車なのだが、特別にフタがついている。薄い鉄板で作った冷延コイルを運ぶための特別仕様車。冷延コイルというのは、かなり大きな貨物なのだけれど、素材が鉄板なので雨にあたると錆びてしまう。それで、無蓋車でありながら、開閉式のフタがついている。それがトキ21500。
で、その模型があることは知っていたのだけれど、これ、模型も実物同様に「フタが開く」ようになっていて、中に「冷延コイルの模型」が積んであるんですよ、それが、ヨドバシの6階でフタを開けた状態で展示されていたんですよ。
うーん、どーしよーかなー、今、あまりヨドバシのポイント溜まってないんだけどなー、と迷っているうちに時間が無くなってしまったので神田珈琲園に向かった。

家に帰ってから、やっぱりあれはいい、と思って、そうだ、楽天のポイントなら900円分くらいあるぞ、と思って、ポチった。
★楽天(Joshin)・トキ21500 2両一組★

で、今、この貨車の模型は私のイエの模型コーナーで、EF15型電気機関車に連結されて飾ってあるのだけれど、この模型、脱線防止のためだと思うんですけど、ちょっと重いんです。ずっしりした手応えがあるんです。それで、たまに「ぺんちら」っとフタを開いて冷延コイルを観察したりするのが、味わいがあっていいんです。
自分でも何を書いているのか訳がわからなくなってきた。

なお、実車の写真はこちらのページにあります。私、この実車って、東海道線か東北線のどこかで見たことがあるような気がする。勘違いかもしれないけれど。→JR貨車研究所039_トキ21500形

Perfumeのファンクラブに入った


カテゴリー: Perfumeテキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

私には、1980年代において「3つの後悔」がある。

1つは、別府鉄道に乗らなかったこと。当時、鉄道旅行といえば「国鉄」ばかりに注目していて、味わいのある私鉄をみすみす見逃していた。動いているキハ04に乗ってみたかった。オープンデッキの小型客車に乗ってみたかった。野上鉄道しかり。有田鉄道しかり。どうして乗っておかなかったのかと、悔しい思いがする。いや、どうしても我慢出来ないほど悔しいかと問われると、いや、そこまでは、とも思うのだけれど、そういう私の中途半端な性格が、30年後に後悔の原因となった例であるような気もする。

もう1つは、YMOのライブに行かなかったこと。リアルタイムだったのに。もうあんな大きなうねりは、地球上のどこにも生まれないんじゃないだろうか?と言うと大袈裟過ぎる気もするけれど、あの時、あれが30年後になって、アルバムを聞き返しても「古びない」ものであったとは思わなかった。

もう1つは、好きな女の子に告白しなかったこと。これを正確にカウントすると3つの後悔が7つの後悔になってしまうのだけれど、中学生の頃、高校生の頃、好きになった子が居ても、私は決して告白することをしなかった。出来なかった。勇気がなかった。意気地がなかった。軟弱だった。気弱だった。情けない男の子だった。しかし、この後悔だけは他の2つとはちょっと異なる要素を含む。もし告白したうちの誰かと、その後交際が続いてしまったとすると(いや別れる可能性の方が、普通に考えて、大いに有り得る訳ですけれど)、今の奥さん、ひなさんに出会うという個人史が巡ってこないことになる。それは困る。そして、この後悔があったゆえに、「同じ轍は踏まない」と覚悟して、ひなさんと付き合うようになったというフィードバックもある。だから、この後悔は、後悔しつつ、結果的にこれで良かった、これ以外の道もちょっと困るという、ちょっと複雑な思いもある。けれど、今、中学生とか高校生とかに(説教など垂れる立場ではないことは充分承知いたしてはおりますが)、好きな人が出来たら、とにかく告白しなさいと言いたい。もちろん振られる確率も相当高いだろう。普通はそんなものだ。でも、「あの時告白しておくべきだった」という後悔は、決して後味の良いものではない。

1つ目の後悔である「別府鉄道」は、小型客車はどうしようもないけれど、辛うじて最近、キハ04の実物に触れた。大宮の鉄道博物館で美しく保存されている車両の車内に入って、座席の小ささや壁の木目に感動したりした。

3つ目の後悔である「告白」は、今、ひなさんと暮らしているからOK。

で、残った1つの後悔。YMOのライブに行かなかったこと。
こればかりはどうしようもない。
しかし、ここで私は再び「同じ轍を踏んではならない」と考えた。今こそフィードバック。で、今、「リアルタイムで観ておきたい」と思ったのが、Perfume。

それで、今日、Perfumeのファンクラブに入った。入会金1000円+年会費4000円。ネットで手続き完了。便利過ぎる世の中は、後悔の敷居を少し下げてくれたかもしれない。いや、まだチケットの抽選を当てないといけないという難関はあるんですけれどね。
http://www.perfume-web.jp/

ゆたぽんファイブ・スクリーンセーバーを飯島意匠で制作・無償配布開始


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

湯河原町の「ご当地キャラ」として登場した「ゆたぽんファイブ」。
5人組で「変身・戦隊もの」。
飯島意匠では、この「ゆたぽんファイブ」の「スクリーンセーバー」を制作しました。
5人の「ゆたぽんファイブ」が変身します。
(Windows版のみ)
http://yutapon5.iijiman.com/
ダウンロード、ご利用とも無料ですので、Windowsユーザーの皆様は、どうぞご利用ください。

湯河原中学校の屋上を太陽光発電所に


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

このネタ、後で誰かにパクられたときにむかつくので、豆日記とmixiの日記に書きます。

湯河原町立湯河原中学校、かつては県立湯河原高校であったところですが、この校舎の屋上に太陽光発電パネルを設置して、太陽光発電所を作ったらどうだろう。実験程度ではなく、屋上と、日当りのいい空き地があれば(これがまたあるんだな、校舎とグランドの間の川の上空とか)そこにも太陽光パネルを設置。

はっきり言って、売電収入はあまり期待できない。所詮校舎の屋上「程度」の面積で、大した発電量にはならないだろう。
ただ、あれほど日当りのいい場所に、何も乗っけずに遊ばせておくのはもったいないし、神奈川県は、今、県知事が率先して太陽光発電を促進しようとしている。
そして、今、まだ「中学校の屋上に太陽光発電所を設置しているケース」というのは、あまり聞いたことが無い。
ここがポイント。
全国に先んじてこういう施設を、ただでさえ「観光地である湯河原」に造れば、全国から「視察を名目として」観光客がやってくる。いいんですいいんです、名目はなんだって。湯河原で1泊もしてくれれば御の字。
神奈川県庁って「全国初」とか好きそうだし、知事が乗り気だし、何とか県庁から補助金を引っ張って来て、あとは町で公債を発行して、公債の一部は売電収入を当てるとして、残りは・・・ネーミングライツ。
例えば「湯河原飯島意匠太陽光発電所」といった命名権を売る。もちろん、飯島意匠にはそんな資金などないけれど、日産とか富士通とか、神奈川県内に拠点を持つ企業に声を掛ける。太陽光発電の先進県に、自社の名前の発電所があるのって、イメージアップに貢献すること大だと思いますよ。もっとも場所が中学校屋上だけに「教育上ふさわしくないと判断される活動を行っている企業はお断り」という条件は付けておいたほうがいいだろう。

実際、太陽光発電所としてはさほど規模も大きくなく、あまり大きな期待は出来ないと思うけれど、「太陽光発電をネタに、命名権と見学者を引き寄せる」という作戦は、決して悪くないと思う。

今年面白かったもの


カテゴリー: YouTubeテキスト日記萌え鉄道 | 投稿日: | 投稿者:

2011年という特別な年、やはり原発震災のあったこの年というのは、確実に日本史に刻まれるであろうし、また、刻まれなければならないと思うのだけれど、その意味が本当に明らかになるには、あと4〜5年くらいかかるだろう。

つまり、今、私たちは「一種の奇妙なモラトリアムの中に居る」。

それを思うと笑っても居られなくなるのだが、あえて、「震災以外で印象に残っていること」を、ごくごく個人的に振り返ってみたい。そんなことなど何の意味も無いことは承知の上で。

エンターテイメントでは、DVDを色々借りた。今年になってからだ。TSUTAYAのオンライン会員になって、お試し期間無料特典を使って色々観た。一番面白かったのはやはり「ノルウェイの森」だった。菊池凛子さんって、顔がぺっちゃんこですよね。どうでもいいか、そんなこと。
http://hmk.iijiman.com/mamenikki/?p=2395

しかし、それにも劣らず個人的に面白かったのは「みなみけ」だった。
多分、私、震災で心がかなり参っていたんだと思います。今でも参っている。
そんな時、あのユルさが救いになるのかもしれない。
まあ色々ご意見はあるようですが、話は1期と3期、曲は2期が良かったです。アニメ界でまどマギが注目を集めるなか、今ごろになって「みなみけ」という、(私の)終わりっぷりに、自分でも呆れる。
http://hmk.iijiman.com/mamenikki/?p=2754

日記には書かなかったけれど、友人に長らく貸し出していた30年前のキハ20(の模型)が帰って来て、それはもう動かなくなっていたのだけれど、接点復活剤と接点グリスで回復に成功した。やっと動いているという感じではあったけれど、スケール相応の「本来の遅さ」に近い速度しか出ないという意味で、むしろリアリティがある。鉄道模型、もう欲しい形式は全部そろえてしまったなという感じ。EF15とDF50四国型とDD54が揃ってしまったら、それ以上はもう何もないでしょう(と感じる人は、決して多い訳ではないとは思う)。

あと、忘れかけていたのだけれど、2月26日に「虹の郷」に行った。
http://hmk.iijiman.com/mamenikki/?p=2218
震災前のことって、何と言うか、とても遠い過去のことのように感じる。
阪神大震災の時もそうだったなと思う。それを境に、過去のすべてが色あせてしまうような。

業務的には、今年着手した仕事で終了が来年に持ち越される案件がいくつかあって、何か、締まりのない年末だなあという感じがしている。

みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。

そろそろ年賀状を書く


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

今年の総括、などという大袈裟なものではないし、だいたい総括も何もまだ半月も残っているじゃないかという気もするのだけれど、先月から製作にかかっているサイトがもう少しでクランクアップするところまで来たし、とりあえず年賀状の通信面だけは全部刷っちゃったしで、ああもう今年も終わりかなあなどと思ってみたりする。

で、1996年。
そう、あれは1996年のことだった。
もう、単純に大組織に身を委ねていれば安泰というご時世では「絶対にない」と思った年だった。「もはや安全地帯はどこにもない」と感じた年でもあった。「自分に関する全てのリスクは誰も面倒を見てくれない。自分で引き受ける以外に道はない」と確信した年でもあった。

1996年。
その春、私は定期的な人事異動で、ある学校の事務室に配属となった。
そこは、悲惨な職場だった。
私の前任者は「栄転」であったが、その「栄転先」というのは、いわゆる「不夜城」と呼ばれる過酷なセクションへの転勤であった。その世界ではそれが「幸福なこと」とされていた。なぜなら将来的に昇進へと繋がるからだ。昇進など「夕方6時に自宅で自炊して食べる」夕食のみそ汁の味噌滓一粒ほどの価値もないというのが私の考えであったから、私にはそう思えなかった。
しかし、そんな他人のことなどどうでもよかった、というか、他人のことを心配している余裕などなかった。
後輩となる職員が一人、メンタルヘルス系の診断書を3ヶ月おきに出して療養休暇を取り続けていた。聞けば前の職場でも色々あった人だったという。つまり1人欠員であった。4人居るべき正規の事務職員は3人しかおらず、1人はアルバイトで、彼女の仕事は専ら電話応対や来客応対中心の仕事であった。が、それでも電話応対すら手が足りない。そこ学校はある事情があって、父母からの電話が絶えない学校だった。その上、おそらく休職中の彼と思われる人物から、頻繁に無言電話がかかってきた。私はその無言電話に「むごんくん」という名前を付けた。丁度消費者金融で「むじんくん」というのが現れ始めた頃だった。割り振られた事務量は膨大なものだった。明らかに職員4人の手にあまるものであった。それを3人+1で捌いていた。横須賀線の終電に何回乗ったことか。終電を逃して自腹でタクシーにのって、運転手を急かして高島町まで行って東横線の終電に乗ったこともあった。夕食は夜遅く、終夜営業のカレー屋に行くことが多かった。
辞令1枚で、普通に暮らしていた日常が剥奪され、生活の何もかもが破壊される。だが、それが、この業種の宿命なのだということを、骨身に滲みて理解した。世間一般に、公務員として就職すればどんな不景気でも倒産がなくて安泰で、結構大きな社会的信用も得る(その証拠に公務員は住宅ローンとか車のローンとかすんなり借りられることが多いし、縁談等もまとまりやすい)が、それは、自らの心身を、顔の無い大組織という「仮想の生き物」に捧げ、単なる代謝物として生き血を吸われることと同義なのだと。
で、冒頭に記したような感想というか結論というか、そういうものを出すに至って私は、秋の人事異動希望調査に回答用紙を提出しなかった。所属長は「辞めるのか。ああそう。どーすんの?ああそう、しばらくぶらぶらしてんのか」と言った。彼にとってはこんなことくらい「よくあること」だったのだろう。彼に恨みはないし、そもそも彼に何を期待していた訳でもない。事務長は少し違った。「あんた本当に、よしなさい。この仕事を辞めて、小説家になるとか歌手になるとか言って消えて行った人はたくさんいる」。そう言った。私は別に小説家にも歌手にもなるつもりはなかったし、写真作家になろうとさえ思わなかったが、夜間の写真学校に行ってみようと思った。それは、ただ、何となく勘のはたらく方向に動いてみようかと思った、ただそれだけだった。公務員という、世間一般に「安定した立場」にある人が、そんな「人生を棒に振る」みたいなことをしようとして、止めない人は居ないわな、とは思った。しかし、そこで一歩前に進むことが出来たのは、身辺に起きた変化について、「世間一般の常識や価値観などどうでもよい、それより自分自身にとってどうなのか」という問題であると受け止めたからだ。

事務長はその10年後、勧奨退職(早期退職)で、割り増しの退職金を貰って仕事を辞めた。今思うと、なるほどそういう手段もあったかと笑える。
けれど、その時にはそんな発想を持つだけの余裕すら、私にはなかった。
いや、その手段でさえ私には耐えられなかっただろう。1996年からさらに20年、あのような暮らしを我慢して、何が得られただろう?そして、それが終わった頃、私は50歳。今の私より老けている。
その年齢になって、何の取り柄もない普通の男、というより、いい加減人生にくたびれてしまった人が、例え個人事業でも、新しい事業など起こせるものだろうか?既に起業経験のある人とか、よほどの資金力とコネクションを持っている人でもないと難しいだろうなと思う。
あのまま20年我慢を続けていれば、潰しの効かない老けた男1名様の出来上がり。まかり間違っても「飯島意匠」など存在していなかった。ひなと出会うこともなかった。

1996年12月31日の大晦日から1997年1月1日の元旦までの年越しを、私は東北のある町で過ごした。
初日の出は海岸で眺めた。雲は多かったが、太陽が見えた。松原を抜けると静かな砂浜があった。波は静かで、鏡のような水面に朱色の朝日が差した。その時の写真を今でも持っている。

その場所は、宮城県陸前高田市。
今、松原はたった1本の「奇蹟の一本松」を除いて全て流された。
あの静かな水面が、どうなったらあの恐ろしい大波に変化するのか、今でも信じられない。
けれど、これが現実世界というものだったのだ。

事務長とは、今でも年賀状のやりとりをしている。今年も多分出す。

despair / home 19話がいつの間に「最終回(最終話)」になってた


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

まずはこちら。
http://www.justmystage.com/home/tvshikoku/despair-002.html
何と!despair / hopeの19話に、いつの間にか「最終話」の文字が!
マジすか?いつから最終回(最終話)になったんですか?

ちなみに、テレビ四国のサイトも、なぜか移動している。
http://tvshikoku.com/
http://tv459.com/index.htmlあのですね、いくら何でもあの19話が最終回って、それ、ハルカがかわいそうすぎるじゃないですか!20話で何か救いを見せてほしいと思ったのは私だけでしょうか?

いったい何があったんだ?テレビ四国。

日本海を観に行ってピーナツチョコを食べる夢


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

昨夜、夢を見た。

写真学校のF君とK君の車に分乗して、日本海を観に行こうということになった。
なぜか高校の同級生のスズキヒデアキ君も居た。彼もそういえば写真を撮っていた。
ひなも居た。写真学校の同級生なので、まあ当然居る、という感じだった。

※注
ここでいう「日本海」というのは、兵庫県北部から山陰にかけての一帯を指すということが、夢の中では暗黙の了解とされていた。
しかし、実際の写真学校は横浜の日吉にあって、そこから日本海に行くには、最短でも新潟県であろう。実は夢の中では、写真学校は兵庫県西宮市付近にあるということになっていた。このあたりの訳の分からない設定は、私の育ってきた経緯によるものなので致し方ない。

で、車に乗って、ぐんぐん走って走って、「もうふらふら、これ以上進めない」というところまで着て、海が見えた。漁港のようなところに着いて、漁船が見えた。その近くに大きなユースホステルのような宿があったので、料金も調べずにとりあえずそこに泊ることにした。

男女同室の洋間なのだが(ユースホステルは男女別室)、とにかくみんな疲れてぐうぐう寝てしまう。

ところが、私だけが目が覚める。それがどうも妙な感覚で、起きようとするのだけれど起きられない。ベッドが背中に張り付いているような感覚で、とにかく「上下左右」「天地」「天井と床」の区別がつかない。3次元の感覚が全て狂てしまったようだ。私は起きようとしても起きられず、ぐるんぐるん回転していた。ひなはとなりのベッドでぐっすりと眠っていた。
そのうちふと、ベッドの上に婦人物の時計が置いてあることに気づいた。金属製の、装飾的な細い時計で、誰かから預かったのだろうか?そういえば自分の時計はどこにやったかなと思うと、ズボンの右のポケットに入っていた。
私は無性に「ピーナツチョコが食べたい」と思っていた。そして、突然宿から脱出することが出来て、ちょっと離れたところにあったファミリーマートに入ってピーナツチョコを買った。

※ここで、目が覚めた(これは夢ではなくて事実)

これは夢ではなくて事実だが、時刻は夜の3時頃で、当然のことながら手元にはピーナツチョコがなかった。それで、着替えてセブンイレブンまで自転車を走らせてピーナツチョコを3袋買って帰り、1袋食べた。瞬時だった。美味い。美味過ぎる。もう1袋食べた。それから寝た。

※以下、夢
場面は再びユースホステルのような宿に戻っていたのだが、なぜか新興宗教の儀式のような、大勢の人の声が聞こえて来た。何かお祈りをしているようだ。それも、私たちの部屋とカーテン1枚で仕切られただけのところでやっている。みんなぐぅぐぅ眠っていて、私と、なぜかアヴェちゃんだけがこれに気づいて、「何かやってるよぉ」と話し合う。

・・・

それからまだ少し夢の続きがあったような気もするが、詳しくは忘れた。
で、目が覚めた。
そうしたら、もの凄く気持ち悪かった。
朝の7時だった。新三共胃腸薬を飲んでみたがあまり効かなかった。
私はひなを起こした。「ひなさぁん、すごい気持ち悪い」。
ひなは事情を聞いて、小田原の秘薬「ういろう」を出してくれた。
ああ、こんな愚かなどか食いのために、貴重な「ういろう」を使って良いものかと逡巡したが、これ以外に特効薬はなさそうなので、飲んだ。

今、午前8時45分だが、ういろうの効き目は優れていて、大分楽になった。
夜中にピーナツチョコを大食いするのは止めようと反省した。

極めて私的にPM-4000PXとLBP5000の後継機を選ぶ


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

2002年から使っていた、EPSONのインクジェットプリンタPM-4000PXを、いよいよ買い換えることにした。
製造から9年が経ち、いつまで消耗品が調達できるかという不安を感じ始めたことと、買ったばかりの頃に比べると、やや紙詰まりやコスレなどが増えたような気がしたので、これはそろそろ買い換え時かと考えた。
同時に、2005年から使っていたCANONのレーザープリンタLBP5000も、そろそろヤヴァくなってきた。印刷カウント累計が2万を超え、トナー(とドラム)を交換しても、調子の優れないことが多くなってきた。
つまり、いわゆる「写真印刷」のプリンタと、「ビジネス文書印刷」のプリンタを同時に買い換えることになった訳だが・・・
普通に考えれば、PM-4000PXの後継は、PX-7Vor5V、(PX-5002は高くて手が出ない)、あるいは型落ちのPX-5600とか、Amazonで26088円まで下がったPX-G4500でもいいのかもしれない。
一方、LBP5000の後継は、ほぼ同じ大きさのLBP5300か、一回り小さいLBP5050Nあたりに落ち着くのが普通かもしれない。

しかし、私は全く違う選択を考えた。
PX-1200。ビジネスインクジェット。4色顔料。
これで2台を置き換える。

PM-4000PXを買った時には、ビジネス文書から写真展用作品出力まで、1台で何でもこなしてもらう必要があった。
今、ビジネス文書はともかく、写真展用作品の制作には(これも本来写真用のプリンタとは言い難いが)PX-7550Sの大判出力を使う。
一方、人に手渡すL版の写真を刷る時には、1万円弱で買ったCANONのiP4600という小さな(A4の)インクジェットプリンタの方が速いので、こちらを使っている。PM-4000PXは、主に、ある程度の耐久性・耐水性を要求される張り紙を印刷するプリンタになっている。ならば写真の画質を極める必要はないのではないかと。そこでPX-1200。A3ノビが出せて、速い。顔料インクで耐久性も高い。
一方、LBP5000は、本当にビジネス文書専用で、特に数百枚単位の帳票印刷やDM印刷に役に立っていた。スピードと、普通紙に綺麗に印刷できることがポイントだった。ただ、消耗品のトナー(LBP5000はトナーとドラムが一体になっている)が高く、4色で万単位の出費になるのは辛かった。1回のトナー交換で長期に使うため、1枚あたりにすれば安いのだが・・・。
そこでPX-1200。初期設定でもカラーで1分あたり8枚、LBP-5000と同じ。インクは4色セットで5590円(エプソンダイレクト)。印刷コストはA4カラー1枚7.3円(LBP5000は13.3円。いずれもメーカー公表値)。公表されているコストは参考程度に考えた方がよいとは思うが、どうも、PX-1200の方が安そうなのである。そして何より、プリンタ本体も安い。3万円弱。

で、既にPX-1200を予約したところであるのだが、そうしたら、今まで調子の悪かったLBP5000が、急に絶好調になって、トラブルが発生しなくなってきた。故障を抱えているのでもう中古でも買値もつくまいと思っていたのだが・・・先日箱と梱包材を捨ててしまったことが悔やまれる。世の中、なかなかうまくいかないものだなあと思う。

YMO「PROPAGANDA」DVD再発売


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

今日、Amazon.co.jpからメールが来た。
YMO映画「PROPAGANDA」のDVDが、10/26に再発売になるという。

1984年頃に、松戸市民会館で上映された映画を観た。あれを久しぶりに観られるかと思うと、少し嬉しい。

「村上春樹「沈黙」全国学校図書協議会集団読書テキスト第II期」を出品しました


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

Yahoo!オークションに、「村上春樹「沈黙」全国学校図書協議会集団読書テキスト第II期」を出品しました。

http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h156686210

村上春樹「沈黙」表紙

村上春樹「沈黙」表紙

村上春樹「沈黙」裏表紙

村上春樹「沈黙」裏表紙

単行本「レキシントンの幽霊」にも収録されている短編です。
「全国学校図書協議会集団読書テキスト第II期」として刊行されているもので、Amazonで193円(2011年10月3日確認)で販売されているものです。
1993年3月1日初版発行
出品するのは、2004年4月20日発行の、第10刷です。

●…状態
 表紙・裏表紙に、少し日焼けがあります。

●…送料
 クロネコメール便80円を予定しております。

■その他
 書き込み・折れはありません。

10/11補足:無事売れました。ありがとうございました。

【非売品】新品未使用【OLYMPUS PEN オリンパスペン】ステッカーを出品しました


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

Yahoo!オークションに、「【非売品】新品未使用【OLYMPUS PEN オリンパスペン】ステッカー」を出品しました。
オリンパスPen E-P1を買った時に、後日、いただいたものです。

オリンパスペン・ステッカー

オリンパスペン・ステッカー

「OLYMPUS PEN(オリンパスペン) E-P1
カメラグランプリ2010大賞
あなたが選ぶベストカメラ大賞
W受賞記念ステッカー」とあります。

縦約10cm×横約21cm、銀色の綺麗なステッカーです。

未開封・未使用品です。

ステッカーを入れている袋の隅に、わずかな折れがありますが、ステッカーそのものは綺麗です。
実際には銀色の金属風の色合いをしていますが、スキャナでスキャニングしてみたところ、現物の色合いを出すのは難しいようでした。

http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n104648990

10/11補足:無事売れました。ありがとうございました。

【CD】PULSE×PULSE(高橋幸宏×スティーブジャンセン)をオークションに出品しました。


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

高橋幸宏とスティーブジャンセンのユニットによるアルバム「PLUSE×PLUSE」を、ヤフーオークションに出品しました。

http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/152486629

CD PLUSE×PLUSE(ケース外観)

CD PLUSE×PLUSE(ケース外観)

CD(ケースを開いたところ)

CD(ケースを開いたところ)

AGCA-10008
中古盤ですがワンオーナー品です。国内盤。
盤面は、再生に支障ないごくわずかなキズがある程度で、比較的良好です。
ケース等の多少の擦れはご容赦ください。
NC/NRでお願いいたします。

【曲目】
1 LIFE’S LIKE THAT
2 THE CHOICE
3 WAVE
4 MEMORY WITHIOUT CONSEQUENCE
5 A RIVER DAY
6 PRAYER OF GOLD

定価¥2243(税込)
帯はありますが、キャンペーン応募のため、応募券部分(隅)を切りとっています。
興味がありましたら、ご入札よろしくお願い申し上げます。

【デジタルフォトフレーム】パイオニアHAPPY FRAME 8インチ黒HF-A820-K オークションに出品しました。


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

Pioneerのデジタルフォトフレーム「HAPPY FRAME 8インチ黒HF-A820-K」を、Yahoo!オークションに出品しました。

http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e114965732

PioneerデジタルフォトフレームHAPPY FRAME 8インチ黒HF-A820-K(動作している様子・オープニング画面)

PioneerデジタルフォトフレームHAPPY FRAME 8インチ黒HF-A820-K(動作している様子・オープニング画面)

2011年9月25日に購入し、5日間ほど使いました。
とてもいいデジタルフォトフレームだと思いますし、多くのコンパクトデジカメの画像と縦横比が一緒(4:3)なので、その画像が、画像が切られることなく(あるいは余分な黒フチがつくことなく)に表示されます。
私の使おうと思っていた目的に必要な機能がついていなかったので、手放すことにしました。

PioneerデジタルフォトフレームHAPPY FRAME 8インチ黒HF-A820-K(セット内容)

PioneerデジタルフォトフレームHAPPY FRAME 8インチ黒HF-A820-K(セット内容)

内蔵メモリはクリアしてあります。
付属品は一通り揃っています。
Amazonで購入しましたので、Amazonの「納品書兼領収書」をつけます。これは9月25日発行ですので、この書類があることによって、約1年間の保証が受けられます。
購入価格は11971円でした。
ノークレーム、ノーリターンでお願いいたします。

PioneerデジタルフォトフレームHAPPY FRAME 8インチ黒HF-A820-K(外箱)

【製品特徴】
◆はっきり鮮明な写真が楽しめる、LEDバックライト液晶採用。
◆対応メディアをさすだけでスライドショーがすぐにスタート。
◆約4000枚の写真を保存できる2GBのメモリ内蔵。動画&音楽再生OK。
◆波の音や小鳥のさえずりなどのヒーリングサウンドが入っています。
【主な付属品】
・ワイヤレスリモコン(電池付属)
・ACアダプター
・USB-ミニUSB ケーブル
・クリーニングクロス
・取扱説明書(保証書含む)※保証書の日付印の代わりに、Amazonの納品書を付けます。(2011/9/25購入)
■ 仕様
■液晶パネルサイズ:8型解像度:SVGA(800×600)
■縦横比 4:3
■外形寸法:約227mm(W)×177mm(H)×32mm(D)
■質量(本体のみ):約610g

10/11補足:無事売れました。ありがとうございました。

今さらながら「みなみけ」/南春香と平沢憂


カテゴリー: テキスト日記萌え | 投稿日: | 投稿者:

数日前、楽天レンタルから「DVDレンタル5枚分無料クーポン」というメールが送られて来た。といっても借りられるのは1枚50円の「旧作」だけで、送料は別途負担(5枚で500円)なので、要するに「750円が500円になるだけ」ではあるけれど、連休で暇もありそうだったので、5枚かりてみた。
まず、「涼宮ハルヒちゃんの憂鬱&にゅろーんちゅるやさん」の1から3。

YouTubeの公式アカウントで期間限定公開されていた時に、ある程度は見ていたけれど、全部は見ていなかったと思う。公開期間が短かったので、そこまでマメに追いきれなかったというか・・・

あと2枚は、これも2007年と、もう随分時間が経ってしまっているようだけれど、「みなみけ」を、とりあえず最初の2枚。

「みなみけ」は、最初、これはハズしたかな、と思った。
しかし、これ、じわじわ来る。
「みなみけ」は、どうやらこれを楽しむのには「鍛錬」が必要なようだ。
まず、「みなみけ」のユルさに馴染む必要がありそう。
それから、「日常を描いている」といいつつ「そんな日常アリですか?」みたいなノリのようなものを飲み込むというか。
あと、正直言って、「みなみけ」がなぜ面白いのか、自分でもよくわからないうちに、面白く思えて来た。
不思議な作品。

ところで、「みなみけ」三姉妹のうち、なぜか三女の「千秋」だけがねんどろいどになっているけれど、あとの2人はなぜ発売されていないのだろう?と思って、色々検索してみたら、今年の冬に発売されるかもしれない、とか・・・誰が一番売れるだろう?

http://news.livedoor.com/article/detail/5745200/

あと、ふと思ったのだけれど、南春香と平沢憂では、どちらの料理が美味しいだろう?

阪急の座席の色に似た1050円のマイクロファイバー毛布が激しく気持ちいい


カテゴリー: テキスト日記鉄道 | 投稿日: | 投稿者:

一昨日、楽天で買ったマイクロファイバー毛布が届いた。
1枚1050円。2枚買った。送料込みで2500円くらいだった。
あまり期待していなかったのだけれど、これが、すごく気持ちいい。ふわふわで猫のような感触。
あと、色はオリーブグリーンとラテベージュを選んだのだけれど、このオリーブグリーンの色が、阪急電車の座席の色に、何となく似ている。(感触は違う。)この色が、なかなかいい。
マイクロファイバー毛布1050円(楽天)

オリーブグリーンとラテベージュの毛布、および朔(猫)

オリーブグリーンとラテベージュの毛布、および朔(猫)

長門有希ちゃんの消失3巻の衝撃


カテゴリー: テキスト日記萌え | 投稿日: | 投稿者:

今日、今さらではあるけれど「長門有希ちゃんの消失」第3巻を読んだ。というか、今日、Amazonから届いた。
実は、第2巻が出た頃から読み始めて、遡って1巻から読んでました。
表紙の長門さんが、これまでの3巻の中で一番かわいいと思う。

65ページ、全国、全世界の「長門の婿」さんがこの絵を愛してくれそう。
105ページのみくるちゃん「はいっ これで誰も見てませんよぉっ」がかわいい。

タイトル通り、主役は長門さんなのだけれど、このシリーズの中で、朝倉涼子とハルヒとのやりとりが面白いと思うのは私だけだろうか?何と言うか、ある意味では似た者同士で、ある意味では水と油。そんな2人が、キョンと長門の恋の行方に(それぞれ微妙に違う意味で)気を揉んでいるような。

ところで、これ、ラブコメ・・・ですよね、ですよね!!!4巻、どうなっちゃうんですか?????
長門!消えないでくれ!

デジタルJ-Popの元祖は誰?


カテゴリー: Perfumeテキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

レールガン関係で検索していて、ちょっと気になったことがある。
Wikipediaの「fripSide」の項目で、ジャンルに「デジタルJ-Pop」という表記がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/FripSide#cite_ref-0

まだwikipediaにも解説がないので、最近の造語なのかもしれないけれど、だとすると、はて、この「デジタルJ-Popの元祖」は誰だろう?

YMO?
微妙に違うような気がする。
まず、彼らが活動を開始した1978年には、そもそも「J-Pop」というジャンル自体がなかった。
そもそも、デジタル云々以前に「J-Pop」というジャンル名を、いつ、誰が使い始めたのか検索してみると、Wikipediaによれば、1988年に、J-Waveの常務(当時)とレコード会社の担当者が、会議でひねり出した言葉らしい。
そういえば1980年代後半頃、「頭にJを付ける」タイプの造語が流行ったことがあった。
 国鉄→JR(1987年)
 日本専売公社->JT
 農協->JA
 Jリーグ
 中央競馬会->JRA

そんじゃあ日本相撲協会は「Jファイトアソシエーション」、相撲の張り手は「Jパンチ」とかに改名されるのかなとちょっと期待していたのだが、それはかなわなかった(かなわなくてよい)。

「デジタルJ-Pop」という言葉は、実は私は、2011年8月30日、つまり、今日初めて見た。検索してみたけれど、Google先生もご存知ないようだ。

ただ、1970年代に既に「ポップス」というジャンルは、一般的に認知されていたと思う。なぜなら当時、大阪の朝日放送のAMラジオの昼の番組で「ポップス対歌謡曲」という、クイズ番組と歌番組を合体した番組があった。(こういう判断基準は音楽業界的には馬鹿馬鹿しいものであろうけれど。)

で、YMOが果たしてポップスに入るのかどうか?というと、どうも微妙。
初期の「テクノポリス」あたりはポップスに入れていいような気がするけれど、あれ、多分「デジタルシンセ」を使っていないです。まだアナログシンセしかなかったんじゃないかと。やっぱり「汎用性のあるコンピュータと楽器が連動」してないと、「デジタル」の冠は似合わないような気がする。

テクノポリスより前、YMOのファーストアルバムの第一曲目は「コンピュータ・ゲーム サーカスのテーマ」。うーん。これはPopsと言えるのだろうか?その次に収録されていた曲は、マーチン・デニーのカヴァー「Fire Cracker」。これは「イージーリスニング」を「シンセサイザー風味追加&オリエンタル風味強調」にアレンジしたバージョンであって、これまた果たしてPopsなのか?
ただ、B面(CDで言う6曲目以降)の、東風〜中国女〜MAD PIERROTは、かなりPops的色合いが強くなっている・・・とは思うのだけれど、当時Popsって、じゃあ他に誰がいたのかというと、Aliceとか、さだまさしとか、中島みゆきとか、のちに「ニューミュージック」と呼ばれる人たちだったような気がする。何か違う。

あるいは、プロ普及期におけるデジタルシンセの代名詞としてYAMAHA DX7の名前が出て来て、そのあたりから「デジタルJ-Pop」が作られるようになったと考えるのが妥当なのだろうか?しかしそれが発売されたのは1983年。その頃YMOは、ポップスというより「君に、胸キュン。」など、明らかに「歌謡曲を歌っていた」。

とすると、じゃあ一体誰が元祖なのかというと、うーん、fripSideが「影響を受けた」というところから逆算しても、小室哲哉あたりになりそうな気がする。ごく初期には、確か彼はPC-9801を使っていたはず。検索したら、やはりその記憶を持っている方がいらした。
http://trischool.exblog.jp/147744/

そういえば、Perfumeって、「デジタルJ-Pop」に入るのでしょうか?

Cool Onlineがいつの間にか終了していた


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

Cool Onlineというサービスがある。いや、あった。
無料でホームページとメールアドレスが貰えるサービス。
ホームページには無料の代償として広告が入る。
2002年か2003年頃まで、飯島意匠はCool Onlineの「有料サービス」を使っていた。これは、ホームページに広告が入らないだけでなく、好きなサブドメインを「cool.ne.jp」の前に付けることが出来た。
当時、独自ドメインで運用出来るサーバーは高かった。安くても数千円はしたと思う。零細(今でも零細だが)飯島意匠には、月額500円のCool Onlineは魅力的だった。(逆に言うと、このサービスに甘んじていたがために、ドメイン「iijima.jp」を取り損ねるという、一生レベルの大失敗をしたとも言える。)
当時、飯島意匠のホームページは「http://gij.cool.ne.jp」だった。(gijとはGallery Iijimanの略)

Cool Onlineは元々独立系の会社だったが、楽天に買収され、その後、サービス内容が大幅に変わってしまった。このためやむを得ず飯島意匠は、独自ドメインが使えて月額1600円のCside netに引っ越しをした。同時にドメインiijiman.comも取得した。今は再度サーバーを引っ越して、さくらインターネットを使っているが、これが月額500円。Cool Onlineは外税で525円だった。既に当時さくらインターネットはサービスを開始していたが、そんなに安いサーバーが信用出来る訳がないと思っていた。私には先見の明がなかったということになる。

ふと今日見たら、Cool Onlineは、無料会員サービスを今年の6月で終了し、来年5月21日で有料会員サービスも終了するという。
http://www.cool.ne.jp/

まあ、そうだろうなと思う。さくらが500円で借りられるのに、coolに525円払う理由はない。

調べてみたら、InfoseekのIswebも、無料サービスは来年5月21日に終了するという。有料版はまだ特にアナウンスがないようだけれど、いつまで続けるだろう?
http://isweb.www.infoseek.co.jp/

あと残っているのはジオシティーズくらいか。
http://geocities.yahoo.co.jp/services/

2000年頃、インターネットでは「広告収入で運営する無料サービス」というのが色々あったと思うけれど、2011年の今、安くて充分なサービスが増え、無料というのは減っているような気がする。
「インターネットは何でも無料」「激安で夢のような大成功を狙う」といった風潮や意識が消えつつあるのは、Web制作屋としては、有り難いことである。

阪急 鉄コレ 2011年版は「3000系冷改」


カテゴリー: テキスト日記鉄道 | 投稿日: | 投稿者:

最近の発表によれば、「3000系冷房改造後」。
http://rail.hankyu.co.jp/railfan/topics/110825train_collection_news.html
多くの皆様、ごめんなさい。去年のクリスマスに勝手に予想した「阪急鉄コレ2011年」は、大ハズレでした。
http://hmk.iijiman.com/mamenikki/?p=2110
映画「阪急電車」の関連を考えてみれば、そりゃ3000系ですよね、それも、おそらく「冷房改造後&看板」。それ以外考えられなかったではないか・・・

しかし、昨年の2000系に続いて、またも「先頭車+中間車」のセットとは・・・阪急はどうして2両セットにこだわるのだろう?4両セットにしても充分売れると思うのだけれど。

3000系の実車には、非冷房時代から今津線でよく乗った。(今津北線、ではない。今津線。つまりまだ当時は南北に分断されていなかった。1970年代のこと)
懐かしいなあ。

ともあれ、手元に今津線時代の810系があるので、多分買わないと思う。多分・・・

「ふにゃわさん」をTシャツデザインコンテストに出品しました


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

第2回目の開催とのことですが、また、Tシャツデザインコンペに投稿しました。
http://www.designme-plus.com/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=2175
もし気に入っていただけたら「評価する」の★マーク(1から5)をクリックしていただけると、とても嬉しいです。

細野晴臣の「銀河鉄道の夜」と坂本龍一の「トニー滝谷」(Solitude)


カテゴリー: テキスト日記鉄道 | 投稿日: | 投稿者:

坂本龍一がなぜ「ノルウェイの森」に出演しなかったかというと、既に村上春樹作品の「トニー滝谷」で音楽を担当していたので「お腹いっぱい」だったから、というのは私が勝手にでっち上げた話でしかないけれど、ともあれ、今日、レンタルDVDで「トニー滝谷」を見た。
それで、その感想はどうだったかというと、「大切な人は、本当に本当に、大切にしたい」という気持ちになった。
いや、村上春樹はそのような説教を垂れたりはしない。でも、もしこの感想を伝えるようなことがあっても「君がそう思うなら、それがいいんじゃない?」と言ってくれそうな気がする。
あと、イッセー尾形の演技に味わいがあった。宮沢りえは美人だなと思った。
それと、やっぱり音楽がいい。坂本龍一、恐るべし。

実は、一緒に借りたDVDがもう1枚あって、それは、アニメ版の「銀河鉄道の夜」だった。「999」ではない。細野晴臣が音楽を担当している。

正直に言う。意味不明。ただ、原作自体がもともと未完成のまま作者が世を去ってしまったという事情もあって、作品に描かれている内容の解釈も様々であるなど、何しろもとがそういう作品だから、私ごときに理解出来ないのは仕方ないことかもしれない。むしろ「意味がよく分かった、これはかくかくしかじかで、」などと私が説明を始めたら、それは、私は嘘つきだ。
ただ、私なりの解釈として、「ジョバンニは夢を見ていた。夢の中でカンパネルラと旅に出るが、旅の途中で、カンパネルラから永遠の別れを告げられる。実際、夢から覚めるとカンパネルラは死んでいた」というのが大筋で(おおざっぱすぎるわい!)、その旅の途中で、タイタニック号の沈没事故から影響を受けたストーリーと共に、本当の幸せとは何だろう?ということを作者なりに悩んでいる、といったことが、語られる・・・大筋では、こんな印象を持った。これが正解である自信はない。ただ、ポスト311に宮沢賢治が銀河鉄道の夜を書いたなら、福島第一原発の事故のことは書かない訳にはいかなかっただろうな、どういう話を書いたのかな、などと思った。
それはともかくとして、この映画も音楽が凄い。
細野晴臣、ただ者ではない。
アジアのような中東のようなヨーロッパのような無国籍な雰囲気でありながら、ごちゃごちゃしていない。鉄道の轍のような規則的なリズムに乗せて、やや暗い色調で曲は始まる。だが途中で転調し、何か「救い」のようなものが現れる。そしてまた、どっしりとした曲調で曲は閉じて行く・・・
細野晴臣は、文字や言葉でなく、音楽で、「銀河鉄道の夜」の解釈を提示したのかもしれない。
細野さん、好きだよ!

映画「ノルウェイの森」に関する前向きな提言と「ノルウェーの森」について


カテゴリー: YouTubeテキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

レンタルBlu-rayで「ノルウェイの森」を見たことは、2011年第2四半期の中では、個人的に最も大きな出来事であったかもしれない。

あれからもう一度、文庫版の小説を、大まかにだけれど、読み直してみた。というか、昨日の窓修理の間、やることもなかったので、ひなと一緒に事務所で涼みながら読んでいた(仕事は?って話もあるが)。

で、小説を読んで改めて思ったのは、あの映画では、あれでいい、ということだ。
メディアが異なるのだし、技術的あるいは経費的に、さらには尺の長さ的に、再現できない、あるいは、再現しても強い効果が得られない、と判断された部分も多かったのではないかと思う。

ただ、小説に「あった」けれど映画では「カット」されたエピソードが色々あるというのは事実だ。
ここで一つ、前向きな提案をしたい。
まず2時間で完了する「映画版」ノルウェイの森を見て、心に何か引っ掻き傷のようなものを残すことができたなら、改めて小説(文庫も出ている)を読んでみるというのは、どうだろう。
何しろ小説は、上下2巻に別れた長編。苦労して読んだ結果「つまらなかった」では、腹が立つでしょう。

ところで、この「豆日記」へのアクセスログを見て見ると、「ノルウェイの森」という検索キーワードでの来訪はないのだが、「ノルウェーの森」というキーワードでの来訪が1件あった。それで、検索してみて気がついたのだけれど、ビートルズの原曲「Norwegian Wood」の邦題は「ノルウェーの森」なんですね。つまり「ノルウェイの森」ではない。一方、村上春樹の小説はまぎれも無く「ノルウェイの森」。

実は、「今さら」だけれど、この映画を観るまで、ビートルズの「ノルウェーの森」を聴いたことがなかった。
西暦2011年にもなって何を言い出すこのお馬鹿さん、と思うかもしれないけれど、本当に、なかった。

1987年に「ノルウェイの森」(単行本)が発売された時、私は奈良に住んでいて、拗ねたた地理学科の学生だった。偶然にもノルウェイの森でワタナベと同居していた「突撃隊」と同じ学科。入学は1986年。ノルウェイの突撃隊の影響で入った訳ではありません。で、その頃、奈良の書店の店頭に平積みになっている赤と緑の表紙を横目に、ふん、何が流行だ、とか思っていた訳です。青いなあ。もちろんビートルズも聴いていない。

私が初めて「ノルウェイの森」小説版を読んだのは、1998年。もう文庫も出ていたし、「ノルウェイ以降」の村上春樹の小説は、「ねじまき鳥クロニクル」まで発売されていた(「スプートニクの恋人」以降が未発表)。「ノルウェイの森」を読んで、村上春樹という人の小説をもっと読みたいと思って、デビュー作以降の文庫は全て買った。

1998年、「ノルウェイの森」を読んで、1つの疑問がわいた。
それは、

「なぜこれが、あのバブル目前の日本絶好調というご時世に、ベストセラーになったのか?」

・・・ということだ。

逆じゃないか、物質的豊かさを満喫し、まさに中身なんかよりカタチが大事みたいな当時の空気の中で、なぜこんな「内面的な痛みを描いた」ような小説が売れたのか?

その後、この小説の発売当時に「100%恋愛小説」というコピーがあったことを知った。もしかしたら、そのコピーが原因か?とも思った。当時、そういえば確かに「恋愛ブーム」というか、「恋愛至上主義」みたいなものがあった。そこにこのコピーがはまり込んでしまったことは、想像出来なくもない。

ともあれ、何か誤解を抱いてしまい、読んでまだなお、その誤解を抱いたままの人が、実は結構多いのではないだろうか?この疑問は今でも持っている。

(余談)「恋愛至上主義 松任谷由実 1987年」で検索したら、こんなページを見つけた。
http://blogs.yahoo.co.jp/hiro0425kawachi/25305331.html
あー!ありましたねー!「私をスキーに連れてって」。それも1987年だったんですか!忘れてました。もちろん私はスキーには行かず(50歳くらいになって生きていたらスキーに行ってみてもいいかもしれない、などと言い張っていた)、彼女も居ませんでした。
(余談おわり)

ある意味で、2010年(=バブル崩壊&ポスト1995「阪神大震災+地下鉄サリン事件」&ポスト911)になって「ノルウェイの森」が映画化されたことは、結構重要なことであったかもしれない。この映画によって、先に記した「誤解」は、もしかしたら、多少は解かれることになるかもしれない。
そしてDVDとBlu-rayが、「ポスト311」である2011年6月22日・・・622って311の丁度2倍じゃないか!今、書いていて気がついた・・・に発売されたということは、深いところで神様が、何かの根回しをしているのではないかと思ってしまう。

で、話が長くなったけれど、映画「ノルウェイの森」を観て、初めて私は、ビートルズの「ノルウェーの森」を聴いた。ビートルズが嫌いという訳ではないし(特別好きという訳でもないが)、あえて「ノルウェーの森を避けていた」という訳でもない。ただ、巡り合わせというか、偶然というか、あえて聴こうと思わなかったし、聴かなくても特に困ったことはなかった。
ウソでしょう、本当はこっそりCD借りたりしてたんでしょう?と思われるかもしれないけれど、本当に聴いていなかった。
有名な曲だろうから、何かのBGMに使われていたり、ラジオかテレビから流れているのを無意識に聞いていたことはあったかもしれないけれど、映画を観て「あ、やっぱ、これ、知らなかった曲だわ」と思った。

そういえば、同じ「村上春樹の小説の読後」でも、「海辺のカフカ」の時には、すぐに、シューベルトの「ピアノソナタ17番」、ベートーベン「大公トリオ」、レディオヘッド「KIDS A」を聴いた。

だが、「ノルウェーの森」は、聴いていなかった。
その本当の理由は、自分でもよく解らない。
なぜだろうな?

ノルウェイの森の後立ち


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:


映画版ノルウェイの森を、Blu-rayで観た。
それは一昨日書いた。2日過ぎた訳だ。ディスクは(レンタルだったので)もう返送した。

それで、2日過ぎてみてからの感想ということになるが、この作品の、後立ちを感じている。

後立ちというのは香水の用語で、香水をつけてから2時間くらい経過して、主立った香りが揮発してから、その人の体の香りと合わせて、主立った香りとは異なる香りを漂わせるものをいう。(ちょっとググってみた。参考→http://g-kousui.holyjp.net/kousui02.html

ネットで検索して見ると、まあ、色々感想というか意見はあるようだけれど、私には、心に一筋の引っ掻き傷を残して行った。それが微かに痛い。この傷は治らない方が、治さない方が、いいような気がする。

緑がちょっとイメージと違うとか、レイコさんとワタナベとの関係をもう少し描いて欲しかったとか(特に、最後に「直子さんのお葬式」のシーンは、少しでもいいから入れて欲しかったなと思う)、重箱の隅を突つけばまあ色々ないこともないけれど、直子の苦しみは重みを持って伝わって来たし(それを演じた菊池凛子さんは凄いと思う)、映像は美しかった。ワタナベの「ああそうじゃないだろう!キミぃ!」と(観る人をして)言わせたくなる感覚も、再現されていたと思う。その美しさや重みまどろこしさから来る(のだと思う)切なさは、原作の小説を読んだ時の印象に、不思議にも通じるものがあった。

それで、一昨日から思っていることが1つあって、これからは、ひなや朔ぴょん(朔ぴょんは猫だけれど)を、もっともっと大切にして生きて行こうというこということだ。

今日はひなの頭をいっぱい、くりくりした。くりくりとはは、まるく撫で子すること。
今日も朔ぴょんをいっぱい撫でた。毛が抜けた。生え変わる季節なのだろう。
朔はうっとりした顔をして、お腹を見せた。

大切に生きて行こうと思う。

ノルウェイの森と「細野店長!」


カテゴリー: YouTubeテキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

レンタルのBlu-rayで「ノルウェイの森」を観た。
「原作と違う」「直子さんが死んでしまうところで終わり」という前評判を聞いていたが、実際のところ、原作にかなり忠実だと思うし、ラストシーンも(原作と少し違うけれど)電話のシーンで終わっている。

色々ご意見はあると思うけれど、映画ができたことだし、これからは「先に映画を観て」それから原作を読むという人も出てくるのだろう。それでもよいと思う。ただ、原作の時から思っていたことだけれど、この小説を、痛みとして感じることが出来るか、そうでないか、というところで、この小説(映画)に対する、その人の「ありかた」が、大きく異なると思う。それは、傷みがわかるのがよい、分からないのが悪い、といった単純な問題ではない。それは原作が発表された時からそうなのだろう。(私は原作が発表されて10年以上後に文庫で読んだ。)

で、細野さん。レコード店店長。出てきました。なぜかテンガロンハットをかぶって。
味わいありすぎです。細野さん。曲名はわからなかったけれど、流れている曲も「細野店長が選びそうな曲」だった。バイトが怪我したらちり紙の束をもって駆けつけてくれる、心優しい細野店長。
一方、阿美寮の門番として登場した高橋幸宏。彼にはセリフがあったけれど「帽子をかぶっていない」とは思わなかった。この人も味わいありすぎです。
で、当然のごとく湧き出てくる疑問は「サカモトはどうした」。
おそらく既に、戦場のメリークリスマスやラストエンペラーで堂々と俳優として活躍してしまったため、「ちょい役」など恐れ多くてお願いできず、かといって、登場人物の中に、坂本龍一が相応しい人というのが居なかったのだろう・・・が、いやいや、ちょっと待ってください、それは「現在の年齢相応」で考えるからそうなのであって、ヘルメットとサングラスとマスクで顔を隠して「拡声機を持ってデモの先頭を歩く学生運動家」という役(兼、演技指導)というのは・・・やっぱりやってくれないかな?
「キミ、そのプラカードの持ち方はちょっとちがうよ、これはね、・・・」とか言って若い俳優を指導するとか、やってほしかったなあ。

細野晴臣のレコード店店長


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:


6月22日から「ノルウェイの森」が発売/レンタル開始となる。
そこでこの作品の一番の見所は何か、というと、おそらく、ここであろう。
「細野晴臣が新宿のレコードショップの店長役で出演」。
そうじゃないでしょう、という意見の方が多いに違いないが、だって、細野さんが店長だよ、レコード屋さんの。昭和40年代という時代設定だから、まだYMOもない時期で、その時期にレコード屋の店長として人生を歩んでいた細野さんがいたら、いったいどんなレコードを仕入れていたのだろう?
「キミ、これなんかも、聴いて見るといいかもしれないよ」
とか言って、棚の奥からマーチン・デニーを取り出して来たりするんじゃないだろうか?

Michel Jacson /小室哲哉 / HTT のBehind the Mask


カテゴリー: YouTubeテキスト日記萌え | 投稿日: | 投稿者:

マイケルジャクソンが徹底的にアレンジを加えたbehind the Mask。いつの間にかYouTubeに上がっていた。これはもう、原曲と違う新しい何かになっている。

それと、こんなのも。小室哲哉と坂本龍一が共演したBehind the Mask。ある意味、日本的にまとまっている感じがする。

いや、これはまた。HTTによる?Bihind the Mask。それっぽく歌っているように見えてしまうから面白い。

感想と予測:涼宮ハルヒの驚愕。驚愕の理由は?


カテゴリー: テキスト日記萌え | 投稿日: | 投稿者:

5/25、涼宮ハルヒの驚愕(前・後)が届いた。
早速読んだ。夜の1時過ぎくらいに読み終えた。

SS「涼宮ハルヒの微笑」作者が完成度の高い「完結編」を作ってしまったので、原作はどうなることかと思っていたけれど、さすがは原作者というべきか、原作は原作で、なるほどという展開を見せてくれた。

以下、ネタバレも含みつつ、感想。

まず、そもそもこのタイトルがなぜ「涼宮ハルヒの驚愕」なのか。何に「驚愕」したのか。
それは、確かに後編の後ろの方で、ハルヒが確かに「驚愕」しているのだけれど、「タイトルに取り上げるほど」の驚愕だろうか?
いや、確かに一般的な女子高生があの場面に遭遇したら「驚愕」するだれろうけれど、何しろハルヒである。ましてや相手はキョン。
作者が、シリーズ9巻「涼宮ハルヒの分裂」執筆時に構想していた「驚愕」の内容は、果たして本当に、これだったのだろうか?

巷の噂の通り、作者は本当は10巻「驚愕」でシリーズを完結させようとして、一度は原稿を書いたが、売れに売れているハルヒシリーズを終わらせたくない角川からダメ出しを喰らって、しぶしぶ書き直したということは、ないだろうか?
一旦出版してしまった本のタイトルを改めるのは難しいのだろうけれど、話の内容としては、シリーズ9巻は「涼宮ハルヒの分裂(前)」として、今回の2冊は「涼宮ハルヒの分裂(中)」「涼宮ハルヒの分裂(後)」と、3冊セットということにした方が、より自然な感じがすると思う。
もっとも、現状がどうしても気に入らない、というほどの不満があるわけではないけれど。

初回限定版を注文したので、「特製小冊子」が付いて来た。原作者によるショートストーリーの中に出てくる挿絵、29ページの「佐々木」。思わずキュンとしてしまったファンは多いのではないだろうか?もしかすると、この「濡れ佐々木」のフィギュアが発売されるかもしれない。

小冊子48ページの「カバーデザイン百花繚乱」を見て思ったのだけれど、ハルヒって、1巻の頃に比べて、10巻の方が「髪がより短い」ような気がするのだけれど、気のせいだろうか?長門有希や佐々木もそうだけれど、ショートカットの萌えキャラというと、あとは「けいおん」の唯ちゃんが目立つくらいで、あまり多くないような気がする。「驚愕」ではには更に、ヤスミというショートカットキャラも登場する。ハルヒシリーズはなぜ、「ショートカットの萌えキャラ」が多く登場するのだろう?

藤原。まさかそれだけの理由で過去に来ていたんですか?単なるシスコンだったとは・・・?

谷口。相変わらずキーポイントを抑えてくれるなあ。キョンがハルヒの「鍵」というなら、キョンの「鍵」は案外、谷口なのかもしれない。

あと、勝手に予測。「ねんどろいど」で次に商品化されるのは誰か?
ねんどろいど「佐々木」は、何となくありそう。
ねんどろいど「周防九曜」も、「分裂」の段階では考えられなかったけれど、「驚愕」で活発に動いてくれたし、独特の風貌にファンが付きそうなので、意外に有るかもしれない。
ねんどろいど「橘京子」は、うーん、どうだろう。何か、思ったより影の薄い存在だったようで・・・
「谷口」「国木田」「藤原」。それはちょっとないかも。

オリジナルTシャツ「猫ディスコ」発売中!(L、XL)


カテゴリー: テキスト日記写真日記 | 投稿日: | 投稿者:

Yahoo!オークションで、オリジナルTシャツ「猫ディスコ」の販売を開始しました。
猫の「朔」と「くま」と「みい」が踊っています。
1500円。
サイズはLとXLがあります。
厚手生地を使用しています。
女性の方は、LがXL相当くらいになります。
(L) http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e110984522
(XL) http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e115037759
暑い夏に向けて、いかがでしょう?

Tシャツ「猫ディスコ」

Tシャツ「猫ディスコ」


(8/24追記)おかげさまをもちまして、Tシャツの販売は終了いたしました。

Tシャツデザイン、さらに3点出品


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

四国の「プラスワンインターナショナル」というアパレル企業が開催しているデザインコンペ、昨日、さらに3点出品した。
一般投票で上位が決まるそうなので、もし、気に入っていただけたら「評価」を付けていただけると嬉しいです。
「評価」の付け方は簡単で、ページ右端にある「評価する」というところの星印にカーソルをあわせて、クリックするだけです。
個人情報の入力等は必要ありません。一番右端の星でクリックすると「5つ星」になって、高い評価ということになります。

●…視覚
http://www.designme-plus.com/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=1238

●…祈り
http://www.designme-plus.com/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=1240

●…浴衣デビュー
http://www.designme-plus.com/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=1241

なお、一昨日出品した3点は次の通りです。こちらも気に入っていただけたら「評価」をいただけると嬉しいです。

●…アジサイ紋様
http://www.designme-plus.com/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=1235

●…メイドカフェ
http://www.designme-plus.com/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=1217

●…What cat
http://www.designme-plus.com/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=1216

上位50位に入ると、商品化されるとのことです。

Tシャツデザインコンペに朔&イラスト&幾何学紋様Tシャツ/投票受付中


カテゴリー: テキスト日記 | 投稿日: | 投稿者:

四国の「プラスワンインターナショナル」というアパレル企業が開催しているデザインコンペに、出品してみた。
一般投票で上位が決まるそうなので、みなさま、気に入っていただけたら投票をお願いします。

●…アジサイ紋様 http://www.designme-plus.com/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=1235
●…メイドカフェ http://www.designme-plus.com/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=1217
●…What cat http://www.designme-plus.com/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=1216
上位50位に入ると、商品化されるとのことです。

味わいのある写真集「1960年代 路面電車散歩」


カテゴリー: テキスト日記鉄道 | 投稿日: | 投稿者:


小田原の三省堂の店頭で、1冊の本が、ふと目に留まった。
「1960年代 路面電車散歩」。
モノクロの写真集。
鉄道写真家の諸河久さんが、若い頃に中判カメラで撮影した、路面電車と、路面電車の走る街、人々。
写真が綺麗で、味わいがある。
話にしか聞いたことのなかった、札幌市交通局の「路面ディーゼルカー」、花巻電鉄鉛線「馬ヅラ電車」(車体の幅が1.6mしかない)、東武鉄道日光軌道線。いずれもその現役時代の写真があった。
1960年代がそんなに羨ましいかと問われると、ネットも携帯電話もない時代で、経済は上り調子だけれど、公害など今の比ではなかった。やっぱり現代の方がいい、ような気もするけれど、路面電車の走る街の風景は、ちょっといいなあ、と思ってしまう。